Chasm(in silver soul/邂逅編)|その過去を売ってください|坂田銀時視点

 喉が酷く渇いていた。
 ゆっくりと目を開けば、飛び込んできたのは土色で。ようやく俺は自分が倒れていることに気がついた。
 どこで倒れたのかも、いつ倒れたのかも、俺にはわからない。
 ただ、喉が渇いていた。

 腕一本、動かすのすらも億劫で。
 けれど喉が乾いて張り付きそうであったから、何とか身体を動かして、すぐ傍にあった水溜りにたどり着いた。
 その水を啜れば、泥のざりっとした感覚が舌に当たる。
 それでも、他に喉に入れられそうなものは何処にもなかった。

 そうしていると、突如として水溜りが大きく跳ね、顔に泥水がかかった。
 何が起こったのかと少し視線を上げれば、一本、棒のようなものが水溜りに突き立っているのが見える。
 上へ上へと棒を辿れば、棒が下駄であったことがわかり、人であったことがわかり、そして赤い隈取の狐と眼があった。

「死にたい?」

 掛けられた言葉は、道端に転がっている子供を見つけての一言にしてはあんまりなもの。

「大丈夫、苦しいのは僅かな間だけ。むしろこのまま緩慢に死にゆくのはとても辛いことだろうと思う」

 だから殺してあげるよ。

 慈悲深く、優しげな声色で狐は言った。

 俺は何も言わない。言う気力もない。
 すると、喉の辺りに、今度は外側から感覚が訪れた。

 顔は狐だというのに、手は人間のもので。そもそも相手は面をつけているだけの人間なのだから当然で。
 鋭い爪も毛皮も見当たらない、細く柔らかく暖かく力ある指が徐々に喉に食い込む。
 首に絡まった指が、最初は緩く次第に強く、確実に俺の首を絞めていく。
 苦痛に、顔が歪むのだけがわかり。
 そして、声の無い声で叫んだ。

 嫌だ。

 一度感情が噴出すると、もう止めようがなかった。

 嫌だ
 嫌だ嫌だ
 嫌だ嫌だ嫌だ
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

 苦しいのは嫌だ。死ぬのは嫌だ。
 死にたくない。
 殺されたくない。
 殺さないで。

 俺はまだ"生きたい"
 だから、

「へぇ」

 空気が一気に喉を通り、咽た。
 何度も何度も、空気を入れているはずなのに逆に体の中から全てを掻き出すように、俺は繰り返し咳き込んだ。

「こんな世界を生きたいって?」

 自分の指が誰かに摘まれ、何かから剥がされる。

「物好きだね」

 そこで俺は、無意識の内に自分が何かを掴んでいたことに気がついた。
 両手の指十本が、完全に何かから離されて、その頃には俺は呼吸を取り戻していた。

「けれど、」

 突如として体を襲う浮遊感。霞んでいく視界。

「悪くは無い」

 だというのに、何かの暖かさに包まれた俺は、すっかりと安心しきっていた。

「ならば――……」

 吐息のかかる囁きを耳に、俺の意識は途絶えた――……





 神楽と新八が出て行ってから、これ以上ないぐらいの静寂で部屋中が満たされていた。
 水中でもないのに窒息死しそうなぐらいに空気が重すぎる。
 ぜってぇここだけ重力増えてるって。誰だ重力装置を作ったのは。

「ええっとその…久しぶり」
「ああ…久しぶりだな」

 再び沈黙。
 何か話題を…と思っても、最後に会ったのは十年以上前。俺達に共通のすることといえば、天人に先生に戦争……今ここにある空気以上に重すぎる。
 こんなことなら神楽と新八の二人を引き止めればよかった…と後悔してももう遅い。

 つーか、マジで何を話せばいいんだ。
 最近会った古い知りあいといえばヅラだが……あの時は追われていて懐かしむとかそういうのをすっとばして、フツーに会話して………その後も爆弾魔に仕立て上げられたりで散々だったし。

