Chasm(in silver soul/紅桜編)|花びらの剥離|坂田銀時視点
晴れているとも曇っているとも言いがたい、どっちつかずの天気の日。
紅桜の一件で負った怪我もようやく癒えてきて、そろそろ万事屋家業も再開しなければ、と寝てばかりで鈍っていた身体を慣らすためにぶらぶらと散歩をしていると、馴染みの団子屋に知った人間の姿を見つけた。
その人間は店先の長椅子に腰掛けて、目を覆うようにタオルを乗せて顔を空の方へと向けたままぴくりとも動かない。
俺が日差しを遮るように真ん前に立っても、気づいているのかいないのか、白い喉を無防備に晒していた。
「おーい、大丈夫かー?」
その顔からタオルをどけて問いかける。
すると、眼帯に覆われていないほうの目が俺を捕らえた。
「ダメかも」
へらり、と叶は少し焦点の合わない目で、俺の顔を見てきた。
三毛猫はいつの間にか叶の足元に移動していて、丁度いい、と隣に座らせてもらう。
全くの手付かずのまま放置されている団子を勝手に口に運び、世間話でもと思い出したことを俺は口に出した。
「真選組大不評だぞ」
「知ってる……その苦情処理が僕の仕事でもあるからね」
「なら、喧嘩の安売りしてんじゃねぇって伝えとけ。
で、何でまたそんなに真選組の奴らはカリカリしてんだ?」
ここ最近。真選組の隊士によるちょっとしたいざこざが頻発している、と耳にした。
行き過ぎた捕り物騒ぎならいつものことだが、これまでとは少し様子が違うらしい。
俺も新八から聞いた話だからなんともいえないが。
叶は少し迷った風を見せてから話し出した。
「………少し前に、浪士を狙った辻斬り事件、あったじゃない」
「あー…あったな」
まるで他人事のように返したが、紛れもなく俺はその件に関する当事者だ。
「あれとは、少し違うのかもしれないけど、辻斬りが横行してて…最近は真選組の隊士が狙われているんだ。
って…これは言っちゃいけないんだったっけ。ギンジだからまあいいか」
これ、口止め料ね、と叶は俺の口の中に団子を突っ込んできた。
それから、愚痴でも言うように状況をぽつぽつと話してきた。
辻斬りが再発したのは、先々週のこと。丁度俺がまだ布団に縛り付けられていた頃。
見回りの隊士がピンポイントで狙われているから、見回りのルートや人員がばれている模様で、真選組内部に緊張が高まっているらしい。それで、色々なところでいざこざを起こし、苦情処理係の叶が忙殺されかけている…というのが、この叶の憔悴の原因ということだ。
今のところ死者は出ておらず、大きな怪我をした隊士もいない。
だからこそ不安が高まり、かつ情報流出の経緯もわからないまま。
そうして喧嘩の大バーゲンっと。なんてわかりやすい奴らなんだ。だから犯人に手玉に取られるんだろうがと、どこかのヤニ臭い副長に心の中で悪態を吐いた。
「ギンジも気をつけてね。
さぁて、休憩終了っと」
「もう行くのか?」
「まあね。これからデパートと団子屋と…あとどこかの謝罪に回るところ」
叶が立ち上がるのにあわせて、俺も立ち上がる。
「俺もついていく。一人じゃ危ねェだろ」
「……ありがとう」
ぱたぱた、と叶の袴についた泥を払ってやると、叶は苦笑した。
土方君に睨まれながらも叶を屯所まで送り届け、俺は夜の街を歩いていた。
あの土方君の様子から察するに、俺と叶がどういう関係なのか知らないようだ。
吹聴するようなことでもないし、叶のことを考えれば伏せておくべきだろうと、甘味仲間ということにしておいた。
それにしても、叶は何で真選組なんかにいるのだろうか。
いつまでもふらふらしているのは確かに関心しないが、何も真選組でなくとも、と思う。
それに………叶は何も考えていないようで、行動に無駄が無い。
何か真選組でやりたいことがあると…。
そこまで考えて、背後に膨れ上がった殺気に、俺の身体が勝手に反応をした。
真横を通り過ぎる紅の刃。
新調したばかりの木刀を引き抜いて構えを取り、月明かりに照らされたその姿を見て俺は目を見開いた。
「テメェ……似蔵!!」
灰色の髪。閉ざされた双眸。
それは先日対峙した岡田似蔵に間違いなかった。
しかし、おかしな話だ。
