Chasm(in silver soul/紅桜編)|おやすみも同じ音階で|高杉晋助視点

 桂の一派が、直接的な武力行使にやってきた。
 いずれこうなっていただろうことは明らかだが、"今"こうなったのは似蔵の責。
 なら、奴等全部を片付けさせようと発破をかけ、甲板に出ようと廊下を歩いていると、先の方から、ぱちぱちと、気の抜けた拍手の音が聞こえてきた。

「同志なんて甘っちょろいものじゃない、か。羨ましいね…っと」

 刀を鞘走らせて逆袈裟に斬り上げる…が、やはりというか、切っ先は紙一枚分の隙間だけを空けて相手に届かずに制止する。まるで見えない壁がそこにあるかのように刀は僅かも動かず、風圧もあったはずなのに、髪の一本も揺らせない。その肩に乗っている猫も、刃を一瞥すらしない。
 悠然と。叶は俺の前に立っている。

「吃驚した。酷いなぁ、晋助」

 そして、何も無かったかのように、叶はくすくすと笑っただけだった。
 虚勢でも強がりでも、なんでもない。俺の今の行動は、叶にとって本当に取るに足らないことだったのだろう。
 普段なら受け流せるそれが、先ほど似蔵に言われた言葉も相俟ってか、今は酷く気に障った。

「なんでテメェがここにいる」
「君たちがドンパチやりだしたから、真選組にも出動命令が出たんだ。
近隣の避難誘導のため…だったかな。
まあ海上だから、港の辺りで様子見してるところだよ」
「で?」

 俺の問いに対する返答になっておらず、そこで言葉を止めようとした叶に先を促す。

「僕は屯所でお留守番」
「してねーじゃねェか」
「暇だったから、様子見に」

 そして、例の如く透明人間になって、似蔵の苦しむ様を見てたってことか。

「テメェも大概、悪趣味だなァ」

 何のことか、と叶は首を傾げる。
 白々しい、と俺は抜いた刀を鞘に納めて続けた。

「似蔵の腕。ありゃテメェの仕業だろう」

 ああ、と合点がいったような声を叶は発し、しかし細い腕が叶の前で左右に揺れて俺の言葉を否定する。

「仕業、なんてほど大層なものじゃないよ。
"鉄"を好むアレに、最も身近な"鉄"の味を覚えさせただけ」
「やっぱり、悪趣味じゃねェか」

 喉で笑って言ってやると、そうかもね、と漸く叶は認めた。
 船が浮かび上がる感覚と同時に外から轟音が響き、床が傾ぐと同時に叶の身体が倒れかけたのを片手で支えてやる。
 いつの間にか、ささくれ立っていたはずの精神が静けさを取り戻していた。

 断続的に続いていた砲撃の揺れが収まりつつあるのは似蔵が暴れているからだろう。
 自分から動く気は更々ねェが、見物に行くのは悪くない。

「来い。特等席を用意してやるよ」
「それは嬉しいね」

 歩き出した俺に、叶が続く。
 ただし、あの間延びした独特の下駄の音は、一度も聞こえてはこなかった。





 憎憎しげに俺の名を叫び、対峙していた桂が去った後、上から影が落ちてきた。
 今度は下駄の音がしっかりと耳に届いた。

「どこに行ってたのかと思えば、高みの見物たァ、いいご身分じゃねェか」
「下は騒がしくていけない」
「だからいいんだろうが」
「どうやら晋助と僕とでは"特等席"の意味合いが違うらしい」

 船が大きく傾いている。
 そろそろ落ちるだろう、とめぼしをつけて、峰打ちされた部下を蹴り起こして春雨の船の方へと向かう。
 途中、似蔵の傍で気絶して転がっている武市と来島を部下に拾わせた。

 叶は転がっている折れた紅桜を拾い上げ、似蔵を見下ろしたまま動かない。
 苦悶に満ちた顔のまま事切れた似蔵は、だらしなく口を開きっぱなしにして仰向けに倒れていた。

「玩具が壊れちまって、残念だったなァ」
「そうでもないよ」

 しゃがみ、薄く開いていた似蔵の目を閉じさせる。
 早く逃げるように、と促す部下を先に行かせ、叶の隣に並んだ。

「もとより、村田にも何も期待などしていなかった。アレの本領はもっと他にある。
まあ、たくさんの血を紅桜に吸わせる切欠を作ってくれたことに関しては、礼の一つぐらい言ってもいいけどね。
けど、船一つ分まで肥大させて、電脳化を図るなんて……改悪もいいところだ」

 だから、と。似蔵の身体に剣を突き立てる。
 ばばら、と。刀は崩れ形をなくして溶けて消えいく。

「何も、問題は無い」

 ずぷり、と。似蔵の身体の中に叶の手首から先が沈んだ。

「やはり有機生命としての形を維持して扱うのは無理があったか」

 ぐちゃぐちゃと、肉をかき回す音が響く。
 そのたびに、小刻みに似蔵の身体が痙攣する。

「こんなもんかな」

 ずるり、と。叶は手を引き抜いた。
 先ほどまで身体の中に手を突っ込んでいたはずだというのに、似蔵の身体には傷が…少なくとも叶につけられたはずのものがない。
 しかし、錆び色の液体が、叶の手から雫をたらしていた。

「随分と可愛げのないパペットだけど、もう少し遊ぶ分には十分かな」

 ねぇ、と東条は似蔵に囁く。
 応えたのは、光の無いままに開かれた似蔵の瞳。

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