※法律上良くない表現が含まれておりますが、犯罪を推奨するものでは全くございません。 まったく理不尽なものです、とひとり言のように落っこちたことばを拾い、私は射しこむ朝日のなか可燃ごみをまとめる手をとめてふり返った。ソファに座った落とし主の視線はつけたままのちいさな液晶に取られたままで、こちらから表情をうかがうことはできないけれど、拾いあげた声色から匂うかすかな予兆に私は首をかしげた。 「なにが理不尽なんですか?」 「愚かなこの世界が、ですよ」 がさがさとせわしなく袋をいじっていた音がとまったせいか、それとも私の疑問がゆえか。アポロさんは週間情勢をつたえるニュースキャスターからこちらをふり返り、まるでものわかりの悪いちいさな子どもを諭すような慈愛をひとみににじませて私を見る。こんなこともわからないなんて、お前は馬鹿ですねとでも言いたげに。 こういう刹那、私はアポロさんとのあいだに横たわるどうしようもない差を丸裸にして見せつけられるのだ。 「悪事千里を走る、とはまさにことでしょうか」 「……プラズマ団ですか?」 「だれしも結局、考えることはおなじなのですね」 相づちに微かにうなずいたアポロさんの、自嘲ぎみにゆがんだくちびるを見るのは久しぶりだった。ここ最近で、アポロさんはやわらかくてぬくもりを与えられる微笑み方を覚えていたのに。 私は思わず、液晶に映る若葉の髪を睨んだ。ほの暗いひとみには不思議なほどに光が見つからなくて、それが逆に戦慄するほど恐ろしい。アポロさんにはそのひとみに、私には見えないなにかを見ているのかもしれなかった。 ふいに胸中に湧きあがるのは熱くて苦いもの。かみ殺し、飲みくだすには渋すぎるそれを含めて、私はちいさくあがいた。 「……ロケット団とプラズマ団は、ちがいます」 「ええ、もちろんです。サカキさまは私の従うべきお方ではあれど、王ではありませんでしたからね」 彼は悪ですよとアポロさんはゆがんだくちびるのままでふたたび、いまだ報道をつづける無機質なキャスターを一瞥する。悪、となぞるように動かしたくちびるはきっと、アポロさんの背中に目がついていないかぎり気づかれてはいないだろう。 ロケット団が本当の意味で解散したのはもうずいぶんと前で、きっともう多くの記憶では風化してしまっている。けれどアポロさんをはじめとしたロケット団員に残る傷あとは、彼らが社会につけたものよりはるかにおおきく、深かったのだ。とつぜん揺るぎなかったはずの居場所をうしなったときの心境は想像しがたいほどのはず。私はカタギだけれど、出会ったばかりのアポロさんはすべてにおいて……肉体的にも精神的にもぼろぼろで、放っておけなかった。 私とアポロさんの縁は奇異なもので、一言で表せもしなければ、多くのことばを並べたところで冗談にされるだけだろう。私だって犯罪歴のあるひとを匿うことになるとは思っていなかったし、ましてやアポロさんみたいなちから強いプライドのあるひとが、私みたいな力のない一般人、しかも女に匿ってもらうなんてきっと、屈辱以外のなにものでもなかったはずだ。それでも結果として、いま彼はここでこうしてモーニングティーをすすっているのだから奇異としか言いようがないでしょう? かちゃりとかすかにカップとソーサーが触れあう音が響く。私は最後のごみをまとめ終えてつよく、ぎゅっと袋のくちを結んだ。 「アポロさん。プラズマ団は、悪ではないんですか」 「そうきましたか……」 ふむ、とアポロさんは持っていたティーカップを置きうでを組む。開けはなたれた窓から見えるミルキーブルーはかつてのアポロさんの髪色によく似ていた。 「……私には、彼らを断罪するつもりなどありませんが」 ひとつ呼吸をおいて前置きしたアポロさんは私の疑問にいつも答えてくれる。それがどんなに答えにくい問いであろうと、アポロさんの最善で答えてくれようとすることを、私はちゃんと知っていた。 あなたの言ったとおり、彼らとロケット団は似ているようで、まるで異なものですよ。まるで自らに言い聞かせるようなゆったりとした口調でアポロさんは答えた。そのことばに滲むぬくもりに私はほっとする。 私が黒く染めたアポロさんの髪がそよいだ。他人の髪を染めるのは初めてだったからとまどってしまって、当時の私は爪先もおそろいに黒く染まってしまったっけ。だれかのために生きるのはどんなものなのか、生きる目的そのものの未だ見つからない私にはわからないけれど。 悪、このことばを聞いたのも久しぶりだった。雨にぬれたあの記憶のなかでも、アポロさんが私にくり返したことばはそのふた文字だったように思う。闇を秘めた若草色の男がテレビの向こうで私をあざ笑っている気がした。 「なぜだかわかりますか?」 「……いいえ」 「恐れることはないのですよ。おまえなりの考えがあるのでしょう」 やんわりとうながされて私は下唇を噛んだ。元はといえば私が尋ねたことだ、ここで引き下がるのは身勝手に他ならない。なにもかもを見通すこのひとのひとみと同じものが、私にも見えたらいいのに。 「……ボスと、王のちがい、ですか」 「その通りですよ、なまえ。わかっているではありませんか」 私が苦肉の策としてぼかした部分までを見通して、アポロさんは空色のひとみを満足げに細めた。きっと私がちかくにいたのなら、そっとおおきな手のひらであたまを撫でてくれたのだろう。彼がよく、手持ちのヘルガーにするように。 ひらひらと踊っていたカーテンがおおきく風をはらんで、ちらりとこちらをのぞいた空がひどくまぶしい。耐えきれずに私が目を背けたと同時に、アポロさんはまた紅茶のカップを手に取ったらしかった。一口飲んで、かたりと席を立つ。 「アポロさん……?」 「ずいぶん重そうだと思いまして」 「あ、これですか? 大丈夫ですよ」 「無理はしないように、と申し上げたはずですが?」 「……ありがとうございます」 「ふふ、それでいいのです。おまえは私をもっと使っていいのですよ。私はこの家では無力ですから」 皮肉を口元にたずさえてなお、気品をうしなわないこのひとを何が悪へと駆り立てたのだろう。 テーブルの上でしずかに光を沈ませる紅茶はすっかりぬるまってしかめ面をしている。 joy/120628
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