novel | ナノ

※学パロ


笛が鳴って試合が終わり、体育の先生が片付けを指示する。それを横目で聞きながらふと見上げた先で、また、あのひとと目が合った。これで、今日は連続3回目だ。

遠目から見ても不思議なひとだった。ぬれたみたいに真っ黒い前髪の奥から、印象的な赤い目が、射るようにこちらを見る。

外で体育の日は、かならずと言っていいほどに、その窓からあのひとは私を見る。そうして私も、あのひとを見る。そんなことが、かれこれ2ヶ月は続いていた。

位置的にみれば3階の教室の窓だから3年生だと思うんだけど、教室移動をする3年生の人波や、全校集会のときの列を見ていても、一度も見つけられたことがない。だから私は未だに、あのひとの名前すら、知らない。


「…なまえ、集合だよ。何見てんの?」
「え、っあ、なんでもない!」


あの人の赤い瞳と目が合うと、まるでそのこと自体が呪縛であるみたいに動けなくなるから、友達に話しかけられてようやく我に返った。

整列して、気をつけー、れーい、と体育係が声をかける。それで、授業はお開きになる。ざわざわとさざめきながら校舎に向かう群れにまぎれて、チャイムが鳴った。


「よーしお弁当だー!」
「なまえー、早く着替えて早くお昼にしようよー」
「…あ、うん」
「さっきから返答遅いぞー」


あはは、と笑い合う友達の輪に戻りながら、一緒に笑いながら、私はまたこっそり振り返る。


あのひとはもう、いなくなっていた。


お弁当の後、私は別校舎にある図書館に、ひとりで本を返しに行った。

友達は残りの時間、先に外でバレーボールをすると言っていて、私も返してすぐに向かうつもり、…だった。まさか、あんなに探しても見つからなかったあのひとに、こんな形で出くわすとは夢にも露にも…。

本を返すためにカウンターに向かった私の足は震えていた。遠目に見てもわかる。あの黒髪、あの赤い目。なぜ、図書館のカウンターにいるの?


「……お願い、します」


パタン、と音を立ててカウンターをすこし滑ったシェイクスピアには目もくれず、彼は私を見上げた。近づく前、私が図書館に足を踏み入れてからすでに合っていた瞳は、反らされない。強いつよい視線。

…私から反らすことが、できるはずもない。はじめて間近で見た彼は、怖いくらいにきれいな目鼻立ちをしていた。これでどうして噂が流れてこないのか、不思議。


「……なまえ」


突然、彼は私の名前を口にした。疑問でも、だからといって肯定でもないようなイントネーションで。

休み時間のはずなのに、不思議なくらい、まわりには誰もいなかった。呼ばれた名前が自分のものだとは思えず、私はばかみたいに数回、まばたきをした。


「なまえ」


今度はたしかめるようなニュアンスで、彼はもう一度、私を呼んだ。間に横たわる斜めったシェイクスピアだけが、私を、私たちを見つめてる。

私はからからに乾いた喉で、なんとかことばを絞りだした。


「…は、はい」
「2年生」
「はい…?」
「なまえは、2年生」
「ええと…はい…」
「なんで悩むの」


つっかえる私に詰問する彼は、けれどその間も決して目を反らすことを許してはくれない。疑問なのか肯定なのかわからないイントネーションは一見とても冷たいのに、その声はどこかやわらかく、暖かくも感じられる。

あなたのイントネーションがわかりづらいからです、とは言えず、私はばれないように深呼吸してこころを落ち着けてから、ゆっくり、答えた。


「……あなたの、お名前は?」
「レッド」


意外にもあっさり、とても簡単に即答した彼、レッドく…じゃなく先輩?は、このときはじめて、すこしも変えなかった表情を動かした。


「知らなかったんだ」
「…何を…」
「オレの名前」
「す、すみません」
「もしかして、何年かも知らないの」
「それは…勝手に3年生だと…」
「うん。合ってる」


学年を言い当てたら、名前がわからなかったときに浮かべた、ちょっとむっとしたみたいな表情が逆にやわらいで、その瞳がやさしくて、どきりとした。

どうしよう、足ががくがくする。

どうしてレッド先輩は私の名前を知ってたんだろうとか、目が合ってたのは間違いじゃなかったんだ、とか、どうして目が合ってたんだろうとか。聞きたいことはたくさんあるのに、ことばにならない。

視線がやわらいだから力が弱まって、私は瞳の呪縛から解放された。レッド先輩の顔が整いすぎて、そんなひとに見られていると思うと耐えられなくて、うつむく。相変わらず斜めったままのウィリアム・シェイクスピアが私を見返した。


劇でもおとぎ話でもない。私はジュリエットじゃないし、ましてや一国のお姫さまでなんかない。それはわかってるのに。 見つめた先の本を、レッド先輩の手が取り上げて返却手続きをする。そうして、番号を記したシールをたしかめて背表紙をするりと撫でた指が、ふと、思い出したように、何かを要求して私の前に差しだされる。

何かと思って顔を上げれば、また、真剣なあの瞳に出会う。


「手」
「て…ですか…?」


男の人の手に触れるのは初めてで、緊張してすこしふるえる手をそれに重ねれば、驚いたことにレッド先輩はそれを口元に持っていき、あっと思う間もなく指先に、それは落ちてきた。

絶句する私の手を相変わらずつかんだまま、レッド先輩は私を見上げ、ふっと不敵な笑み、のようなものを浮かべた。




(大丈夫、)(ジュリエットにはさせないから)
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