 やや現実逃避を始めた俺に、とりあえず、と声がかけられた。

「さっき新八君にも言ったとおり、親父ってのは止めてくれないかな」

 まあ俺も親父なんて呼んでた記憶は無い。
 ただ、親なんて物心つく前に死んだものだから、親父なんて呼べそうな人間はこいつぐらいだと思ってただけで。
 ええっと……なんて呼んでたっけか……。

「叶…でいいのか?」
「そう君に呼ばれるのも久しぶりだね」

 昔と同じように呼ぶと、叶の声が弾んだ。
 こういう些細なところで喜ぶところは昔と変わらねぇな、としみじみと思い出した。
 掠れてきていた記憶が徐々に蘇り、自然と互いに口数が多くなる。

「すっかり大きくなったね」
「あれから何年経っていると思ってるんだ」
「それもそうか」

 抱き上げられていたのが嘘のように、叶は小さく見えた。線は細いし……ちゃんと食ってるのか?と少し心配になる。
 正確な年齢なんか知らねぇけど、いい年なんだろうから………昔みたいに嫌いなものを猫にやろうとしてたりしないだろうなと、そんなどうでもいいことを思い出した。

 そういや、あの猫はどうしたんだろうか。
 猫の寿命は十年と少し……流石に目の前にいる三毛猫は二代目か三代目のはずだが、模様までそっくりだ。

 そんな風にどうでもいい思考に沈んでいたからか、いつの間にかまた話が途切れてしまっていた。

「今更現れて、とか思ったでしょ」

 唐突に、叶は俺に言った。

「いいや。思ってねぇよ」
「嘘ばっかり」
「嘘なんか吐いてねぇよ…俺はずっとアンタに会いたかった。会って、言いたいことがあった」
「………その様子だと、恨み言じゃないね」

 一つ、叶は溜息を吐いた。
 表情は、昔と変わらず面に隠れて何もわからない。
 しかし叶が困惑しているのは伝わってきた。

「わからないよ。
殺そうとして、拾って生かして、なのにさっさと松陽のところに放った僕に会いたかった?
結果、攘夷戦争に参加することになって、君は色々なものを失ったはず。
だからずっと、恨まれているだろうと思ってた」
「アホか。てめーでしたことを誰かの所為にするような、そんな性根の腐った人間には育ってねぇよ」
「……耳が痛いね」
「は?」
「いや。なんでも」

 言いたいことはあるのだが……何だか、出鼻を挫かれてしまった。
 代わりに会ってから気になっていたことを口にする。

「ところで、今は…何をしてるんだ?」
「ああ。少し前って言っても数年ぐらい…といっても数年は経ってるけど、真選組に入ったんだ」

 事も無げに言われたそれを、頭の中で反復する。
 しんせんぐみ、真選組……。

「真選組イィィ!?」

 あの対テロ用の武闘組織の真選組?
 あの最近俺がお世話になったばっかりの真選組?
 あの瞳孔開いたあの面でよく面接通ったなぁと感心する男のいる真選組?

 本当に真選組で、新鮮組とか神仙グミとかじゃないのかと確認するが、しっかりと叶は"真選組"だと断言した。
 つーか、凄い近くにいたんだな、オィ。

「ここにいるってわかってればもっと早くに報告に来たんだけどね」
「あー、叶はその…」
「ああ。僕は前線には出ないよ。所属は会計方…まあ裏方だよ。
君も承知の通り、僕は戦闘行為どころか通常の運動行為すらも不得手ときている。
だから、日中以外はで歩かないよう言われていて…このかぶき町は実は近づいちゃいけない地区だったりするんだよね」

 まあ破っちゃったけど、と叶は肩を竦めた。

 それを聞いて、俺は心底ほっとした。
 共にいたのは一ヶ月にも満たなかったが、叶の運動音痴っぷりには逆に驚かされた。
 少しの悪路があれば絶対にすっ転ぶし、逃げ回る俺に追いつけたことも無い。逆に追いかけてくるはずの叶がこなくて道を戻ったことならある。何度も。いや、しょっちゅう。
 日常生活以上の運動ができそうにないのに勤まるのかはわからないが、真選組とは言っても全員が毎日斬った張ったばかりしているわけじゃねぇだろうし、数年前に入っていままでやってきているのだから問題ないのだろう。

