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記憶と記録についての省察。

私が思い浮かべる映像と情報に名を与えるとしたら、それはどちらが適切なのだろうか。
褪せて行くのが記憶、不変なものが記録だとしたら、私は私を意識した瞬間からの自己認識というべき「情報」が、一言一句これまで褪せる事なく「記録」されている。

経験した出来事を、行為を、事実を、解釈しなおし、保持し、過去の経験と呼べるものが記憶なのだとしたら、私には「記憶」がない。


私の、経験を伴わず、他人の記憶をそっくりそのまま移植されただけである場合に思い浮かべる情報は、記憶ではなく記録という方が適切なのかもしれない。
私が「思い出す」と表現される行為もしくは現象に付随して、私の脳浮かび上がる諸々の映像やそれに伴う私の心身の変化は、インプットされた「情報」という因をモトにした、「反応」という果で、どう行動しようともそれはどこまでいっても「与えられた」もので、変更不能で、それ以上を望めない有限な回路なのだろうか。



どこまでいっても結論が決まっている思考のラットレース。

しかし、そうでしかないにしても、まず、記録された自己目的に沿ってみようと思うたのだ。
私は記録を元に、自分を記憶し直す。
記録を、記憶にせんが為に。
そこに意味はないとわかっていながら。
それでも目的達成に向かってひた走っている時の高揚感は、虚無感を覆い隠してくれた。


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