Chasm(in silver soul/邂逅編)|いま未来を差し出す|坂田銀時視点

 次に目覚めたときには、星空が広がっていた。
 夏だといっても夜は冷える。だというのに、身体は温かい。
 どうして、と身じろぎをして、横を見て……

 うぇええぁあああ!?

 狐がすぐ傍にあって、声にならない悲鳴を上げた。
 逃げようにも、狐の腕が俺の身体を捕えていて………ってあれ?人間の手?

「……起きたの?」

 俺の様子を確認し、ゆっくりと狐は俺から離れて起き上がった。
 同じように俺も起き上がる……?

「体の調子は?」

 高い声が降ってきた。

 眠る直前はあんなに体がだるくてたまらなかったのに、今は全然そんなことない。
 腕を上げたり、手を握ったり開いたり。立ち上がることだってできる。
 自分の変化に首を傾げながらも、まあいいやと、細かいことは考えないことにした。

「ほら」

 狐が何かを俺に差し出してきた。
 水筒に饅頭が三つ……俺はすぐにそれに飛びつき食いついた。
 食べて飲んで飲んで食べて。喉に詰まらせて咽せながら、全部を噛み締める。
 腹の中に食べ物が溜まる。水がしみこむ。

「生きているのがそんなに嬉しいの?」

 狐の指先が、俺の頬に触れた。

 全てを食べ終えたところで、まだ礼を言っていないことに気がついた。
 ありがとう。
 そう言おうとしたのに………声が出なかった。

 ぱくぱくと口を開閉しながら声を出そうとするが、一向にでてこない。
 頭から血の気が失せて、真っ白になる。

「声が出なくなったみたいだね」

 混乱する俺に、淡々と狐が言った。

「大丈夫。そう震えずとも、きっと精神的なものだろうから、そのうち元に戻るよ。
ほら。もう一個ぐらい食べときなよ」

 そっと手のひらを上に向けさせられて、その上にまた饅頭が乗る。

 どうして生かしてくれるのか。
 顔を上げても、見えるのは、表情の無い狐の面。
 いや………答えなら既に持っている。あの気を失う直前の言葉が答えなのだろう。

「そういえば、君の名前は何だろうね。その調子じゃわからないから適当に呼んでいいかな。白髪とか」

 何その軽い虐めみたいなあだ名。最悪なんだけど。

「ふさふさ。天パ。猫っ毛。白。もやし……しっくりこないね」

 来てたまるか。まともなのが何一つ無い。っていうか、何で全部髪ネタ?
 大体、これは白じゃなくて銀だし。

 そんな名前で呼ばれてはかなわないと……と辺りを見回して、自分が木の根元の辺りで野宿していたことに気がついた。そんなに体が痛くないのは、きっと狐が俺を抱えていたのと、落ち葉が敷かれていたからだろう。ぼんやりと考えながらあるものを探し、そして外だからか、それはすぐに見つかった。

 探し物…手ごろな木の枝を拾って、地面を削るようにして文字を描く。
 寺子屋なんてまともに行ったことないから文字なんか知らないけど、唯一自分の名前だけは教えてもらったことがあるので形を覚えていて書くことができる。
 漢字を二文字。地面の上に並べてとんとん、と枝で地面を叩いて示した。

 狐は隣から覗き込むようにして文字を読み…そして俺に言った。

「ギンジ…かな?」

 銀時。

 そう描いた文字を狐は迷いながら読み上げ、そして間違えた。
 まさか狐が字が読めないとは思わなかった。狐だから仕方が無いのか?いやでも、ただの面つけてる人間だろうし…。

 とにかく、ギンジじゃなくて、ギントキだから。ぎんとき。
 声が出ないから口の形とジェスチャーだけで何とか伝えようとする。
 が。

「何か違うみたいだけど、まあいいか」

 よくねぇよ。
 前に隣に住んでたばあさんは、まち子をみち子って呼んだだけで激怒してたし、名前が間違われるのは気分悪ィだろうが!

