角を曲がるとき名前を呼ばれた気がして、私は振り返った。とたんにひゅんっと突風に吹かれて、私は思わず髪を押さえる。 閉じた目を開けば、ばらばらになった髪の向こうに、さっきまでいなかったユウキくんがいた。見慣れないものに跨がった、いかにも活発な少年の姿で。 「なまえ、久しぶりだな」 「ユウキくん…それ、なに?」 「スゲーだろ、マッハ自転車っていうんだ。最新式自転車だよ」 自慢げにきらきらした顔で笑うユウキくん。相変わらずパワーに満ちあふれてて、いつも少し怖い。それは別にいやな怖さじゃないんだけど、旅に出てからは、その力強さがさらに引き出されている気がする。 「マッハ…」 「そう。今までのどんな自転車より速いらしくてさ。だからそういう名前なんだ」 「買ったの?」 「違うよ。もらったんだ」 意味が分からなくて、きらりと塗装が光る自転車を見つめた。新品にしか見えない…。 熱い日差しが照りつけるミシロタウンの路地に、私たちの影がふたつだけ、黒々と縫い付けられてるのが見える。 「…もらったって…タダで?」 「うん」 「誰に?」 「カゼノさん。キンセツシティの」 「親しいの?」 「まあね」 嬉しそうなユウキくんに水を差すことはできなくて、ふぅん、とだけ私はつぶやく。言われてみれば自転車の部位という部位に、「カゼノ」という文字が見えた。宣伝カーのようなものなのかも。 「なまえは、自転車持ってんの?」 「ううん」 私は首を振る。それにあっちこっち飛び回るユウキくんと違って、私はたまにヨシノシティまで行く程度だから必要性があんまりない。 そうなのか、と独り言のようにつぶやいたユウキくんは、急にとっておきのことを思いついたように言った。 「じゃあ、乗せてやろうか?」 一瞬、意味が分からなかった。見るからにマウンテンバイクのようなそれに、二人乗りに使うような荷台はない。 どうやって、と尋ねる前に、沈黙を瞬巡と見極めたユウキくんは、くるりと自転車を後ろに向けてみせた。 「ほら。ここに足をかけて、オレの肩に掴まれよ」 どきり、とした。久しぶりに見たユウキくんの背中は、旅に出てるからか大きく見える。いつも背負ってるリュックは家に置いてきたのかな、とどうでもいいことを考えてると、またユウキくんは口を開いた。 「だいじょうぶ、オレはこいつの運転には慣れてるんだ」 「……本当に?」 「もちろん、オレは落とさない」 思いの外、力強いことばにびっくりして顔を上げた先で、お前が落っこちない限りな、なんてにやっと笑ったユウキくんが、なぜだかひどく大人っぽく見えた。 「…じゃあ、お願いしようかな。暑かったんだ。自転車は涼しい?」 「その点ではサイコーだな」 ユウキくんの肩に手をかけるとき、自分の手が小さく震えてたのなんて気にしない。触れた肩はしっかりしていて、Tシャツは少し汗ばんでいて、それが不快じゃないのが自分でも不思議だった。自転車に乗れるという高揚感のせいかも。うん、きっとそう。 「…乗れたか?」 「う…うん。ごめんね、重くて…」 「自分で言うか、ふつう?」 軽口の応酬はいつものこと。笑み混じりの声に、失礼な、と口に出しかけた私を遮って、ユウキくんはペダルに足をかけた。 「じゃ、行くぞ。しっかり掴まってろよ」 どくどくといつもより速く打つ心臓が、そして最速を誇るらしいマッハ自転車が、私の意地をすべて溶かした。 ぎゅ、と私がユウキくんの肩口を掴んだのを確認するような一瞬の間の直後、ユウキくんはペダルを踏んだ。 風を切るような感覚よりも先に、きれいな銀色の髪が流れた。少し伸びたそれがとてもきれいで、とても悔しくて。 でもそれもすぐに、マッハの速度に流されてしまった。 Stop! (待ったぁ!ユウキくん速い速い速いっ!!)(この速さがいいんだって!) |