Chasm(in silver soul/邂逅編)|君の眸開く庭|山崎退視点

 阿鼻叫喚。
 眼下の光景はまさにその一言に尽きた。

 祭りが最高潮に盛り上がったところで始まったテロ。
 混戦の最中から将軍を護送し、何とか民間人は輸送し終わりはしたが、しかし突如としてこちら側に攻撃を仕掛け始めたカラクリはなかなかその活動を停止しない。鋼でできたその身体には刃が突き立たず、局長や副長でさえも苦戦しているようだ。
 かといって俺が参加したところでむしろ事態が混乱するのは明白で、こうして太鼓が据え置かれた櫓に登って、高いところから残っている民間人がいないかを探していた。
 勿論探しているのは民間人だけではない。
 確証は無いが、こんな大それたことをするのは高杉に違いないから…どこかにその姿がないかと、目をさらにして戦場を睨みつけていた。

「良い眺め、と。そうは思わぬか、若造」

 いきなり湧いて出た声が、俺にそう言った。
 そいつの接近に全く気がつかず、横を向けば、そこには狐の面をつけた男が立っていた。
 まるで死装束のような真っ白な着物は、舞い上がる土ぼこりで喉が痛みそうな中でも汚れておらず、この場にいることにひたすら違和感ばかり感じる。

「地獄絵図、というには朱が足りぬが、なかなかどうして祭りの催しとしては悪くない」
「何をッ」
「喰うか?」

 怒ろうとしたところで差し出されたのはたこ焼き………仮面をつけたままで、この男はどうやってそれを食べる気だったのか。
 答えないでいると、器ごと押し付けられた。

「アンタは…」
「ただ祭りを見物に来たのみ。好きに呼べ」

 誰なのかを聞こうとするけど、はぐらかされてしまった。
 いけない。ものすごい怪しげな臭いがするってのに、どうにも警戒が緩んでいる。
 とはいえ、もう斬りかかる雰囲気じゃなくて………とりあえず、受け取ったたこ焼きを口に運びながら、横目で狐の様子を見ることにした。

 狐は、じっと戦況を見下ろしていた。
 まるで、この空間だけが切り取られたような錯覚に陥る。
 何を考えているのか、何を感じているのか、さっぱり僅かにもわからない。

「狐…さんは、ここで一体何を?」
「言ったろう。見物に来ていると」
「それはつまり」
「否。我が策に非ず」

 しかし、と狐は続けた。

「晋助は派手好きが過ぎる」
「テメェに言われたかねェよ」

 どこからか甘い香りが漂ってきて、俺の背後にそいつの姿を見つけた。

「高杉ッ」

 俺は腰の刀を抜こうとして、手を柄にかけ………そのまま身体が動かなくなった。

「生き急ぐな、若造が。
動けばその首、身体から離れるぞ」

 喉元で笑いながら、狐が俺に言う。
 だからといって、敵を目の前にして放置できるわけがないけれど、自分の身体が全く言うことを聞かない。
 現れた高杉は俺になど目もくれない様子で、俺を超えて狐に視線を向けた。

「首尾は?」
「テメェが余計なことをしてくれたお陰で台無しだ」
「それは上々」

 狐が淡々と言うと、高杉が飢えた獣のような目で狐を見据えた。
 高杉から発せられる空気で、俺の奥歯がみっともなくがちがちと鳴る。呼吸すらも躊躇う。ただそこにいるだけなのに、首を鷲づかみにされて、命を握られているような。今すぐに意識を飛ばせば楽になるだろうし、逃げ出したくてたまらなかったが、そこだけはなんとか堪えて、この場に踏みとどまった。
 その高杉の視線を真正面から受け止めている狐は、先ほどと何も変わった様子はない。
 気のせいでなければ、むしろ楽しそうにすらしている。

「何で将軍を助けた?テメェが何もしなけりゃ、俺が殺って終わりだったってェのに」

 高杉は俺が聞いていることなど全く気にしない様子で、計画していたことを口に出す。
 計画では、将軍の乗った車を爆撃して足止めし、中から将軍と僅かな護衛が出てきたところを斬り殺し、河原にその首を晒す…と。そういう手はずになっていたらしい。だが、狐のせいで砲撃そのものが中止となり、将軍は無事に本城に入られ、暗殺は不可能となった。そういう顛末だったようだ。
 祭りの会場の大量のカラクリのせいで、将軍の方に避ける人材は少なかった。周囲を固めていたのも戦車ではなくただの黒塗りの車………まるで不可能だったわけではない。
 狐がいなければ、将軍も俺も、高杉とその手勢に殺されていた。

 一通りの高杉の苦言を聞き届けた狐は、間を置いて低い声で、なんでもないことのようにそれを口にした。

「いずれは殺す。が、今はその時ではない」

 案ずるな、と、俺としては全然安心できないように狐は言った。
 ここで斬り合いにでもなるかと思いきや、高杉は喉の奥で笑っただけだった。

「まァいい。俺ァ今、機嫌がいいからな。
テメェの道楽の一つや二つ、見逃してやらァ」
「それは、何より」

 最後の一言は互いに顔すら合わせず、そうして高杉は俺に一瞥すらくれずに雑踏の中に消えていった。

 二人して、俺のことなど、まるで眼中にない。
 そう思ったら、沸々と怒りが湧いてきた。

「将軍を殺す、なんて。よくも言えるね」
「できぬと思うか?」
「できないよ」

 俺達がいる限り。
 自信を持って言うと、狐は俺を鼻で笑い、

「今宵は、井底の蛙がよう鳴いておるようだ」

そう言いながら、動けない俺の背中を蹴って、

「え、ちょ」

俺は戦場の真ん中に、落とされた。
 途端に、身体の硬直が取れる。

 地面についてから見上げると、もうそこに狐の姿はどこにもなかった。

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