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▼ コンピューターおばあちゃん

私はこの街が嫌い。

都会でも田舎でもない中途半端で微妙に有名な地方都市。内容に不満私、今すぐにでもこの街を出ていきたい。授業中に飛び出してもいい。お腹が痛いと言って教室を出て、保健室にも家にも向かわず上履きのまま窓から学校を出るの。
ありったけのお金を下ろして急行にへ乗りこみ、お金が尽きるまで北へ進む。そしてもう、街には帰らない。

「名字さ〜ん、君だけですよ?白紙なのは」

窓からはぼんやりとしたオレンジ色の夕陽。それに照らされる先生の顔は、夕陽と同じオレンジ色だ。いや、室内全てがオレンジ色の海だ。きっと私もオレンジの肌をしている。
教室には私と先生二人以外に誰も居ない。校庭からは運動部の掛け声。校内の遠くからは合唱部のスタン/ドバイミーが聞こえてくる。ような、そんな気がしたけれど今は静かだ。
私達は一つの机を挟み向かって座っている。その机の上には真っ白な紙が、この現状を主張する様に机の面積を三分の二、占領している。
先生はその紙を見下ろしながら困ったように笑った。

「なんでもいいですから。あ、もちろん適当は駄目です。少しでもやりたい事、とか、目指す物、はないんでしょうか?」

その小さなやりたい事や目指す物、それを進路に結び付けたいんだ。先生は。
きっと学年主任に言われたんだろう「おたくのクラスまだ全員出してないんですか?やれやれ」って。
優男みたいな、へろへろとした先生が可哀想。だから仕方なく、私は愚かであろう自分の将来を喉でスタンバイさせる。先生も、私を宇宙人だと言うんだろうか?

「やりたい事はないけど、街を出ようと思います」

「ふうん、この街を?行きたい大学でもあるんですか?専門?」

先生は右手にペンを構え、私が何かを言えばそれをすかさずに書き込む勢いだ。私はこの進路希望調査、全ての提出日をボイコットしている。だって、本当の事書いたら私は宇宙人だもの。
でもそれでもいい。私は今すぐにでも宇宙人になりたい。

「進学する気はない、です」

「勿体無い。君はやれば出来る子なのに」

「またまた〜」

誰でもそう言うんだって。やる気が無いだけでしょってそう言うけど、やる気が無いのにやれば出来るなんて、意味がないじゃない。強制と一緒だ。
先生は右手に持ったボールペンをぐるりと手の中で一度だけ回した。その行動に少し驚く。ペン回しだなんて、クラスの男子みたい。

「街を出るとして、何処へ行きたいの?」

「そうだな〜オーロラ見てみたいかもなあ。見た事ないし」

「・・・・それは、旅行ってやつじゃないでしょうか?」

「違うよ〜。オーロラって日本で見えるもんなんですか?やっぱり北海道?」

「北海道で見えますかね」

「う〜ん。ま、いいや。うん、そうだね北海道にする。書いていいですよ、進路希望北海道移住って」

先生はまた困ったように笑う。若王子先生まだ若いもんね、名字のように。三十代四十代の先生なら真面目に考えろと説教してくるだろうに。
こんな我儘で手のかかる生徒は面倒くさいだろうね。でも若王子先生はあからさまな態度は取らない。呆れていても、本人の前で嫌味な溜め息なんて吐かないし、怒鳴りもしない。
ただ、困ったように笑う。それが彼の最大の武器だ。