この間の戦いで、似蔵は死んだはずだし、ヅラの手抜かりでなければ紅桜は完全に破壊したはず。
けれど、目の前にいるのは似蔵で、あの禍禍しさはなかったが、確かに似蔵の手の中にあるのは紅桜。
一体どういうことだ。
思考の途中だというのに、空気の読めないそいつはまた俺に突っ込んできた。
「ったく、ねちねちねちねちしつけぇヤツだな。姑かてめぇは!!」
似蔵は、何の反応も示さなかった。
明らかに様子がおかしい。
「随分静かじゃねぇか。キャラ変えか?」
やはり答えない。
執拗に俺に向かって斬りつけてくるばかりで、埒があかない。
「いい加減にしやがれ!!!」
大きくその頭を打つと、似蔵はその場に倒れた。
「これで、終い、だな」
悪寒が走り抜けて、似蔵から飛び退った。
倒れていた似蔵が再び起き上がる。
刀を構えず、何事もなかったように歩き、俺の横を通り過ぎて行く。
そして似蔵が歩くその先に。
赤い隈取の。
狐がいた。
見覚えのある、狐の面。
白装束。
身体に巻かれた包帯。
短い黒い髪。
まさか………。
「待て!!」
声をかけて追いかけるも、結局追いつくことはできず、姿を見失ってしまった。
似蔵との二度目の戦いの後、真選組の屯所へと俺は蜻蛉返りをした。
時刻はすでに日付が変わらんとする頃合いだから、快い対応を期待せずに、けれどしつこく屯所の扉を叩き続けた。
「旦那ァ。今何時だと思ってるんですか」
「悪ィな」
悪いと思ったから悪いといっただけなのに、気味が悪い、と応対に出てくれたジミーがあんまりな反応を返してきた。
「叶はいるか?」
「東条さん?あの人は多分寝てると思うけど」
「ちょいと用があるんで、呼んできちゃくれねぇか?」
怪訝な顔をしながらもジミーが奥に引っ込んで、そして眠たげに目をこする叶を引っ張ってきた。
その姿を見て俺は小さく緊張した。
もしもあの狐が………。
「……一体何時だと思っているんだい、ギンジ」
俺の思考を阻むように叶は俺に言った。
叶のその様子は、いつもとなんら変わるものではない。
だから俺も、いつもと変わらない様子を心がけて、叶に向いた。
「まだ十時前だ。随分早い就寝じゃねぇか」
「君は失念しているようだけれど、僕は君よりもずっと年上で、結構な老体なんだ。
老人は早くに眠るもので………ギンジ」
厳しく俺の名を呼んだ叶は、一歩、俺に近づいた。
俺はぎくりと身を固くして構え、しかしその必要がなかったことがすぐさまわかった。
「全く…いい年なんだからそろそろ落ち着いたら?」
苦笑しながら、叶は袖で俺の頬を拭った。
いつの間に頬を切ったのか。叶に触れられたことで、初めて痛みを感じた。
「いらねぇよ」
「わかってるよ」
為すがままにされながら考える。
俺がここにまっすぐに来た。それも早足で。
その俺よりもずっと早くここまでたどり着き、着替え、部屋に戻る。
それだけの動作をこの真選組の人間に見つからずにできるだろうか。あのドンくさい叶が。
そもそも、この屯所を抜け出すことすらも無理だろう。
あの鈍さが演技だったとしても、それこそ空間を飛び越えでもしない限り、時間的に無理だ。
ありえない。
そう思ったら、何を馬鹿なことを考えていたんだ、とそれを鼻で笑い飛ばした。
「邪魔したな」
そう言って、首を傾げる二人をその場に残して、俺は屯所を出た。
のだが。
「ヤローのストーカーなんて、ぞっとしねぇんですけどォ」
わざとらしく立ち止まって振り返れば、やはりそこには真選組副長、土方十四郎の姿。
「東条とはどういう関係だ?」
「だーかーらー、言ったじゃない。ただの甘味仲間だって」
「んなもん信じられるか」
「ったく。テメェはただのアイツの上司だろ。交友関係の把握は野暮ってもんなんじゃねぇの?」
「そりゃ相手次第だ。テメェとつながりがあるってだけで十分怪しいってのに、こんな時間に何をしにきやがった」
探るような厳しい視線が浴びせかけられる。
「別に。ちょっと顔が見たくなっただけだ」
納得していない様子の土方の追求をのらりくらりと交わして、一方的に話を打ち切った。
きっと見間違いだ。
きっと気のせいだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は万事屋に帰った。