Chasm(in silver soul/紅桜編)|花の粘膜|村田鉄矢視点
誘いを受けた先の船の上で、私は頭を抱えていた。
父の最高傑作である名刀紅桜。
その強さを更なる高みへと極めんがために機械技術を研究し、そして人工知能という可能性に至ったはいいのだが、どうしようもない難問が横たわり、手詰まりとなっていた。
内容がないようなだけに、相談できそうな相手も思い浮かばない。
この船には多数の技師が乗っていたが、人工知能というのは極めて新しい分野。研究しているものはごく僅かどころか、自分以外にはいないだろう。
どうしたものか…と、書物に埋もれて考えていると、甘い煙の香りと共に人の気配を感じて頭を上げた。
「調子はどうだ?」
煙管から煙を揺らめかせ、じっと高杉殿が私を見下ろしていた。
金銭的、技術的助力を大きく受けていながら、情けないことにその高杉殿を喜ばせられるような成果は手元にはない。
所詮は利害一致の関係。さらに言えば、優位は高杉殿にある。
もしも研究が滞っていることを理由としてここで援助を打ち切られてしまっても、こちらとしては何も言えない。
それどころか、自分がここで命を落としたとて、反論できるような立場にはないことは重々承知している。
然りとてここで綺麗な嘘偽りを並べるは易いが、そんなことをしても無益。
かといって現状を事細かに説明すること等求められていないのは解っているので、端的に要求だけを述べることにした。
「済まぬ、高杉殿!今しばらく待ってはいただけんだろうかッ!!」
「別に急かしに来たわけじゃねぇよ。テメェに興味を持ったヤツがいてな。連れてきた」
高杉殿の後ろから、一本足の下駄の音を鳴らし、肩に三毛猫を乗せた一人の人間が出てきた。
痩身に纏うのは死者が身につけるような白装束。
その袖や裾から覗く手足は満遍なく包帯に覆われて、耳以外からは肌の色が窺えず、男か女かすらもわからない。
その顔も狐の面に覆われていて瞳の色すらも、私には見ることが叶わなかった。
「随分と煩悶しているようだな」
「何だ貴様は!名を名乗らぬかッ!!」
挨拶等の前置きも無く言われたその言葉にカッとなり、高杉殿が連れて来た者だということも忘れて、怒鳴ってしまった。
しかし、私の怒りなど何処吹く風、といった様子で、狐殿は私の前で腕を組み、そして言う。
「見ての通り狐だ」
「そんなことは見ればわかるッ!!」
「我も貴様が刀鍛冶であることぐらい見ればわかる。ならば呼称等という些事に拘る必要はあるまい。
して、何に懊悩しておる」
狐の面の向こう側から、問いかけられた。
気に障る者ではあるが、高杉殿が連れてこられた者なのだから、何かしらの才があってのことだろう。
このような不躾な輩との会話に有益なものがあるかどうかは不明だが、話しているうちにいい案が浮かぶやもしれん。
そう思いなおした私は、紅桜を狐殿の前に掲げ、言った。
「紅桜にカラクリを仕込み、刀の使い手と刀が一体になるようにしたいのだが、うまいこと事が運ばぬのだッ!!」
そう切り出し、私は説明を始めた。
現状を狐殿に説明をしながら、己でも状況を整理して行くが、やはり原因がつかめない。
いや、原因については大方の見当はついている。だからこそ、打開策が見当たらない。
一通りの説明を終えたところで、ふむ、と狐殿は一つ唸った。
「つまりは伝達回路の不全か」
指摘の通りであった。
人と物。有機と無機。
それら相反する二つを一体にするのが困難を極めるであろうとはわかっていたが、ここまでとは思わなんだ。
「神経系への接続の甘さが、宿主に負荷をかけるのだろう。より高度で自立的な探索方式の構築が急務だな」
「しかし、人工知能には限界があるッ!!
