Chasm(in silver soul/邂逅編)|甘酸っぱいまま腐りゆく|伊東鴨太郎視点

 長期任務で僕が江戸を離れることとなり、局長の号令の下に酒宴が開かれた。
 騒がしく、悪く言えば野蛮な宴は夜明け間近には静まり、皆大広間で雑魚寝状態となっている。
 起きているのは最低限の待機要員のみ。
 主賓であった僕も酒を呑んだのだが、酷く目が冴えてアルコールの臭いに満ちた広間を逃れて縁側に腰掛けていた。
 頭上に広がる、浮かぶ船が星の光を覆う江戸の空はしばらく見納めのようだ。
 感慨深いわけではないが、なんとなく、理由もなく、空を眺めていた。

「伊東参謀」

 声を掛けられ振り返ると、そこには一人の隊士の姿があった。
 袴姿に黒髪という珍しくも無い風貌。特徴的なのは、左目を覆う眼帯。

「君は…」
「先頃入隊した、東条叶です」

 それが誰なのかを僕が思い出すより前に、男は名乗った。

 東条叶。
 局長と副長そして一番隊隊長の連名による特例で真選組に入隊した隊士。
 剣やその他体術に関する腕はなく、見回り等といった仕事は全て免除されている。
 真選組において、最低限の自衛手段は必須となっているにもかかわらず、その最低限すらない者の入隊に一時は反発も多かったが、今はそれほどでもない。認められたというよりは、局長の決定なら仕方が無いといった風潮によるもの。
 真選組創設の功労者というのは事実のようで、局長や副局長、その他古株の人間からの証言から明らかだが、具体的に何をしたのかは不明。一説には松平公より年上という話もある。
 そうやって目の前の男に関する情報が頭の中で駆け巡るが、己とは接点がない。
 何故話しかけられたのかは、結局解らないままだった。

「何か用かな」
「いえ。姿をお見かけしたものですから。僕と入隊の時期が近しいとも聞いていますので、一度お話を、と」
「君とは違い、普通に真選組に入隊した身だがね」

 なら、と続けた東条叶は、僕の皮肉に気付いていないのか、或いは気にしていないのか。

「僕も伊東参謀を先生とお呼びしたほうがよろしいのでしょうか?」
「僕はそういった些事に口うるさく言ったりはしないよ。それならば僕も君は真選組の創設に関わった君に、何か敬称をつけたほうがよさそうだ」
「大したことは何もしていませんので、そういうのはくすぐったいです」

 開いている隣を東条叶が視線で示してきたので、一度頷くことで了承を示した。

「東条君が入ったことで、真選組にいくらかの混乱が生じていたようだが、大分沈静したようで安心した」
「幹部の方に要らぬ心配をかける結果となり、申し訳なく思います」
「それは東条君が気にすべきところではない。落ち着いたのならば、局長と副長の決定に間違いはなかったのだろう」
「伊東参謀にそう言っていただけるとは心強いです」

 心にも無いことが口から出る。
 たった一人の入隊で混乱を生じさせるなど、組織の脆弱性を露見させたようなもの。そして、今は見当たらないが東条叶には未だ監視がついている。副長や隊長格の人間に警戒されているのを解っているのか…微笑からは何も窺えない。

「伊東参謀が入隊してから、参謀というポストができたと聞きます。
それだけ伊東参謀の知力は局長を唸らせるものなのでしょう。いずれご教授いただきたいものです」
「止してくれ」
「いえいえ、これは本心からの言葉です。
真選組の参謀………伊東先生にぴったりです」

 途端に、目の前にある毒の無い笑顔を、無性に切り捨てたくなった。
 いや、今腰に刀があったならば、とっさに抜いていたことは確実だ。

 先生等と呼ばれて浮かれ、頭になることもできず半端な位置で妥協を見せるお前にはそれが似合いだと。
 鼻で笑われたような気がした。

「よしてくれ」

 今にも振り上げそうになる拳を握り締め、搾り出すように、それだけを言うのが精一杯だった。

「そうですか」

 その一言を最後に沈黙が降りた。

 もうこれ以上話すことも無い。話したくも無い。
 しかし、自分からこの場を離れるのは逃げるようで、己の矜持が許さなかった。
 だからと、相手が部屋に下がってくれるのを期待したのだが、東条叶はその場から動こうとせず、そして再び言葉を綴りだした。

「僕も早く伊東参謀のように、真選組になじみたいものです」

 酷い皮肉だった。
 真選組に入隊してさほど経っていないのに、参謀という地位を得た僕を一体どれだけの人間が受け入れているというのか。扱いに戸惑い、くだらない嫌がらせを受けたこともある。
 気付いていないのなら醜悪で、気付いているのなら悪質で。

「君は、とても皮肉家のようだ」
「そうでしょうか?」

 どちらとも取れる物言いをした東条叶から、僕は目を逸らした。

 ただ実力のある人間が上に立つというだけの構造に、くだらない年功序列が付きまとう。
 それを厭い、正当な評価を得たくて真選組に入ったというのに、結局ここも変わらなかった。
 なぜ、有能な人間が上にいるというだけなのに僻まれなければならないのか。

