Chasm(in silver soul/紅桜編)|沈めない足枷をつけて|山崎退視点
「あーもう、全く嫌になるなぁ」
誰にも見えないところでぼやくと、鳥の鳴き声が返事をした。
真選組ばかりを狙った辻斬りの横行…という、聞こえも良くない事件が続いて、真選組の中は居心地が悪いほどにピリピリと空気が張り詰めていた。
季節は冬から春へと移り変わりつつあって、例年ならば気の早い奴が花見だ何だと騒ぎ出す頃合だというのに、
口が半開きになった魚のような形の雲までもが、俺を馬鹿にしているように見える。
「手がかりなんてほとんど無いのに、何処を探せばいいんだよ……………って、それが俺の仕事か」
気を取り直し、改めて事件について時系列順に箇条書きにしたメモを、見直すことにした。
一番最初に被害にあったのが一ヶ月と少しぐらい前。それが徐々に多くなって今では
強さだけがとりえといってもいい真選組の評判も、目に見えて悪くなっているのが、隊員たちの士気にも関わってきている。
頭の痛くなる問題を目の前に、大きく溜息を吐いてメモを閉じ、そういえば、また副長に、東条さんのことを探るように言われていたんだった…と、足を会計方へと向けた。
会計方の部屋へ行くと、中は珍しいことに空っぽで、けど現状を考えたら当たり前かと思い直した。
会計方の主要な仕事は、名前に反して広報活動と謝罪、といっても過言ではない。気が立っていて各所で問題を起こしまくっている隊員たちの尻拭いに追われているのは当然で………まずい、このままだと副長にどやされる。
この様子だと部屋にはいないだろうことも予想できたけれど、もしかしたらと部屋に足を向けてみた。
「東条さーん」
と、声をかけながら歩き回るが返事はなく、そのまま部屋に行ってもやっぱり東条さんの姿はなかった。
まあ当然かぁ。東条さんが一番そういうトラブルを治めるのが得意だし……………けど困ったなぁ。
副長は今、誰よりも機嫌が悪い。気がつけば灰皿には吸殻の山になってるし、顔を合わせればまず最初に怒鳴り声が浴びせられる。
まああの人も難儀な人だから、俺がストレス解消のはけ口になるのも悪くないか。
それよりも…東条さんはどこに行ったのか。
万事屋の旦那と繋がりがあるらしいから見張っておけとのお達しには乱暴さを感じるけど、旦那はかなり怪しげだから仕方ない。それにしても、一体いつからの付き合いなんだろうか。
前に取り次ぎをしたときの感じからして、かなり親しいとは思うけど、そうなるといつ知り合ったのか。
東条さんが江戸に来たのは二年ほど前のこと。けどそのときには、監察方の人間が交代で東条さんを監視していた。だから知り合ったのはつい最近か、或いはずっと前。
そういえば、東条さんはなんで真選組を作った直後に消えたんだろうか。待ち人がいる…という話だったが、結局どこに行っていたのははぐらかされたままで、待ち人とやらも、いくら調べても誰かはわからなかった。それどころか、東条さんがどこから江戸にやってきたのかもわからずじまいで有耶無耶に………副長じゃないけど、東条さんにはどこか怪しさも感じる。
沖田隊長にもまだ、どこか東条さんを警戒をしている感じがある。
後は一度だけ、斉藤隊長が東条さんを連れてどこかに行った事があるけど…あの人はよくわからないからなぁ…。斉藤隊長といえば、いつの間にかいる…って感じの人だから、どうにも扱いにくい。
「って、そんなこと考えてる場合じゃない。東条さんを探さないとッ」
探さないと、副長にどやされる。
急いで踵を返して、そうして足元を布のような何かに取られて、俺は盛大にたたみの上に転がった。
上から何か白い布が被せられて視界が狭まる。
そして目の前に何かがカランと、乾いた音を立てて落ち。
