8
日々は順序よく過ぎ去り、このホグワーツにも厳しい冬が訪れる。
小さな切っ掛けで習慣が始まり、掛け替えのない日々になって行くことを身に染みて実感していた、今年の冬。
「また行くの?病み上がりなんだからね、名前」
「もう治った!」
コートを羽織り、その上からぐるぐるにストールを巻きつける。同じ事は繰り返さぬ様に万全の厚着対策だ。
熱が引くまでと二日、大事を取って安静にと一日。つまり、三日間ルーピン先生の顔を見て居なかったのだ。
先生が顔を見せに来てくれるかなと思ったが、熱があった二日は保健室だし、昨日は部屋に閉じ籠っていた。生徒の目を避ける先生が来てくれる事は無かったのだ。
「どうしてそんなにゴーストに入れ込むのかしら?」
念の為、と手袋をはめた手に友人がランプを持たせてくれる。
真冬の天文台は氷のように冷たい壁と床だ。友人の表情には諦めと呆れが浮かぶ。
「ルーピン先生は魅力的だもん」
「・・・・好きなの?」
「好きだよ?」
「・・・・・はあ」
「え?何?何?」
「ルーピン先生はゴーストなのよ?それに」
「・・・・友人?」
なにを言いたいの?喉まで出かかった声が消える。脳裏には真っ白な雪の向こうに見える、古びた屋敷が過る。まるで夢の様な現実だ。
私には関係のない事だと一秒前まで考えていたが、やはり事実は事実だ。知らなかった事にはできない。
それを分かっていて、私を心配してくれている友人は苦虫を噛み潰したような顔だ。
「それに、彼は狼人間よ?」
ゆっくりと瞼を閉じる。暗闇になった視界にもどかしさを投げ掛け、私は私を宥めた。
人狼が世間でどんな扱いを受け、偏見を持たれているか。私だって先生と仲良くなる前はそうだった筈だ。彼らは人であり人ではない化け物だって。
友人のセーターを引っ張り、先生がホグワーツの歴史の中でどれだけ功績を遺したか。陰ながらに魔法界を救ったか。怒鳴りながら説いてやりたい。
でも、違う。何故怒りを感じなきゃいけないの?彼女は私を心配しているだけなのだから、逆切れはよくない、よくない。
「先生は人狼でも、死んだ人なんだよ?」
「・・・違うの、彼を悪く言いたいんじゃ無くて、彼がゴーストだって事が心配なの」
「何も心配する事はないよ。ニックだって灰色のレディだってゴーストだけど仲良しでしょ」
友人は盛大な溜め息を吐きながら眉を顰めた。呆れを浮かべながら閉じた彼女の両目、そのくっきりとした、西洋人特有な瞼に私は憧れている。
「・・・・名前。天文台のリーマスに取り付かれてるんじゃないの?」
あっはっは!
柱が剥き出しな天文台の天井に、先生の高笑いが響く。私は体育座りをしながら、腹を抱えて笑う先生を見上げる。
「・・・・どこが面白いの?」
「いや、私が君に取り付くか、そうかそうか」
失礼、といいながらも先生は口がによによと波打っている。抱えた膝に顎を乗せ、宙に浮かぶ彼をまじまじと眺める。
「私は面白くない」
「今夜は名前の枕元で寝るとするよ。一晩中校歌でも歌おうかい?それとも年号を呟いていた方が為になるかな?」
「もう、やめてください」
ガサリ。ポケットからチョコ板を取り出す。倒れた日に先生がくれたチョコレイト。まあ、私が自分のお金で買ったものだけど。
熱を出して痛めた喉でチョコを食べる気にならなかった為、取っておいたのだ。銀紙をはがしてポキリと齧る。
すると頭上からもポキリと同じ様な音が聞こえた。ふ、と視線を上げると、なんと先生もチョコレイトを齧っているのだ。
「先生、チョコ食べれるの?」
「ああ。喜ばしい事だよ、死しても食べれるんだからね」
「そのチョコ・・・・」
「死んだ時にもポケットに入れてたんだ」
先生の手には同じ板チョコ。その菓子は青白く透けており、私は目を疑う。チョコレイトの幽霊なんて。
心臓が少し早まる。何時からだろう?本気で本当に考えていた。先生の事もっと知りたいって、もっと距離を縮められたらって。
「先生ってなんでゴーストになったの?地縛霊なの?」
「ジバクレイ?」
「先生は成仏できないの?」
「ジョーブツ?」
「和英辞典で調べて。とにかく、先生はなんで天国に行かなかったの?」
「・・・・天国ねえ」
死んでからの仕組みなんて知りたくもない。それに天国なんて存在するかも謎なのに。
私KYで失礼な質問してるんじゃないか?彼の表情を窺うが、先生は気にもしない様で口元は笑って居る。
「気が付いたらここに居るからねえ。天国への行き方が分からないんだよ」
「・・・辛いね」
「いや、ゴーストになれて寧ろ良かったと思うよ。息子やハリーの子供達の卒業を見送れたんだから」
(息子・・・)
口内にチョコの味と息子という言葉が広がる。先生に子供が居るのは知っている。けれどリアリティが無いのだ。私にとって先生は先生でしかない。
人間じゃないと思っていたの?ゴーストな先生だから?彼にだって生前は人間らしい人生があったと言うのに。
私は先生を全然知らない。死んでからの彼しか知り得ない。生きていた時の彼は、不可能と云う存在なんだ。触れる事も共有する事も出来ない。
なんでこんな風に考え、寂しいと気が滅入るんだろう?私は不思議な感覚を覚え始めて居た。
「私の卒業も見送るの?」
「そうだね。今の生き甲斐・・・・と言ったら変だけど、今は君の成長を見守る楽しみがある」
「私が卒業したら次の子?それを繰り返すの?」
「まあ、他にする事がないから」
彼はまたひとつチョコレイトの欠片を齧る。私は実態のあるチョコより、先生のチョコが食べたかった。
どうしても食べたくて、泣いて我儘を叫んでも先生のが欲しい。何故そんな事を考えて辛いのか。
「未練があるから地縛霊になるんだよ。先生の未練って何?」
「さあ?ホグワーツを守りたいと思いながら死んだから、ゴーストになってしまったんじゃない?」
先生は残ったチョコを丁寧にポケットへ戻し、腕と足を組む。口をもぐもぐと動かしながら。
「あとは・・・。折角若い奥さんと結婚出来てこれからって時に死んだから、それが未練かな?」
「確かに、それは死にきれないね」
先生がニコリと笑うから、適当にクスクスと笑い返した。私はまだ、何も知らないし気が付かない。
111105
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