▼ 鳥のおよめさま
昔々、ある深い山に小さな村がありました。そこには毎日茸を取る為、山へ通う娘が居りました。
(これは毒茸、こっちは食べれる・・・)
木の根に生える茶色い物体。それを娘は経験と知恵を生かし、食べられる茸だけを籠へ入れて行く。
採った茸達の6割は村で売る為。残りは娘の家族の食料だ。
「ふう、結構集まったかな」
背中に背った籠が段々と重くなる。娘は一段落と腰を上げた時だった。
「ん?」
―バサバサ
すると突然、鳥の羽ばたく様な音がして娘は音の方へと視線を向けた。
深緑がキラキラと光る木漏れ日の中、地面に倒れ混む男の姿があった。
(寝てる?)
その男は、ここらではとんと見かけない装いで、赤い髪と目元を隠す長い前髪が印象的だった。
「・・・誰?」
娘はおそるおそるに声をかける。すると、仰向けで倒れている男の両目がパチリと開いた。
「・・・・・・・・・」
「どちら、様でしょう?」
「・・・・・・・・・」
「・・・あのー?」
男は二、三度瞬きすると喉に手を当てて、口をパクパクと動かし首をフルフルと振った。
「しゃべれないの?」
「・・・・・・」
男は頷く。彼の身体はよく見ると、細かい切り傷や泥などで汚れていた。きっと森に迷い込み、出れなくなってしまったのだろう。
娘は声が出ないのに、なんて可哀想な人なのだろうと思った。
「まあ、こんなにボロボロになって。この森は深いから」
「・・・・・・」
「さ、お水をどうぞ」
水が入った竹筒を渡すと、男は疑い深そうに竹筒と娘を交互に見つめた。
「そこの川から汲んだ水ですよ」
男は竹筒に口を付けると、余程喉が渇いて居たのか一気に水を飲み干した。
「あ、握り飯もありますよ」
「・・・・・・・・」
娘は昼飯用に握って来た飯を二つとも彼に差し出した。
男はペコリと頭を下げ、あっという間に握り飯を平らげてしまった。
「あの、あたし今から採った茸を売りに行くんです。良かったら一緒に行きますか?」
「・・・・・・・・」
男は首を横へ振った。横へ振るという事は拒否か否定だろう。
娘は変な人だ。と首を傾げる。迷っているのなら一刻も早く森から出たいだろうに。
「いいんですか?あたし行っちゃいますよ?」
「・・・・・」
「・・・えっと、じゃあ。このけもの道を真っ直ぐ行ったら大きな道に出れますから、ね」
「・・・・・」
「・・・・・」
男は両目を細めて娘を見上げた。よく見ると彼の眼は赤味のかかった色をしている。
(赤い目の人間、初めて見た・・・)
ゾクリとした感覚が娘の体中を走り回った。
*
そして何日かが過ぎた。男は一向に同じ場所から離れようとはしなかった。
男はいつも同じ場所にいる。娘はどうしても男の事が気になり、毎日握り飯を届けに行く様になっていた。
次の日も次の日も、次の日も、娘は男の所へ行き、次第に二人は惹かれ合うようになっていた。
「ねえ。あたし、貴方の名前知らないよ?」
「・・・・・・・」
男は口をパクパクと動かす。娘には口を読む術など無く、彼が何を言っているのか分からなかった。
すると男は小枝を拾い地面に「小太郎」と線を引いた。
しかし、ただの農民である彼女に字が読めるわけがなく。娘はその線をどう読むか知らなかった。
「・・・読めない」
「・・・・・・」
男はハアとため息を吐き、やれやれと首を横へ振った。
しかし、名前など知らなくても、二人にとってはそれ程大きな問題ではなかった。
「もう帰るね。兄妹の世話しないと」
「・・・・・・」
「・・・また明日も来るから」
「・・・・・・」
深い深い森の奥。深緑が煌めく木漏れ日の中、その日二人は初めて口付けをした。
