Chasm(in silver soul/邂逅編)|星の鋭角に触れる|岸島芳朗視点
会計方。
別名雑用。
別称裏方。
蔑称黒子、お荷物、等等。
それらの呼び方から解る通り、とことん目立たない部署である。
勘定方から来た細かい計算、来客のお茶だし、屯所に寄せられたクレームを処理、真選組や攘夷志士による破壊活動への謝罪、夜勤隊士のための夜食の用意、各種行事の準備、宴会の幹事、屯所で飼っている豚の世話………などなど、列挙すれば仕事の数だけならば真選組ダントツ一番で、粛清された隊士の遺体の埋葬なんかも仕事に入っている。
しかし、省みられることはほとんど無い。あってもなくても同じな部署、なんて言われることもある。
敬われることがあるのは、会計方の責任者で俺の上司の酒井兵吉ぐらいのもの。それにしたって、槍の師範を務めているからであって会計方の仕事に敬意が払われることはまずない。
それは仕事内容がほとんど雑用的なものであるからということのほかに、他の隊士と違い現場に出ることがほぼないことにも起因する。
この部署に配属されるのは、将軍や幕府や国を守るという気概は強いが、実力・体力などが伴わない者だ。
上司の酒井殿は槍を持てば誰よりも熱いを通り越して暑苦しく猛るのだが、しかし槍を持っていない状態では精神薄弱…という難点を持つ。焦げ茶の切れ目は、槍を持てばそれだけで誰かを射殺さん光を灯すのに、筆を持てば蛍の光よりも儚いものとなってしまう。加えて血が大の苦手。俺はこの人が、胃薬を飲まない日をみたことがない。
この俺はといえば、斬り込み隊である一番隊に配属されても十分仕事がやっていける腕はあると自負し、事実真選組に入隊した当初は一番隊にいたのだが、数年前より心臓を患って部署を移動した。
新しく入る東条叶という男もまた、何かしらの問題を持っているのだろう。
腕に覚えがないこと以外に詳しくは聞いていないが、局長や副局長が伝えてこなかったということは詮索無用か把握する必要のないということだろう。ならば、東条叶という男の人となりを、徐々に知っていけばいいだけの話だ。
仲間が増えることは歓迎すべきこと。この部署にいる、総数五名で暖かく………いや、六名?
そこまで考えて俺は首を捻った。
頭に入っている数字は五。しかし、会計方にいる名前を連ねれば確かに六名。
あれ………いつの間にか増えているような………いや、そんなまさか。ホラーじゃあるまいし。
しかし、五なんて小さな数字を数え間違えるはずはない。
いかんいかん。疲れているのかもしれない。改めて名前を並べてみよう。
先ずは胃痛持ちの上司。その補佐の俺。潔癖症に、閉所恐怖症に、片腕に、女傑……ほら、やっぱり六名。
大方、自分を数え忘れていたのだろう。
そう考えて、俺は違和感に気がつかないフリをした。
局長室で初めて会った東条殿は、とても穏やかな人間だった。
まるで老人を相手にしているように錯覚しかけたが………そういえば、この男は幾つなのだろうか。気にはなったが、改めて聞くようなことでもない。時々、他の隊士たちから聞いてみて欲しいと頼まれていたような気もするが、気になるのなら自分で調べればいいだけのことだ。
松平公の恩人で真選組創設の助力者…などと聞こえたような気もするが、それこそまさかだ。どう見ても、俺より年下。沖田隊長より少し上に見えなくも無いぐらいの見た目。松平公の恩人とやらは50は超えていなければいけないのだから、ありえない。
きっと、その松平公の恩人の親戚の人間で、その恩人と瓜二つの顔立ち、というのが真相だろう。
それならば、真選組にコネクションによって入隊しようとしてきたが、実力が伴っておらず、かといって跳ね除けることのできない困った局長と副局長がウチによこした……というのはどうだろうか。最も筋が通る考え方だと、我ながらに思う。とりあえずそういうことにしておこう。
