Chasm(in silver soul/邂逅編)|センチメートルジャーニー|沖田総悟視点

 最初に、そいつを見たときから、ずっと心がざわめいていた。
 それが"得体の知れないモノ"に対する恐怖だと気付いたのは、そいつが目の前から消えて安堵した時。
 二度と見えることがなければと心のどこかで願っていたそれは、真選組がしっかりと機能し始めたぐらいに再び俺の前へと現れた。

 俺は、東条と初めて出会った時から比べて、かなり背が伸びた。
 近藤さんだって、大分落ち着いてきているし、外見で言えば髪型も変わった。土方のヤローも、他に一緒に江戸へと来た奴等も、皺が増えたりハゲたりと、何かしらの変化がある。年数が経っているのだから、それが当然だ。
 なのに、その"当然"といえるべきものが、東条からは欠落していた。きっと恐怖の根源はそこにあったのだろうと思う。

 再度会い見えた東条は何一つとして変わっていなかった。
 服装だけは少し違ったが、それは東条それ自体の変化を示すものではないし、着こなしといった根本に変化はない。
 髪型も、浮かべる表情も、纏う穏やかな空気も、柔らかな微笑も、それら全てで綺麗に覆い隠された得体の知れなさも…何もかも全てがそのままで。

 正直に言えば、俺は最初に東条を見たとき、それが高杉でないことに気付いていた。
 いくら特徴が同じだといっても、その風体や雰囲気は到底"侍"ではない。だから俺は、気付いていて、それでも排除しなければならないものとして攻撃をしかけ、そして斬りかかった……そう、斬りかかったはずなのだ。
 俺は間違いなく刀を振り下ろしたし、俺の脳には東条が血を吹き倒れるところがしっかりと描かれていた。
 だというのに、俺の刀は東条の衣すらも切り裂けなかった。
 目測を誤ったりなどしていない。腕が鈍ったなんてありえない……だから避けられたはずはない。
 なのに、驚いた表情を作って悠然と東条は俺の前に立っていた。
 そうして東条は、"俺が刀で袈裟に斬った後に"後ろにすっ転んだ。

 逆ならば、偶然と片付けることもできる。
 俺が斬りかかってきたことに驚いて、避けようとして、足を縺れさせて倒れる。これは自然な流れだ。
 しかし東条は逆だった。
 斬ったと思った東条は傷一つなく俺の前にあり、それから倒れたのだ。こんなにおかしなことがあるだろうか。
 その"ありえないこと"に思考停止していた間に東条は俺達の前で昏倒してしまい………俺は東条を斬る機会を逸した。

 再び現れた東条を引き止めたのは、目の届かないどこかに行って欲しいとは思う心以上に、目の届かない行ったら行ったで隠れて何かをやらかすのではないかとも気がかりで落ち着かなかったから。
 その東条に刀を向けたのは、押さえきれなかった恐怖心から………結局、どれだけ殺気を向けようと、穏やかな空気も、柔らかな微笑も、何一つとして代わらなかった東条に対して恐怖心を増幅させただけだったが。

 東条のその得体の知れなさを、そいつが自分から説明した天人のせいにできたらどれだけよかっただろうか。
 仕事柄、天人の要人警護などを引き受けることもある。だから、天人がそう人と大きく違わないことも俺は良く知っている。それゆえ、東条に抱いている感情は"天人"だからではなく、"東条"だからだと、俺は気付いてしまっている。

 昔は周囲の変化に恐怖した。今は目の前にある不変に恐怖している。

 まだ武州にいた頃は、土方に近藤さんや姉上が、俺の居場所が取られるのが怖かった。
 だけど、今、俺のすぐ傍にいる東条は、俺から何かを奪うことはないだろう。
 そう、"奪う"なんて生易しいことはしない。
 きっとそのうち、何もかも全てを丸ごと呑み込んでしまうに違いないと、俺は直感していた。




「沖田隊長!」

 縁側で昼寝をしようとし、けれど東条の影が頭をちらついて眠ることができなかった俺の耳に、山崎の声が飛び込んできた。

「沖田隊長!起きてください、沖田隊長!」
「何でィ、うるせぇな」

 仕方なく、愛用のアイマスクを外して声のした方向を見る。
 すると俺のすぐそばまで来ていた山崎が、小脇に抱えた書類の束を俺の方に突き出してきた。

「うるさいじゃないですよ。会計方から催促が来ていますよ。早くこの間の捕り物の始末書を提出してくださいって」
「そんなにうるせーんなら、てめーが出しておけばいいだろィ」
「それじゃ、始末書にならないでしょう。
筆跡真似たって朝倉さんにすぐにばれるし、ちゃんと沖田隊長が書いてください!」
「監察が書類の偽造ぐらい出来なくてどうするんでィ」

 俺の指摘に山崎は言葉を詰まらせるが、朝倉さんだから仕方がないのだと言い訳にならない言い訳をポツリと零す。

「兎に角!今回は俺は手伝いませんからね!」

 そう、捨て台詞を残して、山崎は俺の前から持ち前の素早さを発揮して逃げていった。

 会計方…という場所は正直屯所の中で二番目に近寄りたくない場所だ。勿論、一番は副長室だが。
 朝倉、というあの女隊士も、東条ほどではないにしても好きではない部類に入る。なんとなく胡散臭い。
 江戸に来て、真選組が立ち上がったときには、まさか近づきたくない場所ができるとは思わなかった。