 そして、だからか、と納得することもあった。

「それでこの間いなかったのか…」
「この間?」
「あ、いや……まあいいか。池田屋での爆破事件だ」
「爆破事件なんて危ないことに関わってたの……って、今、池田屋って言った?」
「ああ、言ったが、それがどうかしたのか?」
「いや、別に。ちょっと面白いと思っただけ」

 何が面白いというのか。
 問いただそうとする前に、叶が口を挟んだ。

「それより、僕にいいたいことがあると、君はそう言ったね」

 叶に問われ、俺は腹に力を入れる。

 今度こそ。

「銀時!!」

 気合を入れたというのに、再び挫かれた。
 よりにもよって、二度と現れるなと願ったヤツの声で。覚えのある声で、二度と聞きたくなかった声で。
 気のせいだと。思い過ごしだと。なかったことにしたい。
 だが、気配は確実に背後にあり……恐る恐る振り返ると、うっとおしい長髪がそこにあった。

「……何しに来た」
「邪魔するぞ、銀時」

 よりにもよってこのタイミングで。というかこの間のことがあったというのによく顔が出せたもんだ。
 絶対こいつの面の皮はジャンプより分厚い。測ってみれば、きっとギネス級だ。
 当然のことのようにヅラは部屋の中に入る。邪魔するぞって、本当に邪魔だ。
 そう言って追い返そうとし…

「初めまして?」

開きかけた口を閉じた。
 今度はソファの対面から聞こえてくる。
 そこには視線を俺越しにヅラに固定した叶。

「その様子からしてギンジの知り合い、かな?」

 唐突過ぎる乱入で、忘れていた。
 叶は今は対テロ用武闘派組織である真選組の一人。
 そして桂小太郎は指名手配されているテロリスト。

 やべーよ。やばすぎるよ。
 叶は普段着だから真選組の隊士には全く見えない。
 が、長髪のヅラは指名手配犯のはずなのにてめぇのツラ晒しっぱなしで。
 あの指名手配の張り紙そのままの顔で。

 いやだがしかし。この様子だと叶は気付いてないのか?
 なら、何とかなるかもしれない。
 ヅラもいくらなんでも、指名手配犯なんだから、民間人相手にでもまともに名乗るわけが………

「桂だ」

 名乗ったよ。名乗っちゃったよ。フルネームじゃないけど名乗っちゃったよ。
 桂で胡散臭い長髪って言ったら一人しかいねぇじゃねーか。

 俺の焦りなんぞそ知らぬ顔で、ヅラはソファに腰を落ち着けていた。
 茶はまだか、と視線が言う。てめぇの茶なんぞ知るか!

 やべーよ。また俺逮捕されるかなぁ………。
 思わず天井へと視線を向けて、木目を数え始める。
 いやいや、現実逃避をしても始まらない。兎に角舌先三寸口八丁で切り抜けねば…

「桂さんかぁ。僕は東条叶。ギンジの…まあ知り合いかな。よろしくね」
「ギンジ?ああ、銀時のことか。こちらこそよろしく頼む。
しかし銀時の知り合いにしてはなかなか礼儀正しいではないか」

 オイィィ!!
 何打ち解けちゃってんの!?テロリストと真選組だよね!?握手なんかしちゃっていいの!?
 何この友好ムード!考えこんでる俺が馬鹿みてぇじゃねーか!!

