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「・・・・ル、ルーピン先生?」
「ああ、いかにも」
まさか!と心臓が跳ねる。彼は私の前にふわりと落ちると、握手や礼の変わりにニコリと口角を上げた。
想像していたのとは全然違っていた。着なれていそうなジャケットとスラックスにネクタイ、意外な程の長身に、鳶色の髪と色素の薄い肌。
目尻に寄った皺と艶の無い頬は、亡くなった時と変わらない年相応の30代だ。彼の登場に私の体は時間を止め、空洞化した体の中でぐるぐるとしていた。
意外だったのだ、彼の容姿が。もっと強面で鋭い目付きをしていると想像していた。しかしどうだろう?私の前にいるのは、とても優しそうな草臥れた中年男性だ。
「それ、珍しいね。ホグズミードで買ったのかい?」
「あ、い、これは、えっと」
「驚かないで。困らせるつもりで出てきたわけじゃない」
「その、これは日本のお菓子で」
「珍しい、君は日本人か」
「はい。えっと、・・・・食べますか?」
「ああ、美味しそうだ」
彼は眉をハの字に下げ、ニッと口角を上げて笑う。まるで子供を叱った後のしょうがないなあ、この子ってそんな顔。
手の平にカラカラとチョコボールを出しながら墓穴に気付く。先生の体は足が付いているのに半透明で、いかにもなゴーストだ。
物を食べられない彼に失礼だ、とチョコボールを箱に戻しながら項垂れた。
「〜〜っ・・ごめんなさい」
「はは、気にしないで」
「えっと、ルーピン先生」
「はい。今晩は」
心臓が小さく早く脈打っていた。会えると思わなかったし、会えたら会えたでなんだか嬉しい。心臓が早まってしまう。
高鳴る胸とは比例し、喉は落ち着きを取り戻す。先生は柔らかい物腰で、時に緊張する必要は無い人の様だ。
彼はふわりと地面を浮き、窓の淵に腰かけた。ニックでも灰色のレディでもなく、天文台のリーマス・・・。目の前に居るのが彼なんだと感動する。
「知っているとは思うが、リーマス・J・ルーピンだ。よろしく」
「はい。名前・名字です」
「グリフィンドールのローブだね、懐かしい。あー・・・」
「?」
「東洋人は成長が遅いと言うね。君は、一ね」
「三年生ですっ」
「これは失礼」
「いいえ、慣れてますっ」
語尾を強めに放ち、小さく唇を尖らせた。そんな私を横目に彼はクスクスと笑う。確かに東洋人は西洋人に比べて成長が遅いかもしれない。
一年生の頃は同じ背丈、同じ頬の丸さだったのに。西洋人の同級生達は三年生にもなるとあっという間に背が伸び、顔つきが大人びてきた。
おいおいまだ13歳でしょ、とこっちが突っ込みたいよ。そんな事を考えながら先生を見上げる。ふ、と彼が三年生の時はどんな生徒だったのだろうと思った。
「ところで名前、こんな時間にこんな場所で勉強かい?」
「あ、課題で・・・。それでルーピン先生に会いに来たんです」
「私に?」
「会えるとは思いませんでした。先生、レア中のレアキャラなんですもん」
「レアキャラか」
「多分、私の学年で先生を見た事ある人居ませんよ。なんで現れてくれたんですか?」
「・・・・たまたま、気まぐれさ。それの音に惹かれたってのは嘘になるかな」
ぶは、私は盛大に吹き出す。カラカラと鳴るチョコボールの音に惹かれて出てきたなんて、どんだけ可愛い大人なんだ!
「まあ、私は静かに過ごしたいんだ。それにここは人が来ない、そのせいもある」
「天文台は授業くらいでしか来ませんもん」
「そう、だから生徒達は私を見ないんだよ。それに君は私を呼んだだろう?だから出て来たのさ」
「・・・・天文台から離れられないんですか?」
「そんな事はないよ。どの場所にも行けるし、ホグワーツから出る事も出来る」
「え」
初耳だ、と身を乗り出す。なんだかわくわくしてきた。誰も知らない先生の事知れるなんて、大スクープじゃないか。
後で記者クラブの子達にこのネタ売っちゃおう。
「しかし、私が居る場所はここなんだ」
「・・・・・・」
「ここが一番落ち着くのさ。なぜだろうね、殺された場所なのに」
先生は憂いを含めた目を、外の紺色へ向けた。私は下から覗き込むように、彼の横顔を見上げる。
彼の淡々とした表情に、ネタを記者クラブへ売る考えは消え失せる。あまりにも先生がしんみりと呟くものだから、先生の静寂を破ってはいけない。そう思ったのだ。
(課題、自分でやろう)
動物もどきの本をこっそりと背に隠す。死して尚生き続け、その存在を自分で潜めているなんて。
先生の色素の薄い睫毛。彼のアイラインにはちゃんと睫毛が生えている。私と同じ人間だ。・・・私がここに来た理由、彼にとって余りにも。
「それで私に用とは?」
「あ、えっと、私、勉強が苦手で、えっと」
「ん?」
「課題が沢山出たんです。だから、ここは人が来ないし静かだし、えっと、ここを使わせて欲しいなって」
「構わないよ。ここは私の住みかだけど、所有地ではない」
「あ、は。ありがとう!」
「わからない所は教えてあげよう。どれ、課題は・・・」
先生がふわりと窓の淵から尻を外す。本の題名を見られてはいけないと、慌てて胸に抱き立ち上がる。
「今日は先生に会いに来ただけなの、今夜は遅いし寮に戻ります!」
「そうか。また明日も来てくれるかい?」
「勿論!」
ではおやすみなさいルーピン先生。そう言うと彼もおやすみ、と柔らかな声で返してくれた。じんわりと生まれた親しみを胸に、天文台の階段を駆け降りる。
胸に抱いた動物もどきの本が、熱を持っている様に熱く感じる。明日も行こう、天文台に来よう。そう思うけど、先生の前で課題はやれない。
(だって、先生は)
でも、早く課題を始めないと、食事や睡眠を削ってでもやらないと終わらない。それほど殺人的な量なのだ。
だけど先生の前では出来ない、出来ない!彼の前で動物もどきの本は開けない。だって、先生は人狼なんでしょ?
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