「妬みと嫉みは人の性。けれど、例外を伊東参謀はすでに持っている………僕とは違って」

 告げた横顔は、少し疲れが浮かんでいた。

 真の意味で東条叶を真選組の一員として認めているのは、局長ぐらいのものだ。
 副長を初めとし、隊長格は何かしらの疑心を持っている。それは他の隊士にも伝播し、特例による入隊ということもあって、平の隊士からは嘲りの視線が向けられる。幼稚としか言いようの無い嫌がらせを受けているのを見たことがないわけでもない。致命的なものは避けているが、東条叶は甘んじてそれを受け入れていた。

 これで無能ならば致し方ないのだが、東条叶はよくやっている。有能と言い切ってもいい。
 会計方というのは実質雑用に近い。軽んじられることの多いその部署は、その実どこよりも重要だと気付いているものは殆どいまい。東条叶はその一員として各方面からの苦情処理に忙殺される中で上手く立ち回っている。マスコミ関係の根回しなどといった情報操作は誰よりも上手い。
 それを知っているのは、直属の上司である酒井兵吉や岸島芳朗ぐらいのものだろう。

 今の言葉から察するに、一月以上に渡る監視に気付かぬほど疎くもなかったようだ。
 精神的に過度の重圧が掛かる環境で、思わず本音が出てしまったのだろう。

「すみません。言葉が過ぎました」
「いや、かまわない。酔っ払いの言葉として聞き流すことにするよ」
「ありがとうございます」

 安堵する東条叶に、僕は初めて笑顔を向けた。
 不思議と、彼の存在が、僕の中で不快ではなくなっていた。

「人はどうして、天才を理解できないのだろうね」

 そう口にしてしまったのは、きっと自分も酔っていたからだろう。
 思案するような仕草をした彼は、ゆっくりと答えを口にする。

「言葉遊びのようですが、理解しがたいから、だと思いますよ。
違うものを排斥しようとする動きは、何も人に限った話ではありませんし、童話にも似たような話はあります」

 アンデルセンだったかなぁ。と、最後は独り言のように言う。

「ほぅ。聞かせてもらいたいものだ」
「アヒルの群れの中に生まれた白鳥の話、ですよ」

 海外の…天人たちのいる異国とは違う、地球の日本ではない国で作られた話だった。
 アヒルの群れの中に、異質なものとして生まれた醜い雛。他とは違うというただそれだけの理由で阻害され、排斥され、しかし最後には自らが何であったのかに気付き、羽ばたいていく。それがどこか人の世界に通ずるものがあるように感じられたのは当然のことだったようで、彼の話では、これはなかなか大成しない作者自身を雛に投影した話らしい。
 何かの教訓めいたこの話は、世の真理をついているように思えた。

「まあきっと僕は、白鳥になどなれないでしょうけれどね」

 話を締めくくるように、彼は呟いた。

「おや、諦めるのかい?」
「僕の人生は、諦念続きですから。しかし、伊東参謀は僕とは違うようです」

 じっと、片方の黒い瞳が僕を見据える。

「これから真選組が組織としてやっていくに政治力に長けた存在は欠かせないものとなります。真選組の頭脳は、政には不向きに見受けられますし」

 同じ言葉を違うところで言われたことはあるが、彼に言われるとまた違った印象を受け……そこで、ふと、気になった。
 果たしてこの目の前の人間は、僕が様々な人間に対してした質問にどう返すのか。

「君は、真選組をどう思う?」
「そうですね………長くは無い、といったところでしょうか。
………上に立つものとして、してはならないことを………勝つことに拘り、敗北より避けねばならないことを、ここの者たちは心得ていない。
増長し、民衆に背をむけられた頭が首を切られるのは歴史の必然だというのに…」

 憂うようなその言葉は、まさしく僕の求めていた答えであった。

 問題ばかりを起こす隊士たち。
 テロリスト捕縛の大義名分の下、民家を破壊し、時には民間人の命を脅かすことさえある。それに対する反感は徐々にだが確実に、人々の間に蓄積されつつある。だというのに、局長や副長が沈静に奔走するのを見たことはない。
 それでも真選組がやっていけているのは、勘定方や会計方といった裏方の働きと、それ以上に松平公の睨みがあるから。特に松平公の影響力がなくば、真選組はとうにつぶれていただろう。真選組の替えなど幾らでも利くというのに、それに気付いているのかいないのか………。
 松平公の亡き後は、きっと真選組は自壊する。それに気付いている者は真選組にいるとは思わなかった。気付くような賢い者ならば、即座に真選組を離れるか、そもそも真選組に足を踏み入れはしないだろう。除隊は切腹とされているが、抜け道がないわけではない。

「彼等には、内密に」
「勿論」

 思い出したように慌てて付け足されたそれに、当然のごとく僕は首肯した。

「しかし…気付いていながら何故、東条君はここにいるんだい?」
「子の行く末を見届けるのは、親の責務かと…そう思っただけで」

 見届け、同じように滅ぶも已む無し、ということか…。

「だから少し、期待もしているかな」

 今までとは違い、かなり暈したようなそれは、意味が図りかねた。
 しかし問い返すより前に、なぁ、という三毛猫の鳴き声が僕の言葉をさえぎった。

「それでは、失礼します。最後の夜の貴重な時間を、ありがとうございました」

 猫を抱き上げて、颯爽と彼は去っていった。

 こちらこそ、と。
 見えなくなった背中に、僕は呟いた。

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