Chasm(in silver soul/邂逅編)|秘密に蜜を注いで|土方十四郎視点

 松平のとっつぁんに客人が来ると言われ、俺達は屯所の広間で待っていた。
 来るのは天人でも幕府の要人でもないが、待ち構えるこちらは緊張しまくりだ。
 なんでもこれから来るのはとっつぁんの命の恩人ということらしく、近藤さんも総悟も若干の緊張が見られる。というか、さっきっから隣でがちがちがちがち、五月蝿くてたまらない。
 見かねた総悟が、近藤さんに話しかけた。

「近藤さん。緊張しすぎじゃありゃせんか?顔が真っ青でさァ。
それに、そんなに歯ァ鳴らしたら、窪みがまっ平らになっちまいますゼィ」
「そ、そうはいってもよ…これから来るのは松平のとっつぁんの恩人……緊張するなって方が無理な話だ」

 その気持ちは痛いほどにわかる。
 俺達は松平のとっつぁんに拾われなければ、こうやって堂々と剣を握っていられなかったのだ。その恩人に何かしてしまったら…と緊張するのは当然のことで、俺も手の中が汗ばんでいる。

「それにしても、全然来ねぇな」
「土方さんの所為じゃないっすか?」
「何で俺の所為なんだよ」
「マヨネーズ臭くって屯所に入ってこれねぇんですよ、きっと。
だから、」

 総悟が素早くバズーカを肩に担いで俺に照準を合わせてくる。

「死ね、土方ァ!」

 あとは引き金を引くだけだったが、バズーカから弾が発射されることはなかった。

「何してんだぁ、てめぇら」

 それはとっつぁんの声が割り込んだからであり、

「相変わらず、トロ達は仲が悪いみたいだね」

 もう一つの知った顔がそこにあったから。

 猫を肩に乗せた男が一人。襖の向こう側に見えた。
 近藤さんも、総悟も目を見開いて、そいつを凝視している。

「久しいね。息災のようで何よりだよ」

 前と同じ変なアダ名で俺のことを呼んだ叶は、変わらぬ柔らかい雰囲気を伴ってそこにいた。





 客人で松平のとっつぁんの恩人というのは叶のことだったらしい。
 道理で会えば分かるの一言でとっつぁんが説明を終わらせたはずだ。
 とっつぁんは所用があるとかで、すぐに仕事に戻り、残されたのは俺達三人と叶。
 何から話を切り出せばいいものかと、逡巡し、最初に声を発したのは総悟だった。

「……なんでいきなり居なくなったりしたんですかィ」
「待ち人がいてね。それにあの頃の江戸は特に物騒だったから離れたかったんだ」

 膝の上で丸くなる猫を撫でながら、穏やかに言った。
 叶の後ろの襖から、隊の奴らが襖の隙間から様子を伺っているのがわかる。
 怒鳴り声の一つもあげたいところだが、タイミングがつかめない。

 近藤さんが頭を下げた。

「あの時は礼も言えず、申し訳なかった」
「礼?」
「握り飯や松平のとっつぁん…いや、松平公へ俺たちの話を通してくれたんだろ」
「お礼を言われるようなことは何もしていないよ。
決めたのは松平さんで、彼に認めさせたのは君たち自身。僕は切欠を作ったに過ぎない。
作った波紋が、そのまま消えるか、大波になるか。気に掛かってはいたけど、いい波になったみたいだね」

 その切欠がなけりゃ、俺達が松平公に会うことなんてできなかった。
 江戸に出てきたばかりで、アテなどあるわけもなく。ただ徒に時間を浪費する日々。それでも奔走はしていたが、既に幕府は天人に実権を握られつつあり、侍を排そうとする潮流にあった。真選組となった今は攘夷浪士をとっ捕まえる側にあるが、あの切欠がなければ、俺達も攘夷思想の下で力を振るっていたとしても不思議は無い。
 俺達には剣しかなく、幕府に仕えている今も、奴等の心情を理解できないわけではないから。

「またどこかに行くんですかィ?」
「いいや。しばらく留まるよ」
「どこに?」
「かぶき町。仕事も決まったんだけど…そのことで、ちょっと相談があって来たんだ。
どうも、僕が勤めることになる先に、結構有名な攘夷浪士が現れるらしくて」