監察の山崎殿が探っているも、恩人の親戚の身に何かあってはいけない、という配慮かもしれない。
事情はわからないが、俺が気にすることでもあるまい。
深々と丁寧に頭を下げる東条殿に、俺は歓迎の旨を伝えた。
東条殿は、恐らくこの部署では上手くやっていけるだろう。
癖のある人間ばかりだが、東条殿の気質ならば諍いが起こるようなことはあるまい……と、そう思っていたのだが、部署に戻り、一通りの紹介をした途端、東条殿は顔を強張らせていた。
「岸島さん」
緊張した面持ちで、東条殿は俺を見る。
そしてしばらく間を置き、言葉を選んで俺に問いかけてきた。
「………真選組の隊士には、性別の条件などはついていないのでしょうか」
「そういえば昔はついていた気はするが、いつの間にかなくなったな」
「そうですか…」
東条殿首が俺の方から部署の皆へ、紹介順に向く。
責任者の酒井兵吉。
潔癖症の中村玄人。
閉所恐怖症持ちの青柳一二三。
片腕の矢田賢介。
真選組の女傑、朝倉涼子。
皆大切な会計方の仲間だ。
最初のこの重要な場で、懸念は払っておかねばなるまい。
「東条殿はそのようなことで差別をするおつもりで?」
「いえ、そんなことは全く在りません。ただ、武装警察という職業上、女性がいると思わなかったものですから」
「朝倉さんはああ見えて結構な使い手だ。特に最近では、真選組の広報の役割も担ってくれている。
真選組は、あまり大きな声では言えないが、評判がいいとはいえなくてな…」
朝倉さんの主要な業務は、真選組が起こした様々な不祥事への謝罪や、マスコミ関係の根回しだ。
東条殿はあまり力仕事なども不得手と聞き、そして男達の中で人当たりが最も良さそうだから、自然朝倉さんと組むことは多くなるだろう。
「そうでしたか。わかりました」
納得したような、そうでないような。なんともいえない表情で、東条殿は頷いた。
朝倉さんが東条殿を見つめ、そして微笑みあう。とりあえずは大丈夫だろうと安堵する。あとは本人同士の問題だ。
紹介も終わったことだし、仕事に入ろうとしたところで、部署の外に気配を感じた。
「失礼します」
涼やかな声がして、そして襖が開かれた。
その人物が入るより前に、この場にいた人間は、東条殿を除いて誰が来たのかわかったのだろう。
むさくるしい空間が僅かに色めき立ち、むさくるしさが増した。
「お茶を、お持ちしました」
「あああ、あありがとうございます」
薄い新緑の色の髪の間から微笑が向けられ、特に青柳殿の顔から締りがなくなった。
おっかなびっくりな様子で、酒井殿は湯飲みを受け取る。それから順々に、手ずから一人ひとりに喜緑さんはお茶を渡して行く。これが男所帯の屯所では非常にポイントが高く……何度もお茶を隊士たちがせびるものだから、喜緑さんが自発的に尋ねなければお茶を頼んではいけない、という妙な規律が副局長に定められた。
笑顔が添えられて渡されるそれを、嬉しそうに皆が受け取る。一日一回の癒しの時間だ。
そんな中でただ一人、東条さんはなんともいえない表情で喜緑さんを見ていた。
「そこに……置いておいてください」
差し出された湯飲みを受け取ろうとせず、近くの棚を示す東条殿。
特に喜緑さんは気を害した様子もなく、東条殿と視線を交し合った後、外へと出て行った。
ここで、結論が出た。
なるほど。東条殿は女性が苦手なのか。
そう思えば、先ほどの質問にも納得が行く。
しかし、それは人生を損してはいないだろうか。それに、ここにいるからには慣れてもらわねばなるまい。
やはり朝倉さんに東条殿を任せるのがよいか。
幸い朝倉さんは面倒見がいいから、きっと率先してやってくれることだろう。
そんな僅かな勘違いを残し、その日は終わった。