人体に張り巡らされた神経系は情報が膨大で、今の人工知能の知性ではそれらの把握は僅か1割しか叶わぬッ!!」
「ならば人工的なものに頼らなければよいだけの話ではないか」
何を悩んでいるのか、といわんばかりに、事も無げにあっさりと狐殿は私に言った。
「人工的でないもの?誰かの脳味噌を刀にくっつけろとでも言うのかッ!?」
「人工的でないなら自然的だとわかるのに、何故そこで人の脳味噌へと飛躍する。理解しがたい」
「しかし知性を持ってるのは、」
「知性とは」
私の言葉を遮り、狐殿は語る。
「情報を集積し、蓄積した情報を自発的に処理する能力レベルによって判定される。それらには様々な形が存在し、また有機的なものだけでなく無機的なものにも自然的に発生する。むしろ有機的なもののほうが宇宙全体を見れば希少といえる。有機体は情報の集積と伝達速度に絶対的な限界があるため、それら情報生命体の大多数を感知できず、同時に理論構造を理解できないという話だ。高次な知性を持つものほど肉体といった脆弱な物理的回路に依存せず、実体を伴わない。
要約すれば、知性を持つのは人だけではないということだ」
狐殿の袖から取り出され、目の前に置かれたのは、刀の鍔だった。
何の変哲も無いように見えるが、こうしてわざわざ講釈を垂れた後に渡してくるのだから何らかの仕掛けがあるのだろう。
手に取り、しかしやはり何なのかわからぬので、狐を見上げた。
「遷移元素に強く適合する共生型情報素粒子」
問いかけるより前に答えが返ってきた……が、何を言っているのかはわからなかった。
「何だそれはッ!!」
「非常に原始的な情報体。遷移元素に共生し情報メモリを増大させ、情報の集積と伝達のための思索ネットワークを構築する。その思索は原始的であるが故に極めて限定され、意識の獲得にまではいたっていないが、非有機的な知性体としては極めて高いレベルにあり………………カラクリとは少し系統の違う、鉄に結びつく高性能な人工知能とでも考えてもらえばよい」
私がほとんどの話を理解できず聞き流してしまっているのが伝わったのか、最後は完結に言い放った。
「つまり、今使っているカラクリより優秀な人工知能というわけだなッ!!」
「………そうだ」
なぜか疲れたように米神に指先を当て、溜息混じりに狐は肯定し、去っていった。
あれからしばらくして、紅桜は完成した。
あの狐殿に貰ったアレを用いた途端、回路の不全も接続の不良も全てが解消された。
それにより使用者への負担は更に大きくなりはしたが、戦艦十隻相手にできる力の代償と考えれば安いものだ。
刀の完成を高杉殿に知らせると、すぐに高杉殿は狐殿と共にやってきた。
こちらとしても、礼を言いたかったところなので願ったり。加えて紅桜の性能についても説明をしたいところであった。
何しろ、この鬼兵隊の中で真に紅桜の性能を理解できそうな者は狐殿しか思い浮かばない。
「見事なものだな。ここまでアレの能力を昇華させるとは…」
狐殿に紅桜に付随させた"戦闘データの解析"という能力を説明すると、狐殿は感嘆の声を漏らした。
私が仮に電魄と呼ぶ狐殿から渡された人工知能は、狐殿の言っていた通り鉄に非常によく結びついた。
ならばと、人の中の鉄…つまり血液から人の解析ができないかという私の試みは、見事に成功した。
これならば、一度戦い、紅桜が血を吸った相手に負けることは無い。
まさに無敗の刀。まさに無敵の刀。
究極の美がここに完成した。
「しかし……まさか真に仕果せるとは思わなんだ」
「私の腕を疑っていたというのかッ!?」
「最大の賛辞を送ったつもりであったが、貴様には侮蔑の言葉となったか」
申し訳ない、と言葉だけで謝罪を述べ、そして高杉殿が掲げる紅桜に視線を移した。
「人の業の深浅漂う……正に妖刀だな」
刀身を夜空に翳すと、緋色が月を二つに割った。
美しい。見ているだけで陶酔感を覚える。
高杉殿も心なしか満足気で、私は己の欲求が満ち足りるのを感じた。次に、狐殿の言葉を聞くまでは。
「だからこそ憐憫を誘う」
「何だとッ!!」
「事実を述べたまで。一級の刀など、一級の使い手が居らねばただの鉄の棒に過ぎぬわ」
確かに……と、逡巡するが、自在に紅桜を使いこなせるほどの侍に心当たりは無い。
ここにも一級の使い手はいるだろうが、使用者に寄生することでその体をも操る紅桜を扱うには人を捨てねばならない。
刀に操られることを良しとする、最上の使い手を探すのは容易ではない。
剣客として、忠実に。そして誠実に。堅実に。
何者にも縛られること無く、ただ"斬る"という一点にのみに一切を捧げ、殉ずることのできる使い手。
刀を作り上げる以上に、得難いものか…。
「問題ない。それに関しては心当たりがある」
言ったのは高杉殿であった。
「仕事の速いことだ」
狐殿が初めて、仮面の向こう側で笑った。
「そうだ!この間の礼をさせていただきたいッ!!」
思い立ち、毎日神棚に置いておいている皿を下ろし、狐殿の前に差し出した。
それを見た狐殿は、ややあってからこちらに問いかけてきた。
「………これは何だ?」
「この間の礼だッ!!狐といえば油揚げだろうッ!!」
「…………………成程」
長い沈黙の後、狐殿は面を少し持ち上げて、一つそれを口に運んだ。
高杉殿が肩を揺らしているのが気になりはするが、どうやら間違いはなかったようだ。
私は刀匠としての達成感と満足感に包まれていた。