「訂正させたかったら、声を取り戻すことだね」

 狐はそう言って……結局、声を取り戻した後でも訂正は叶わなかった――……。





 現場に駆けつけると、吹き飛ばされて座り込んだ神楽に触手が追い討ちをかけんとしているのが見えた。
 神楽は銃の仕込まれている傘を構えて触手に銃弾を撃ち込むが、落とせたのは迫り来る五本の内の三本。二本は僅かに勢いを殺しただけで、まっすぐに神楽へと向かっていく。神楽は動かない…いや、動けない。
 今ので残弾が尽きてしまったらしい神楽は、頭の上で水平に攻撃を受けるべく傘を構える。だが、あの座った体勢で受ければ触手の勢いは殺せずまともに衝撃を食らってしまう。いくら神楽が強いとは言っても、あれを受ければ腕の一本イカレてもおかしくはない。
 到達まであと十秒と少し。
 間に合え、と俺は全力で踏み出し跳躍し、神楽の目前にまで迫った触手の二本を纏めて木刀で薙いで払った。

「銀さん!!」
「遅いネ、銀ちゃん!」

 触手につかまれたままの新八と、背中から聞こえた神楽の怒鳴り声で二人の無事を確認し、俺も一つ息を吐けた。
 だが、事態は何も好転していない。
 神楽にやられたはずの化け物の触手は、いつの間にか修復が完了してしまっている。
 切ってもまたすぐ生えてくるって有りかよ。反則だ。

「すまねぇ!!新八!今助けるぞ!!」

 そうは言ったものの、容易には近づけない。
 こちらの腕は二本。相手の腕というか触手は二桁。余裕が違う。
 考えているうちに、触手は自らが確保している餌…つまりは新八を口らしきところへと運ばんとして動き出した。

「新八ィ!」

 神楽の、悲鳴にも似た叫びが新八の名を呼び、そして飛び掛る。

「神楽!!」
「神楽ちゃん!!」

 我武者羅に飛び込んだ神楽がまともに触手に跳ね飛ばされ、民家にめり込んで気を失った。
 神楽の奇襲で新八を掴んでいた触手の動きは止まっているが、しかしそれだけで、状況はむしろ悪化した。

 早々に決着を、と木刀を構えた俺の肩にヅラの手が乗り、強い力で引き止められた。

「銀時。闇雲に攻めても無意味だ」
「わかってるッ!」

 わかっている。そんなことは、最強の戦闘種族として名高い夜兎である神楽が近づくのすらも叶わないことで承知だ。
 だが、新八は身じろぎすらできず、神楽は気を失ったまま動かない。
 使えない警察は未だ到着もしておらず、影も形も見当たらない。

「そんなに助けたい?」

 いつの間にか隣に叶の姿があったことに、声をかけられてようやく気がついた。
 危ないから下がってろ、と怒鳴ろうと口を開けるが、黒い瞳が俺の目を射抜き、言葉を飲み込んだ。
 気付けば木刀を持つ俺の手に、叶の手が乗っていた。力はあまり篭っていない。だから、振り払うのは容易いだろう。
 けれど、そうすることはできなかった。

「助けたい?」

 再度、問いかけられる。
 その声色は、最初に出会った日と何一つ変わらない。
 言葉は違うというのに、"死にたい?"と、あの日から再び訊かれたような、そんな気がした。
 この場所だけ、過去に戻ったように錯覚する。

「……ああ。絶対に助ける」

 "生きたい"と。あの日と同じ選択を、明確に俺はする。

「そっか」

 "ならば――……"、と。
 あの最初に出会った日に、叶が俺に向かって紡いだ言葉が鼓膜に蘇った。

 叶は俺から化け物へと視線を移し、すっと指先で何かを示した。
 指先の示すほうを見ると、ピンクの肌に埋もれるようにして黄色の何かがある。

「あの触手みたいなの、あそこを守ろうとしてる」

 確かに、言われてみれば、あの黄色の辺りに触手が集中している…ようにも見える。
 本当に化け物にとって重要なものなのかはわからないが、試してみる価値はありそうだ。

 木刀を握り締めると、そこにはもう叶の手は乗っておらず、叶は一歩下がったところで俺を見ていた。
 化け物の方へと踏み出した俺の耳には、野次馬のざわめきも、ヅラの制止の声も聞こえない。
 代わりに脳に響き続けるのは叶の声。