 噂なんだけどね、と付け足す。

「場所は?」

 叶が名を上げたそこに、心当たりがあった。

「遊郭じゃねぇか」
「ゆゆゆゆッ!?」

 近藤さんが顔を真っ赤にする。
 キャバクラは行く癖に、そういうところはダメらしい。というか、名前聞いただけでどもりすぎだ。

 総悟の意味ありげな視線に気付いた叶は、俺の説明に言葉を付け足す。

「僕は客を取ったりしないよ。
髪結いとか、掃除とか、接客とか…まあでも、主は医療だね」
「へぇ。アンタ医者なんですかィ」
「無免許だけど」

 付け足された言葉に、病院を選ばなかったわけを納得した。

「しかし、かぶき町といえば犯罪の発生率が高い。そんなところで大丈夫なのか?」

 思い出すのは出会ってすぐの…俺達がこいつを高杉と間違えて斬りかかったときのこと。
 黒髪、優男、それに隻眼と、触れ回られていた高杉の特徴をピンポイントで捉えていたものだから、責任転嫁するつもりはないが勘違いも無理はないだろう。加えてそのときは、俺達は江戸に来たばかりで必死になって視野が狭くなっていたのも原因の一つだ。
 飛び掛ってきた俺達に目を丸くし、そしてそいつは自分の足に縺れて目の前で昏倒………今度は俺達が目を丸くする番となった。
 調べてみれば、攘夷戦争で前線で戦っていたというのに身体に筋肉も傷もない。手はまっさらで刀を握った形跡も無く、何より突然斬りかかられたぐらいで目が零れんばかりに驚いたあの反応からしておかしいのだ。
 起きたところで話を聞けば、叶は俺達が勝手に借りていた道場の近所の人間で、とっくに放棄されたはずの道場から毎日五月蝿い声が聞こえるために近所の女子供が怖がり、何事かと様子見に来たのだということで………直後、近藤さんを初めとし、皆が頭を下げたのは言うまでもない。
 普通はそこで奉行所なり何なり連れて行かれてもおかしくはなかったというのに、叶は何も言わなかった。
 "極力生かして捕えること"とされていなかったなら、間違えて殺してしまっていたかもしれない。それも正直に告げてなお、叶は俺達を責めることは無かった。あまつさえ、日々の食事にも困窮し始めていた俺達に施しを与えるなど、近藤さん並にお人好しが過ぎる。そんな叶がかぶき町に行っても利用されるのがオチだ。

「悪いことは言わねぇ。今からでも別の場所で、働き口を探したほうがいい」
「…僕はあまり大声で言える生まれではなくてね。君達だって、僕の異常には気付いているでしょ?」

 俺達が避けていた話を、叶は覚悟を決めたように話し始めた。

 叶は、昔会ったあのときと、何も変わっていなかった。
 幼い顔立ちはそのままで、にこにこと笑って座っているだけならば年下を相手にしているように錯覚するが、松平のとっつぁんから聞いた話も加えれば、俺達よりもそうとうに年上だ。
 まるで時間に取り残されたように。叶は俺達の前に再び現れた。

「僕には天人の血が混じっていてね。もとよりそういう種ではなかったけれど、突然変異で僕はかなりの長寿に生まれてしまった。こう見えても君たちの十倍は生きているんだよ。なのにこうやって見た目ではとうに追い抜かれて、今では僕の方が見た目は年下だ。
人間でもなく天人でもなく。そんなどっちつかずな僕は、どちらの側からも弾き出されてしまってね。
そんな僕を雇ってくれるところは少ないから……選べるほど仕事はないんだ」

 落とされた声が、今までの苦労を物語る。
 人間でもなく、天人でもない。見た目は人に相違ないが、月日が経てばその差は目に見える形で現れる。ひとところに留まることも叶わなかっただろう。
 僅かに握り締められた拳に見ないフリをし、俺は訊いた。

「それで?現れるっていう噂なのは誰だ?」

 叶の挙げた名前に、俺達は息を呑んだ。




「あの人、一体誰なんすかね」
「松平のとっつぁんの知り合いみたいだったが、それだけじゃねぇよな」
「がっちがちだった局長も雰囲気柔らかいし……」
「お前等、知らないのか?あの人は俺達全員の恩人みたいなもんだ。何しろ、真選組結成の切欠を作った人だからな」
「真選組の!?」
「ごごご、ご挨拶とか、行った方がいいのか!?」
「何でも松平のとっつぁんに江戸に来ていた局長たちの話を持っていったのがあの人らしい」
「マジかよ」
「……にしては若すぎじゃねぇ?沖田隊長とそんなに年変わんない様に見えるんだけど」
「けど、局長達の様子考えると、本人だよな」
「あの人は昔から年齢不詳だったらしいぜ。松平のとっつぁんの恩人の話を考えると、あれでとっつぁんより年上のはずなんだが………」
「とっつぁんより!?」
「ありえねぇだろ」
「あの人がねぇ……ってあれ。視界が暗く………って副長!?」
「テメェらうるせぇぞ!!!こんなところで油売ってねぇでとっとと仕事に戻りやがれ!!」

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