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廊下の奥の暗闇から迫り来るフィルチから逃げだし、行きついた先は。
「・・・・名前、こんな夜中に何をしてるの?」
「ネビル先生、え、えっと」
フィルチから逃げだしたのは私が生徒であるからだ。そして、彼は消灯時間を過ぎた学内を巡視している。
私は消灯が過ぎたのにも拘わらず、学内を歩いている。フィルチはそんな生徒を咎めるだろう。ネビル先生もまた然り。
ネビル先生はランタンを顔まで上げ、私の事をまじまじと見下ろしている。
「もう消灯は過ぎたでしょう?」
「え、あ、・・・・図書室に忘れ物をして・・・」
「それなら朝取りに行けばいいんじゃないかい?違う?」
中年も後半に差しかかる物腰の柔らかいネビル先生。なよっとして優しすぎる立ち振る舞いは、生徒たちに舐められる位だ。
しかしそんな彼でも先生は先生だ。校則を破った私を怪訝な顔で見下ろしている。いつもは優しい先生だからこそ、叱られるのが嫌なのだ。
しょんぼりと視線を床に落とし、がくりと項垂れる。
「それに嘘はよくないよ」
「・・・・」
眉をこれでもかと八の字に寄せる。図書室に忘れ物なんて嘘はあっという間にばれてしまう。これだから先生は怖い。
「先生・・・」
「ん?」
「ネビル先生は知りませんか?ルーピン先生の事」
「え?」
「ここか!」
すると、突然背後から眩い光が向けられた。慌てて振り返ると、そこにはフィルチと彼の足に尻尾を絡めるミセス・ノリスの姿が。
彼は見つけたしめしめとばかりに厭らしく口角を吊り上げ、ニタリと笑っていた。
「・・これはこれはネビル先生」
「こんばんわ、フィルチ」
「おや・・・。これはこれは、こんな時間に」
「・・・・う」
フィルチはニヤニヤと笑いながらランタンを私に向ける。ますますやばいと更に項垂れ、どんな罰が施されるのかと、校則を破った後悔が今更圧し掛かる。
「校則を破った生徒にはそれ相当の罰が必要ですな・・」
禁じられた森で見回り調査、ふくろう小屋の掃除、湖の清掃・・・・フィルチは嬉しそうに罰則の種類を呟く。
背筋にぞぞぞと悪寒が走り、どれも当たり前にしたくない。
「フィルチ、この生徒の罰則は僕がするよ」
「む?」
「そうだな、朝まで呪術の書き取りでもしてもらおうか、僕の部屋で」
「うう〜・・・」
「そうですか、それはそれは」
「さあ、朝まで一睡もさせないよ。来なさい」
ええ?ほんとに?朝まで?!驚きや反対の色を見せるまもなく、ネビル先生に背を押され彼の部屋へ向かい出す。
後ろからミセス・ノリスの鳴き声が暗い廊下に響いていた。はあ、と溜め息を吐く。朝までペンとノートと睨めっこなんて鬼畜すぎやしないかと。明日も授業はあるのに。
「さあ、入って。そこに座って」
ネビル先生の部屋へ着くと、まずソファの方へ通される。ふかふかのソファに腰かけながら、明日の授業は居眠り決定だろうと息を吐く。
「紅茶とコーヒーとココア、どれがいい?」
「おかまいなく・・・・」
「じゃあココアかな?そうだ、ルーナからお菓子が送られてきたんだ」
「・・・・ネビル先生?」
あれ、先生、罰則は?ネビル先生は先程の態度から打って変わって、いつもの先生だ。ニコニコとして優しげで頼りなささげな。
彼はてきぱきとココアとお菓子の準備をしている。ルーナって確かホグワーツ防衛隊の・・・。彼女から送られてきたのはシンガポールのお菓子だとか。
「ネビル先生、罰則は?」
「ああ、・・・・名前。校則を破る事は良くないよ。しかし今夜の所は見逃してあげる。ちゃんと反省しているならね」
「ほんと?先生?!」
「それに君がこんな時間に出歩く理由、分かってるよ」
「え?」
ココアの入ったマグを渡される。甘い湯気にルーピン先生を思い出す。
「リーマスの事でしょ?」
「・・・・はい」
ドカリと向かいのソファにネビル先生は座りこんだ。やっぱり先生にはばれていたのだ。私ってそんなに分かりやすいのかと、そろそろ本気で悩もうと思う。