「北海道で何をするんです?」

「バイト探して働きます。住み込みとか?多分」

「本気で言ってるんですか?世の中そんなに甘くないですよ?」

「北海道が駄目なら青森行くもん」

「名字さん、もう・・・・」

「先生って昔は外国に居たんでしょ?オーロラ見た事ある?」

「いえ、それほど寒い所では。ねえ、名字さん。何故進学の気はないの?それ程悪い成績じゃないんですよ?」

「だって先生、私の学力じゃ入れる所は決まった場所じゃないですか。地方受ける理由がないし。とりあえず早くこの街から出たい」

いい街なのにどうして?先生はそう言った。「僕はこの街が大好きですよ」私もそう思う。表面ではね。
違うの先生。この街はなんでもあり過ぎる。そのせいで見えない物がある。シンボル的なホテルやタワー、遊園地に商店街。それらがその向こうにある外を隠している。
それを越えれば何かが変わる気がするのに。あ、別に変わらなくてもいいんだけど。
とにかく、この街を出たいだけ。
そう言ったら先生の表情がだんだんと強張って行った。いつもの浮かれた様な顔からは想像できない、心配で胃がやられてます。みたいなそんな顔。

「君の考えてる将来は現実的ではないです」

「私も将来は不安。でも、先が分からないのが将来だよね」

「親御さんは何か言ってますか?・・・それとも、お家に事情でも?」

先生の顔が強張った理由はこれだ。やっと異常だって気付いたんだ。これ程に街を出たがる私を。そして先生の中で答えは家の事情へ繋がってしまった。どうでもいい事だ、先生には。
教師って職業は本当に大変だね。何十人もの生徒を受け持てば同じ数だけの家庭がある。

「家族は関係ないです。私、この街で閉鎖的に生きていくのが嫌なんです。縛られるのが嫌だなんて若者らしくて爽やかでしょ?」

「でも、オーロラ見てどうするんですか?その後は?」

「さあ?その後考える」

「無謀だなあ」

「若さゆえって言っとく」

あと数年もすれば成人だ。大人になった私は今の私を若くて馬鹿だ、若さゆえの病気だと思うんだろうか?
けれど、今の私だって馬鹿みたいだと思う。体内で燻ぶる思いを商店街のシャッターで表現するガキ共とは違う。ああ、こんな風に思う時点では私は十八歳の病気なの?
ただ、今までの人生経験と五感の感覚から出た答えは、この街を出る事だった。

「君は若い。何処にでも行けるし何にもなれる。けれどね、最終地点に行くには沢山の過程があるんですよ?」

「いいじゃん無謀なのは今だけの特権でしょ」

「無謀なのは君が良くても、周りの人が心配になります。お母さんは泣きますよ」

「別に、そんなの大丈夫」

そんな事に胸は痛まない。本当は寂しくなって私も泣くだろうけど、それは私が産まれた日のあの家を懐かしんで泣くだけだから。
この街で服を買って遊びに行って四季を堪能するのはもう飽きた。嫌になった。

「それに、僕には会えなくなるよ?」

先生がもう一度だけペンを回した。私はぼう、と先生の顔を見つめる。オレンジの光が真綿の様なフィルターを作り、景色をぼんやりと移す。
先生。先生なら、へらへらした顔でそうですか、そうですよね。と言ってくれると思っていた。だって先生は私以外にも沢山の生徒をこれからもエンドレスに受け持つ。
だから、今年たまたま請け負ったたった一人の私に、沢山の時間は掛けられないから。だから、そうですか、ではもう帰りましょうって適当に流してくれると思っていたのに。
しょんぼり。そんな顔なら沢山見た。休日の授業に人が集まらなかったり、ミスを犯して生徒にからかわれたり。そしたら先生はいつもしょんぼりって。
でも、なんで?なんで先生はそんなに悲しそうな顔をするんだろう。卒業する生徒を見送るじゃなくて、大切な何かを失う事を予告された様な。崖っぷちで誰かを想う様な。
そんな顔。

「先生?」

「もし、僕と君が同じ年だったら、後ろも前も見ずに君を連れてこの街を飛び出しますよ」

「誘拐と言う名の犯罪です・・・・」

「そうなんですよね」

私はまるで夢うつつの様に呟く。

「先生、本当に優しいね」

先生は眉をしゅん、と下げながらも口元では笑っていた。いつもの困った様な笑い顔。先生の、最大の、武器。そんな顔されたら、だれだって心を溶かしてしまう。気を許してしまう。