 なんて思考をしていても、山崎に押し付けられた書類は真っ白なまま文字が埋まるはずもなく、俺の隣に鎮座している。
 書類関係の処理は苦手だから、有耶無耶にしてしまえれば…と考えるが、今度は山崎じゃなくて朝倉か東条が催促に現れるのではないかと思うと無視することもできない。
 仕方なしに筆を取り、数日前の捕り物騒ぎで壊した公共物やレストランに関することを何とか思い出し、三行で終わりそうな文章を何とか引き伸ばして、俺は始末書を書き上げた。

 書き上げたら、提出、という関門が残っている。
 会計方に充てられた部屋の前に立ち、一度深呼吸をし、朝倉や東条がいないといいと思いながら襖を開く。

「失礼しやす……っと?」

 入室を許可する声はなく、勝手に中へと入ればがらんとした人気のない空間が広がっていた。
 皆出払っているらしく、残っているのは一人だけ。
 その一人、いなければと思っていた東条は、俺が入ってきたことに気付くこともなく、正座をした膝の上に猫を乗っけて、文台で頬杖をついて寝てやがった。

 足音を殺して近づいてみるが、東条も丸くなった猫も俺の接近に気付く様子はない。
 俯いていて表情は見えないが、規則的に肩が上下しているところをみると、相当深く眠り込んでいるらしい。

「職務怠慢でさァ」

 俺はこいつのせいで眠れなかったのに、何でコイツは寝てやがるんだ、と逆恨みじみた考えがよぎる。
 東条が寝ているのをこれ幸いと、そのままそっと文台に始末書を乗っけて帰ればよかったのだが、その気持ち良さそうな寝顔が目に映り………タダで帰るのが惜しくなった。

 寝ているヤツへの悪戯の王道といえば"額に肉"だが、それではありきたりすぎる。
 文台に乗っている肘を払うのは、どうなるのかやる前から解っているし、こいつはそんなことで怒ったりはしないだろうから、面白味にも欠ける。 もっと斬新な……と考え、この間見たドラマのワンシーンが頭に浮かんだ。
 それは、どこかのサラリーマンが仕事中に居眠りをして同僚に耳元で"終電"だと囁かれて飛び起きるというもの。
 "終電"じゃ面白くないから、と少し捻りを加えて、言葉にした。

「上様、このような場所で眠られては、お風邪をお召しになられます」

 裏声を使い、肩を揺らす。
 すると、その声が五月蝿かったのか、東条の瞼が僅かに震えた。しかし覚醒にはいたっていない。
 後一歩、と、耳元に口を寄せ、囁いた。

「起きてくださいませ、上様」

 一度、薄く瞼が開かれ、すぐに閉じる。
 二度寝の体勢に入ったのかと思いきや、そういうわけではないようで東条の姿勢が正される。
 まあ、あんな言葉で勘違いするやつなんざいるはずねぇか、と、変にアレンジを加えなきゃ良かったと、小さく欠伸を口から漏らす東条の前で後悔し……そして、俺はその場に固まった。

「珍しいね、帰蝶。いつも寝ている僕を起こすのは、丸だというのに」

 そう、本当に柔らかく花開くように微笑み、甘く囁いたのだ。

 俺の方へと伸びてきた東条の指先が、まるで壊れ物でも扱うように、顎をなぞり頬を辿る。
 大切なものを慈しむように、前髪梳かれ、俺は硬直して動けなくなった。
 東条が浮かべる笑顔といえば、朗らかに見えてその実びっしりと毒のある棘のあるようなものばかり。
 まさか東条にそっくりなヤツが化けているんじゃ……

「何をしてるんですか?」

 ひょこっと襖の向こうから顔を覗かせた山崎が声を掛けてきた。
 途端に東条は弾かれたように身体を大きく揺らし、そして眼帯で覆われていない右目を零れんばかりに見開いた。

「あ、あれ」

 俺を見て、山崎を見て、また俺を見て。
 そうやって東条は視線を彷徨わせ、見る見るうちに顔を紅潮させていった。

「ごごご、ごめん。寝ぼけてたみたい。
総悟君の用事は、ええっと……か、顔を、顔を洗ってくるよ」

 仕事中は決して俺を名前で呼ばないというのに、東条の動揺っぷりは、俺の呼び方にも現れていた。
 ぎこちない動作で立ち上がろうとしたところで文台に膝をぶつけ、部屋を後にしようとして襖に小指をぶつけて悶絶する東条。

「大丈夫ですか!?」
「大丈夫、大丈夫だよ」

 とはいえ、涙目のその顔に説得力は無い。
 硬直状態から脱した俺は、東条の背後に立ってその服の裾を踏みつけ、逃げられないようにした上で聞いた。

「キチョウって誰なんですかィ」

 問われた東条は慌しく立ち上がって逃げようとし、当然ながら服が引っ張られているため、今度は山崎を巻き込んでその場にコケる。
 俺が逃がさないのを見て、諦めたのか、観念したように口を開いた。

「帰蝶は………僕の妻だよ」

 意外なんて言葉では足りなかった。
 誰かを好きになるとか、愛するとか、ましてや恋なんて、コイツからは遠いと思っていたから。

「へェ。アンタ、嫁さんいたんですかィ」
「うん。"いた"んだよ」

 意味ありげな強調に、気付かないほど馬鹿ではない。

「随分前にね」

 左目は硬く閉ざされていたが、細められた右目はここではないどこか遠くを憧憬していた。
 本当に優しい顔を東条はしている。

 これだけは嘘じゃないと解った。

「そういう顔は反則でさァ……」
「うん?」
「何でもねェ」

 何でもないとは言ったが、見なかったことにはできなかった。
 自分の中の東条に対する警戒心が揺らぐのを感じる。
 油断がならないが、俺の中でコイツは"得体の知れないモノ"ではなくなっていた。

 反則にも程がある。
 あれじゃまるで……ただの人じゃないか。


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