彼は困った様に笑いながらマグへ口をつけ、皿に盛った菓子を頬張った。
「ルーピン先生が突然消えてしまったんです。ネビル先生の所へ来てませんか?」
「来てないよ」
「・・・・どこに居るか、知りませんか?」
「リーマスが心配なんだね」
「私、先生に嫌われたのかも。鬱陶しいって」
「・・・・君は本当にリーマスの事が好きなんだね」
「はい」
そうかそうか、とネビル先生はニヤニヤとしながら顎を摩った。私は心配と不安で困惑して疲れているのに、先生は余裕で笑って居る。
ネビル先生の態度でふつふつと光が射す。ルーピン先生が消えたと言うのに、ネビル先生は驚きもしない。ってことは。
「もしかしてルーピン先生、まだホグワーツにいますか?」
「ああ。よっこらしょ」
「?」
「こっちにおいで」
すると彼は立ち上がり、徐に窓のカーテンを引いた。そして私を手招きし、夜空を指差す。
(・・・・・・・)
紺色の夜空の真ん中に、黄色を見つける。そこまででは何も分らなかった。ネビル先生が何を言いたくて夜空を仰げだなんて。
夜空の黄色を見上げていると、じわじわと切なく苦しい様な念が込み上げてきた。月の光は黄色に青白く、不思議な光を放つ。その光は人を惑わせると聞くけれど。
「あ、・・・・」
「わかったかい?」
じわじわと込み上げる念は喉まであがると、一気に確信へと変化をする。あああ!そうゆう事!と夜空の気付きに心で叫ぶ。
夜空にはぼんやりと、まん丸なお月さま。・・・今夜は満月だ。
「そんな、そんな・・・」
わかりました、そうゆー事ですね!と授業で当てられ、黒板に答える様にはいかない。
両手で口を覆う。わなわなと指が震えていた。綺麗な満月だと言う答えにはならなかった。もうすぐ涙が零れるだろう。こんな風になるなんて、ネビル先生も驚いているに違いない。
「・・・・名前」
「満月だから、満月だからルーピン先生は」
瞳には綺麗な満月が揺ら揺らと揺れる。それとは裏腹に、行き場のない思いが体内で暴れている。
もし、神様が人型で思想もあり感情もあるのなら殴ってやりたい。それらを備えても、死人を虐めるのか。心ってものはないの?
神様に実体が無く、漂う雲の様なら許せたかも知れない。液体や気体なら殴れないもの、きっと心もないでしょう。
「もう死んでるのに、まだ人狼に・・・・」
「リーマスは満月の前後数日は姿を消すんだ」
十分に水分が集まった瞳に、動物もどきの参考書が映る。あの課題の一件で大分詳しくなったもんだ。
うう、と心がなよっと折れる。自分の事じゃないのに酷く痛い。人狼の苦しみは分からない。けれどそれが先生の身に起こる事なら、もっと分かりたい。
先生は言った。体中の傷跡は、襲う対象が無い時に自分を痛めつけるからだと。私はペンを走らせながら思った。彼は既に死んでいるのだから、人狼の呪いは解けてただろうと。
「ひどい、こんな事ってない。まだ呪いが終わらないなんて」
「・・・・窓の側は冷えるよ。ココアを」
「・・・・・」
肩にふわりとネビル先生のカウチンが掛けられた。むくむくのカウチンから、ネビル先生の香り。古くなった毛糸とおじさん独特の匂いだ。
両手で顔を覆い、静かに涙を流す。わんわん泣いて知らない誰かを責めたい。可哀相だって偽善みたいな同情で出来ている。
どうして死んだ今も彼は苦しまなければいけないのかと。死は生きる全ての苦しみから解放される事じゃなかったの?
「リーマスは君の事が嫌で居なくなったりなんかしないよ。リーマスが君と出会えてよかったと思う」
「・・・・せんせ」
「君は死んだ彼を大切にしてくれる」
ネビル先生がカウチン越しに肩を撫でた。
指の隙間から今一度夜空の満月を見上げる。その存在は憎くも涙で滲み、やっぱり綺麗だ。
「さあ、お菓子を食べて。体が温まったら部屋に帰っていいよ。お菓子にぐっすり眠れる魔法を掛けといたから」
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