「え?」
赤い隈取の狐と、眼が合った。
恐る恐る手を伸ばしてそれを手に取る。
確かにそれは現実として俺の手の中に納まり、被さった布をよくよく見ればそれは死に装束のような白い着物で。
ゆっくりと起き上がって振り返れば、壁に紛れていたらしい押入れが姿を現しており、土色をした扉が中途半端に揺れていた。
「何してんだテメェ」
不機嫌な声が掛けられて、慌てて振り返ると同時に手にしていた狐の面を後ろに隠そうとする。
しかしそんなことは無意味だったようで、すぐに副長に面を取り上げられてしまった。
しげしげと狐の面を眺める副長。
そうして、面を監察していたその鋭い眼光はそのままに、副長は俺を見た。
「ち、違いますよ!俺のじゃありませんからね!」
「んなこと疑ってねぇよ。
それより、何で隠そうとした?」
祭りの夜のことは、まだ副長には報告していない。
この辻斬りのことで確信を持ってから、と。そう思っていたのだけど、もうそれは通らないらしい。
「件の辻斬りのことで目撃者からの報告があります。
辻斬りの犯人らしき盲目の男の傍に、狐の面をつけた男がいた、と」
さらに、狐の面の男は高杉晋助と繋がっている可能性もある、ということを告げれば、副長の顔は厳しさを増した。
何を考えているのかは一目瞭然で。
「テメェ、何で今までそれを言わなかった。
………まあいい。東条を探して呼んでこい。今すぐにだ」
予想通りの命令を下し、狐の面と白装束を持って、副長は自分の部屋の方へと向かっていった。
東条さんと向かい合い、副長は開口一番にそれを告げた。
「謹慎…ですか。
理由をお尋ねしても?」
「お前の部屋からそれが出てきた」
東条さんの目の前に、狐の面と白装束を並べる。
じっと、睨むように副長が東条さんを見る中で、東条さんはただわからないといった風に首を傾げてから、表情を引き締めて副長を見返した。
「辻斬りの男と一緒に、狐の面をつけた男がいた、という目撃証言が出てきた」
「僕が、そうだと?」
副長は口を閉ざし、紫煙をたなびかせる。
そんな副長を見ていた東条さんは、ふっと表情を緩ませた。
「疑っているのなら疑っているで構いません。
謹慎処分、謹んでお受けします」
深々と頭を下げて言うと、東条さんは部屋を下がった。
やはり副長は東条さんには声を掛けず、俺に東条さんを見張るように命令をした。
慌てて東条さんを追って部屋を転がり出る。
東条さんにはすぐに追いついた。やはり表情はいつものまま。疑われているというのに、いつもと変わりない。
なぜか、と聞くと、やはり穏やかに、諭すように、俺に話をしてくれた。
「少なくともこうすることで、副長は僕の疑いを晴らそうとしてくれている。
一番手っ取り早いのは、ばっさりと僕を切ってしまうことだ。
まあそれはさすがにできないだろうけど…牢につなぐぐらい、副長権限で幾らでもできるはず」
自分の部屋にまでたどり着くと、東条さんは半開きになっていた扉を閉めて、副長から受け取った面を取り出した。
どこかそれを見つめる目には、いつもとは違う年賀篭っているように見える。
「何か思い出でもあるんですか?」
「妹に貰ったんだ……もうこの世にはいないんだけどね」
狐の面を見下ろしていた東条さんだったが、それを思い切ったように真っ二つに割った。
「い、いいんですか!?」
「僕の疑念を晴らそうとしてくれているのに、こんなものを持っていては仕方が無い」
言うと、東条さんはその割れた狐の面の片割れを、俺に手渡してきた。
しかし、東条さんの謹慎を期にぱたりと辻斬りは収まり、日に日に隊士たちの目は厳しいものへと変わっていき……当たる風の冷たさを感じながら、俺はそれを、東条さんの隣でじっと見据えていた。