 そこではたと、ある可能性に気がついた。
 叶は松陽先生の知り合いで、塾の方にも来たことがある。
 あのときからヅラは大して変化の無い顔で、プラスして桂小太郎の名前はそのまま。
 だから見逃してくれているのか?
 単に気付いてないにしても、それならそれで俺としては万々歳だと、俺は口をつぐんだ。

 のは拙かったかもしれない。

「しかし、こうして話し合うというのなら、顔ぐらいみせてはどうだ」

 今の今まで、新八や神楽ですら触れなかった狐の面について、あっさりとヅラは指摘した。

 おいおいおいおい空気読めよ。
 どう考えたってそれは、気になっても触っちゃいけない所だろうが。
 絶対こいつは真夏のテーマパークで着ぐるみを着ている奴のところまで行って"いやぁ中の人は大変そうですね"とか言っちゃう嫌なヤツだよ。

 そりゃ、俺だって素顔を見たいと思ったことはあるよ?
 一緒にいる間、寝るときまで徹底してつけてたし?
 けど、何か理由があってのことだろうと避けていたのに、こいつは!!

「それも、そうだね」

 しかしあっさりと、本当にあっさりと、俺の葛藤なんかまるっきり無駄だったように、叶は面を外して見せ………そして、ほう、と感嘆の声を漏らすヅラの隣で、俺はこれ以上ないぐらいに目を見開いていた。

 狐の面の下の顔は、想像よりはるかに若かった。
 ………あれ?叶って、先生の友人とか言っていたから……俺の倍以上年上のはずで…。
 けど、目の前にある顔はどう見ても俺より年下で……アレェェェ!??

 いやいや、待て待て、おいおいおいおい。おかしいだろ。絶対おかしいだろ。
 単純計算で五十歳超。目の前の顔は二十代前半って、若作りにもほどがあるぞ、オイィィッ!
 肌なんかつやつやで水弾きそうだし。皺なんて一本も見当たらないし。思えば頭は白髪の一本も見当たらない。
 詐欺だろ、何か色々サバ読んでるだろ、何か手を出しちゃならねぇもんに手ぇだしてんだろ!

 しかし、まさかそんなことは指摘できず……とりあえず俺は半開きになった口を閉じた。

「そういえば、桂といえば指名手配犯と同じ名前だね。そういえば桂小太郎も長髪だったような…」

 ちょ、今更このタイミングで思い出すのかよ!?
 マズイ。非常にマズイ。
 折角、この間一晩かけて俺はテロリストとは無関係だって証明したところなのに、これじゃ逆戻りじゃねぇか!

「君も長髪だから厄介ごとが多そうだね」

 そんな俺の中の葛藤を、叶は一言で一蹴した。
 気付いてない。まだ気付いてない。この期に及んでまだそっくりさんだと思うとか、どれだけうっかりさんなんだよ。
 抜けたところは昔も変わらないって…安心すべきか心配すべきか、どっちにすりゃいいんだ。

「僕も、前に一度。高杉晋助と間違えられたんだ。髪が黒くて、左目隠してるからって」
「ほぅ。それは災難であったな」
「全くだよ」

 もう完全に和やかムードに入ったところで、俺は一切の叶に対する思考を放棄し、ヅラを睨んだ。

「おいヅラ。テメェ、何しにきやがった」
「ヅラじゃない桂だ。そうだ、要件を忘れるところだった。銀時、力を貸せ」
「断る」
「ツレナイではないか、銀時。
攘夷戦争を駆け抜け、つい先日共に窮地を脱した、俺とオマエの仲だろう。
まあ、とりあえずこれを見ろ」

 ヅラは俺が良いと言うより前に、勝手にテレビを操作しだした。
 チャンネルをぱちぱちとあわせ、画面に映し出されたのは結野アナの中継。
 着物姿の美人の背後では、謎の巨大生物がのた打ち回っている。
 イソギンチャクをちょっとした屋敷のサイズにして、どぎついピンクに染めて、バッタみたいな足をつけたような謎の生物が、高速道路に鎮座している風景はなかなかに圧巻……って、

「新八!?神楽!?」

触手の先に、先ほど外に出て行った二人の姿があった。
 囚われて喰われかかっているのは新八。神楽が助けようと一人奮闘している姿が、画面いっぱいに映し出されている。

「見ての通り、お前の仲間があの巨大生物に飲まれかかっていてだな…」
「それを早く言え!」

 怒鳴るように言って木刀を引っつかみ、ヅラの静止の言葉を最後まで聞くことなく、俺は万事屋を飛び出した。

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