*
「あねうえ!おっかあは?」
「おっかあなら畑へ行ったよ。お前たちもいっといで」
「はーい」
育ち盛りの妹と弟達が元気よく家から飛び出した。
背中に背負った末の弟が、びええ。と泣き出した時、縄を編んでいた父が突然、深くため息を吐いた。
娘は父の深いため息に振りかえる。縄を編む父はたいそう険しい顔で娘を見上げていた。
「はあ・・・・お前よう」
「なあに?おっとう」
「・・・・・」
「どうしたの?おっとう?」
深刻そうな父の表情はとても珍しい。なにか嫌な予感がする。きっとおっとうは怒っているんだ。
「お前よう、森で男と会ってんだと」
「!!」
「村中で噂になっとる。どこの誰ともわからねえ男だそうだな」
「・・・・あ、あたし・・・」
父は、疲れたような、呆れているような顔でまたため息を吐いた。
「もう森へはいっちゃいけん」
娘の頬に、つう、と一筋の涙が流れる。
背中でぐずる弟のびいびいと泣き叫ぶ声だけが、頭の中で五月蠅く響いた。
(いやだよう!あの人と会えないなんて)
*
(きた)
こちらへ向かってくる、トタトタとした足音。
その人物は誰だか気配ですぐ分かる。男はゆっくりと瞼を上げた。
「どうしよう!」
「・・・・・・・?」
娘はぜいぜいと息を切らしながら、男の胸に飛び込む。いつもとは違う娘の様子に、男は心なしか驚いているようだった。
「・・・どうしよう!」
「・・・・・・?」
「どうしようどうしよう!」
「?」
「もう、あたし貴方とは会えない。おっとうに森へ行くなと言われたの!」
「?!」
男は葉の紅葉を思わせるような、赤茶色の両目を大きく見開いた。娘はそれを見て胸が苦しくなる。
その赤茶色は今まで見て来た沢山の中で、一番に魅力的だったのだ。
「あたし、貴方に会えなくなるの嫌!」
「・・・・・・・」
娘の目から、ぽたぽたと雨粒の様な涙が落ちる。
男は娘をきつく抱き締めた。娘の背中をポンポンと軽く叩きながら、まるで子供をあやすかの様に揺れる。
ゆらゆら、ゆらゆらと。
すると段々に娘の気持が落ち着き、ポタポタ落ちていた涙も次第に引っこんでいった。そして男は娘の髪を梳かすように撫でる。
「ならば、俺はお前を貰ってゆこう」
(え?)
初めて聞く男の声。思考が働く前に、娘は反射的に男の顔を見上げた。
―バサッ
「・・・貴方・・・」
娘は息を飲む。そのあり得ない光景を、ただ瞳に映すだけ。なんと、男の背中からカラスの様な黒い羽がバサリと生えたのだ。
「・・・・・・・」
男の赤い髪はだんだんと黒い羽に、娘の頭を撫でる手はだんだんと鋭い爪をもった鳥の足に。
美しいと思った赤茶色の瞳は、ギラギラとした獣の目になる。顔の形がみるみる変形し、尖った口ばしへと変わった。
「あ、・・・あ・・・」
男はあっと言う間に、強大な烏の姿へと変わっていた。こんな大きな鳥は見た事も聞いた事もない。神なのか、あるいは妖なのか。
「貴方は鳥だったのね」
『怖いのか?』
「怖くない!」
娘は勢いよく、鳥の首に抱きついた。フサフサとした羽がとても温かい。
『俺と行くか?』
「・・・・」
娘の頭の中に幼い兄弟たちと、年老いた両親の姿が走馬灯のように流れた。それは、本当に走馬灯だったのだろう。
「いく」
鳥は一度だけ頷くと、娘を自分の背へ乗せた。
彼がバッサバッサと翼を大きく羽ばたかると、風が巻き起こり、落ち葉が竜巻のように舞いあがった。
(・・・・・・・)
娘は鳥の背に顔を埋め、涙を羽で拭いた。そして二人は空へと飛び立っていった。
それっきり、男と娘の姿を見た者は居ない。
娘が村に戻ってくる事は、二度となかったそうだ。
081225