「君が思い立てばいつでも僕に会える。けれど、僕は君に会いに行けなくなってしまいます」

「・・・・・・・・」

箒が一振りされ、頭の中に合った沢山の感情や言葉が一掃される。頭の中、真っ白だ。どういう意味・・・そう言おうと思っていたのに、言葉が出ない。
そもそも、最後の二者面談と言われた時に私は浮かれていた気がするのも、忘れていた。

「君は宇宙人ですね」

そうだよ宇宙人だよ。だけど、先生も。

―サラサラ、その音でやっと意識が戻る。先生が進路希望調査の紙にペンを走らせていた。私は先生の手元をポカンと力なく見つめる。呆気に取られると言うのが正しいだろう。

「これ、僕の住所と電話番号です。番号は絶対変えませんから」

「え?」

「もし、オーロラを見た後、どうしたらいいか分からない。けどここには帰りたくないって時は電話下さい。僕から会いに行きます」

「・・・・なにそれ」

「いいんです。気にしないで、その時は有給使いますから」

「いいの?」

「いいんです」

私は自分の中に残った最後のプライドと自分らしさでアウトローを気取るように喉を震わせる。ああ、私って本当に素直じゃないよな。

「電話する時、私おばあちゃんかも知れないよ?結婚して子供と孫が居るかもよ?」があるわけではない。
買い物なら駅前のデパートでなんでもそろったし、遊ぶところも豊富だし、ちょっとバスやら電車に乗れば山にも海にもプールにだって行けた。
夏は花火大会があるから今年の夏休み、もし彼氏がいたら浴衣を着て出かけたのかも知れない。
ここに住む住民まったく不満が無い。この街を出ていく理由も無く、仕事や家の事情等で『仕方なく街を出る』人以外を物珍しい目で見るのだ。
そう、宇宙人だ。この街をあえて出ていくなんて宇宙人だ。彼らは人間ではないから恐ろしいのよ。なんて。


おばあちゃん、結婚、孫。当たり前の営みが、今の私には遠い事の様に思える。私が総理大臣になれる訳が無いのと一緒で、そんな先の事、夢の夢の嘘で終わるような。

「おばあちゃんになった名字さんは可愛いでしょうね」

「先生もおじいちゃんだよ」

「そしたら、あの頃が懐かしいねってお話しましょう」

「・・・・変な先生」

私はひとつ息を吐いて立ち上がる。椅子がガタンと音を立てた。

「本当に、変な先生」

先生の番号が書かれたその紙を、適当に四つ折りにしてポケットに突っ込んだ。胸に咲く造花の花飾りが曲がっていた。
私は横の机に置いた学生鞄と証書が入った筒を取り、鞄を肩に下げる。

「先生さよーなら」

「はい、さようなら」

もうこれ以上の言葉は何もない。また明日学校で。新学期にお会いしましょう。これらとは違ういつもと変わらない、別れの言葉。
私は足早に学校を後にする。校門を出た所で、地面を思い切り蹴飛ばした。先生、最後どんな顔をしていたっけ?ううん。見ないようにした。見なかった。だって苦しくなるから。
走る、私は走る。駅に向かって。街はオレンジ色だけど、私は暗闇の中を走っている。電車のドアが閉まった瞬間こそが光だと信じて。
後ろから子供の頃の思い出や、友人達、行きつけのコンビニ、映画館、カラオケ、デパートにレンタルショップ。この街にある沢山の建物が私を追ってくる。
怖いじゃん。凄い怖いんですけど。私を捕まえて閉じ込める気なんだ。追いつかれる、追いつかれる前に、逃げないと!
街を出る理由が、帰る価値の無い冷め切った、今時の問題を抱える家庭にある訳じゃない。そうよ、私はこの街が嫌いなんだから。泣く分けない。私は笑って居ると思う。
駅前のデパートが見えてきた。もうすぐ駅だ、もうすぐこの街を振り切れる。もうこの街には帰らない。

ねえ先生。私、おばあちゃんになってるかもって言ったけど、オーロラ見た後路頭に迷ったら電話するかも。電話、するかも。
010623
title:)み.ん.な.の.う.た