Chasm(in silver soul/邂逅編)|中身のない眸で 見詰めても|桂小太郎視点
「貴様は何者だ」
銀時が跳躍し、再び化け物に向かった直後。
俺は、東条叶と名乗った男に問いかけた。
「随分と、不躾だね。ついさっき握手を交わした仲だというのに」
男は俺を見ることなく、視線で銀時を捉えたまま返答した。
横顔から窺う瞳には、言葉とは裏腹に僅かな揺らぎもない。
同じように、その肩に乗る三毛猫も銀時の姿をその目で追い、耳を澄ませば威嚇とはまた違う小さな唸りが聞こえた。
「俺は、貴様の姿と名に覚えがある」
はっきりと告げると、感嘆の声が漏れ聞こえた。
「君たちと顔を合わせたのは一度だけなのに、皆よく覚えているね。そんなに僕って印象深いかな」
「それはつまり、既に高杉とは接触したということで相違ないな」
東条からの返答は無い。
無言の肯定か、或いは黙秘か。
手の内をどこまで明かすべきか、と考えながら言葉を選ぶ。
「俺の部下から得た情報によれば、京都や大阪で見かけた高杉の傍には、狐の姿があったらしい。
貴様だろう」
「はてさて。なんのことやら」
「恍ける気か」
「真面目だね。でも、僕には何のことだかさっぱりわからない」
クスクス、と、耳障りな笑いが隣から響いてくる。
口から出るそれは嘘か真か。
高杉の隣にいたというあの情報が本当ならば、考えられる可能性は一つだけ。
確かに高杉とは会っていないが、しかし相手の考えがわからないほど安い付き合いをしていたわけではない。
今のヤツならば、世界を恨み、憎み、破壊しようと考えていて不思議は無い。
この男はあの狐であることを否定しなかった。今の高杉と隣り合うならば……松陽先生の懸念を現実のものとしようとしているのだろうことは、想像に難くない。
「………松陽先生は酷く貴様のことを気にかけていた」
「"気にかけていた"なんて柔らかい言葉の割には、棘のある言い方で」
「松陽先生は、貴様がいつか何かとんでもないことをしでかすのではないか、と憂いておられた。
それこそ世界を転覆させるほどの事をするだろう、と」
「旧友だというのに、松陽は容赦のないことだ」
「否定せんのか」
「否定したところで、君は納得しないでしょ」
化け物の断末魔が響いて、ようやく東条は俺を見た。
瞳に乗る色は、果てのない無関心。
俺を見ているようで、その実、空に浮かぶ雲ほども気にかけていないようであった。
「貴様は一体何を考えている」
「何も」
「ならば貴様は、一体江戸に何をしにきた」
「ちょっと遊びに」
「戯言を」
「攘夷派筆頭の桂小太郎は心眼でも心得ているとでも言うのかな?何を根拠に僕の言葉が嘘だと?」
俺の名を強調し、せせら笑うように東条は言う。
そういえば、と思い出したように、ただの世間話のように、東条は切り出した。
「君は穏健派に変わったと聞いたのだけれど、本当?」
「……………」
「ああいや、責めていたりとかそういうことはないよ?
むしろ喜ばしいと思う。もしもそうだというのなら、僕にとってそれ以上のことはない」
俺が邪魔だ、ということか。
そう問えば、曖昧に笑みで濁して、東条は肯定も否定もしなかった。
「…再度問う。貴様はこの江戸で、この国で一体何をするつもりだ」
「何度問われようと、君に対して返答を変えるつもりはない。"遊びに来た"。それだけだよ」
「随分と俺は嫌われたようだな」
「嫌う?何を言っているんだい?
僕は君に失望しているんだ」
役立たず。
そう、東条の口が動いたように見えた。
俺への関心のなさとは裏腹に、東条は銀時はその中に確りと捉えていた。
湛えられる優しさは狂気を孕んで、差し出す手の指先には毒が巡る。
人一人を殺すことはできないだろうが、多くを死滅させることができる。
かつて、松陽先生は東条をそう評した。
その言葉の通りに多くの矛盾を抱え、かつての仲間を、この国を、破滅へと導こうとしているのか。
………させてなるものか。
拳を握り締めると、骨が軋む音がした。
「この国も、高杉も、銀時も…貴様の好きにはさせん」
「好きにすればいい。どうせ、今の君には何も出来はしない」
精々足掻けばいい。
そう東条は俺に言ったが、やはりそこには幾らかの温度もなかった。