 "ならば"

 言っていたことは、殆ど忘れてしまった。
 だから、思い出せるのはその口から吐き出された一部だけ。

 "現世の地獄を目に焼き付け"

 赤を潜り抜けて黄色に迫る。
 木刀を大きく振りかぶり、黄色目掛けて振り下ろした。

 "今このときの選択に"

 辺りに、化け物の断末魔が木霊する。

 "懺悔しながら死ぬといい"

 飛散した化け物の肉塊と体液が、俺の衣を朱に染める。
 次第に、その力を失っていく肉体。ブーツが徐々に化け物の身体に沈んで、黒が黄色を侵食していく。
 化け物から生が遠ざかり、死に飲まれていくのを、化け物の中心でじっと見下ろしていた。





 新八と神楽を抱え上げ、ピンク色でぬとぬとした死骸を踏み越え、滑らないように気をつけながら歩き、そして安全圏に批難していた叶の元まで到達した。
 倒すところまでやったんだ。事後処理ぐらいは、後から来る奴等に任せればいい。
 そういや、ヅラはどこに行ったんだか……まあいいか。
 目の前に抱えていた二人を下し、俺は叶を見据えた。

「礼を言うぜ、叶」
「僕は何もしてないよ。前と同じくね」
「そうかよ」

 けど、助けられたのは明らかで、俺一人ではあの核に気付かなかったか…気付いたとしても大分後で、その頃には新八も神楽も飲み込まれてしまったかもしれない。
 そして、気のせいかもしれないが、叶が現れた辺りから触手の攻撃が温くなったような気がする。
 とはいえ、勝利の女神、なんて言ったら怒られそうだ。

「じゃあ……もっと他に俺はアンタに言いたいことがある」

 今度こそ。腹に力を入れて、そして言った。

「アンタは今でもこの世が地獄だと、そう思うか?」
「思っているよ。君は違うの?
出会いは死に掛け、更には攘夷戦争にも参加して、今は自堕落な生活をしているというのに」
「散々な言い草だな、オイ」
「否定する?」
「いや……そうだな。確かに、この世は地獄だな。
ジャンプは時々買い損ねるし、パチンコは貯金するばっかりだし。こんな風に死に掛けることもある。
だが……ここが地獄なら、地獄ってのも案外居心地のいい場所じゃねぇか」

 甘味はあるし、ジャンプはあるし、不満だらけでもいいところはある。
 だから、俺は助けて生かして貰い、一ヶ月のあの生活にとても感謝していると……そこまでは照れくさくて言えなかったけど、一番伝えたいことは口にできた。

「僕は……全く、そうは思わないけどね」

 言葉とは裏腹に、叶は無表情だった。

「さて、そろそろ戻らないと。
明るい内に帰るように言われているんだ」
「そうだな。そのほうがいい。
………やれやれ。とんだ騒ぎに巻き込まれたもんだ」

 江戸に…少なくとも真選組の屯所にはいるのなら、また会うこともあるだろう。
 叶は狐の面を顔に戻し、そして歩き出そうとして、俺に背を向けたまま足を止めた。

「ギンジ。君の意見には賛同できないけど、君を生かしたことは、やっぱり悪くなかったみたいだ。
……君の声には、旧懐を覚える」

 悪くない、ともう一度だけ小さく呟いた。
 そして叶は一度言葉を切って迷いを見せ、俺を振り返って聞いてきた。

「また、あの万事屋さんに遊びに行ってもいいかな?」
「ああ。次来るときは菓子折りぐらいもってこいよ」
「それじゃ、美味しい饅頭でも買って行くよ」

 それじゃあ、とぱたぱたと手を振って、隣に三毛猫を連れて、叶は俺の前から夕日に溶けるようにして去っていった。
 あの時と、同じように。

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