12
ひとつひとつ、しっかりと足の裏で床を踏みしめて階段を上る。天文台へと続く階段だ。
―リーマスが君と出会えてよかったと思う―
ネビル先生が言ってくれた言葉をそのまま素直に受け止め、私はこの冬を大切にする事にした。私だって先生に出会えてよかったと思うよ。
先生もそう思ってくれたら、不思議に温かい気持ちで胸がいっぱいになる。
入学祝いにお父さんが伊勢丹で買ってくれた皮の腕時計。太い針は8を指し、20時になる事を示す。
最後の一段をぎりりと踏み込み、目の奥でくらくらと悩んでいる。
「先生・・・・?居る?」
今夜の空は紺色だけで大きな丸はない。満月が終わり、新月が産まれたばかりだ。
お昼にネビル先生から今夜は戻っていると言われ、高揚すると共にどう先生に接すればいいかと悩みが産まれた。
普段通りに明るく行くか、先生の運命を分かち合うか。友達が恋や進路で相談してくるのとは違うのだ。
私が踏み込んで良い物なのか?そっとして置くべき問題じゃ。
天文台は相変わらず薄暗い。ゴーストで人狼の先生の存在を、改めて深く考える。ネビル先生、私達が出会えてよかったと思うなら、私はもっと先生の事を知るべきなの?
「ルーピン先生・・・・」
心臓がじわじわと騒ぎだす。天井の梁から青白い半透明の足がぶら下がっている。彼だ。今夜、知らないふりか踏み込むか。
のっそりと長い足が動き、ひょっこりと彼が顔を出す。心臓がドキドキと。どうしよう、私挙動不審になっていそう。
「名前!」
先生の青白い半透明な顔。その顔は目が会うと花が咲くようにぱあ、と晴れたのだ。
彼の明るい表情にふう、と取りあえず安堵すると共に、くらくらと揺れている目の奥の神経が不思議な切なさ押し上げて来た。
「名前、この前はすまなかった。折角君の友達が会いに来てくれたのに」
すーと宙を鳥の様に飛ぶ先生。頭に手を当てながら、はにかんで笑う。
「今度また連れて来てくれ」
喉の奥で待機する言葉。先生はまだ人狼なんだね、私に何か出来る事はない?どんな事でもいいから、なんでも話して下さい。
「今日は何の授業があったんだい?」
先生の相変わらずな、確信を含んだ何でも無い笑顔。先生に踏み込む事は、彼の傷を舐める事になるのだろうか?そんな資格、ただの一生徒の私が。
「・・・・先生」
ぼろりと落ちるように綻ぶ口元。彼のニヤニヤと緩ませる笑顔に釣られる形で、私は目元を緩ませる。
私の笑顔を見下ろしながら、先生もまた口角をニッと吊り上げた。
(ああ、だめだ〜!どうして)
先生ごめん。私、まだ怖いのかも知れない。
「先生、あとで私のルームメイト達連れてきていい?」
怖い?何が?笑顔を張りつけた皮の下で、私は今まで気付かなかった疑問に気付く。
私は、何かを確信するのが怖いのだ。それが何かはまだ分からないが、私はまだここに居たいのだ。
「ええ?」
「先生の話は全部面白いし、勉強の教え方も上手いし。きっと皆先生を好きになるよ」
「けれどねぇ・・・」
「こんな所で何年も一人なんてやっぱり」
寂しいよ。声に出さなくても彼は私がそう言う事を分かっている。
私しか知らない秘密の場所。秘密なジェントルメン。大切な宝石を一つ、宝箱から外へ出そう。
(先生はもっと)
先生をずっとこの学校に留めさせたい。先生が突然消えた日は私のトラウマになってしまったのだろう。あの日のココアは胸を締め付ける思い出になった。
私以外の多くに知られ求められればいい。ゴーストだろうと人狼だろうと、明るい談話室や食堂に居る権利はある。だってここはホグワーツだもん。
「・・・・名前、進まない時間を過ごすのはこの身となった以上仕方ない。妥協しているんだよ」
「でも、ニックや灰色のレディは生きてるみたいに生活して、皆の近くにいますよ?」
「この屋根裏で眠るのが性にあってるんだ」
「もう」
小生意気に腕を組み、首を横へ振る。先生は困ったように苦笑う。そして「トイレに行ってくるから」と天文台を出るフリをして自室へ向かう。
ルームメイト達を天文台に連れてくる為だ。私は秘密の宝物を手放す決心をしたのだ。
いつかひっそりと消えちゃうなんて怖い予想は起こさない。先生の中に入り込む一歩手前、投身する一歩手前だ。そこでいい。
私一人には切なくて難しくて、どうにも出来ないと答えが出たのだ。とにかく、とにかく先生には生涯ここに居て欲しい。証人は多い方がいい。
先生が私と出会えてよかったと言うなら、そのよかったを増やしてあげたいと素直に思ったのだ。
私は先生の大切な何かには成れないと、知らない自分が警告している。そしてこのままで、私と彼は不思議な友情と共に日々を刻んでいく事になるのだろう。
120219
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