Chasm(in silver soul/赤葬編)|アルルカンへの手紙|志村新八視点
早朝…とはいっても万事屋の基準での"早朝"10時に響き渡ったのは、ガラス戸の叩かれる音だった。
"とんとんとん"
だらけた表情を見せていた僕らは僅かな衣擦れの音も立てないようにと身構えた。
"とんとんとんとんとんとん"
家賃滞納は既に四ヶ月目。そろそろお登勢さんの堪忍袋の緒が切れてもおかしくない。より具体的に言えば、たまさんが乗り込んできてもおかしくない。
"とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん"
たまさんが家賃回収に来たのだとすれば、この僕らの行動に意味はない。熱関知センサーによって一発でばれる。
"とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん"
が、これがキャサリンなら。ただの猫耳がついているだけのおばさん相手であれば問題は無い。
まあ、ウチの財産の場所を熟知しているようだから、勝手に持って行く…という可能性は否定できないが。
"とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん"
それにしてもしつこい。
銀さんと神楽ちゃんも苛々し始めているようだ。
そこ、貧乏揺すりと床を指でコツコツするのヤメなさい。バレるでしょうが。
"とんとんとんとんとんとんと…"
ようやく音が止まった。
「もしもしー?いないんですかー?」
たまさんでもキャサリンでもない。誰かの声が聞こえてきた。
「…仕方ない。別のところにお願いするしかないかぁ…」
声は高い女性のもの。のっといこーる姉上、キャサリン、お登勢さん、たまさん。
お願いする。いこーる依頼がある。
別のところ。いこーる今を逃す馬鹿はない!
お客さん!それも三ヶ月ぶりの!
そうと分かった僕らの行動は早かった。
「いらっしゃいませぇぇぇぇぇ!!」
勢いよく、玄関まで豪速で飛んでいった神楽ちゃんがガラス戸を割らんばかりに扉を開き、
「どうぞこちらへぇぇぇぇぇぇ!!」
続いて銀さんがこちらを振り返ってすらいない客の手を掴んで中へと引き込み、強制的にソファへ座らせ
「粗茶でございますぅぅぅ!!」
締めに僕がお客さんの前にお茶を出した。
勢いがよすぎて、半分は机を濡らしていた。
「いやぁ先ほどはすみませんねぇ、玄関でお待たせしてしまって。ちょっと依頼が立て込んでまして」
そんな嘘八百を銀さんは悪びれもせずに並べていた。
まあ家賃の取り立てが怖くて居留守使ってました…なんて、口が裂けても言えないけど。
依頼人の女の子ーー露草さんは全く気を悪くした風なく、顔の前でぱたぱたと振った。
「お気になさらず。むしろ、こんな簡単なことを頼んでしまってすみません」
「いえいえいえ。こちらはお客様が第一ですから」
歯に衣を着せまくり、閻魔に舌が抜かれるのも気にしない勢いで、銀さんは言葉を並べまくっていた。
依頼はかぶき町の案内だった。
江戸に来たばかりで右も左もわからない。ただ、会いたい人がかぶき町にいるのだけは間違いない。というのが要約した内容。
ならば最初はその探し人の所在を確かめてから…と話を進めようとしたのだが、探し人は目立つ人でかぶき町を一日適当に歩けば絶対に見つかると言われたのだと押し切られ、皆でかぶき町を探し歩くこととなった。
かぶき町は治安がいいとは言えないため、前を歩く銀さんと露草さんの後ろを僕と神楽ちゃんが固めている。
「万事屋さんにお願いができてよかったです」
天使がいた。
見た目がかわいくても性格が、なんてこの世の中にはざらにいる中、特に身近にいすぎる中、この依頼人は見た目も中身も天使だった。
可愛い。
第一印象はそれに尽きた。
濃い紫色の髪はツインテールになっていて、毛先が緩く巻かれている。
着ているのはタイトな黒を基調としたいわゆるゴスロリファッション。フリル満載のアームカバーにレッグカバー、そしてキャミソールワンピ。膝上15…いや20センチの白いフリルのスカートから覗く足が生足ではなく白タ「イツなのが残念って顔してるネ」
「うわあああ!?」
いつの間にか近づいてきていた神楽ちゃんの囁きに肩が跳ね上がった。
これだから男ってヤツは…、と言わんばかりの蔑んだ視線が痛い。
幸いにして、このやりとりは銀さんや露草さんには届いていないようだった。
「それにしても暑いですねぇ」
「もう残暑らしいけどね。異常気象とか?地球温暖化とか?そんな感じのせいですかね?」
慣れない時事用語が銀さんの口から滑り出る。
「日傘、とかどうですか?あの辺の店なら、その服に合うのも…」
「いいえ!」
僕の提案を全て聞き終えるより前に、露草さんはきっぱりと否定した。
「確かに紫外線はお肌の大敵ですけど、今はゆーぶいかっとの日焼け止めとかいっくらでも売ってます。
なにより、こぉんなお天気に日傘なんてもったいないとは思いません?」
露草さんがそういうと、隣の神楽ちゃんの表情が少し下げられた番傘で見えなくなった。
彼女に悪気がないのはわかっている。
けれど、夜兎族という性質上、日の光の下を傘なしでは歩けない神楽ちゃんが、いつも傘を持たずに歩く人間を羨ましそうに見ているのは知っている。
「ああでも、ちょっとだけ待ってて貰ってもいいですか?」
そういうと、露草さんは僕の指差したお店に入り、そしてしばらくしてから出てきた。
手には日傘。
あれ?と思っているうちに露草さんは僕の横を通り過ぎ、神楽ちゃんの前に立った。
「はい」
「え?」
「それ、きっと思い入れのある傘なんでしょ?でもたまには、こういう傘もかわいくていいよ」
傘を広げてみせる露草さん。紫色で布の部分が花型に切り継いである。
かわいらしいというより大人っぽいそれを、少し頬を赤らめて神楽ちゃんは受け取った。
いつもの番傘を閉じて、代わりにそれを日にかざす。
「ありがとネ」
「どーいたしまして」
嬉しそうにその傘を肩に乗せた。
ところで、と露草さんは一方を指差した。
「あっちの方に行ってみたいなぁと思うんですけど」
「あっち…ねぇ」
渋る銀さん。
それもそうだろう。露草さんが示したのは、けばけばしいネオンに彩られたいかがわしい繁華街。
とてもじゃないが、露草さんの探し人がいるとは思えない。
「それなら、僕がその人の特徴を聞いて探してみましょうか?」
「…いや、皆でいこうぜ」
否の返事をしたのは他ならぬ銀さんだった。
え?と僕と神楽ちゃんが顔を見合わせているうちに、さっさと二人はそちらに向かっていってしまう。
遅れまいと、慌てて僕らも銀さんたちの後を追ったのだった。