※「何かがはじまる予感なんて、大体そんなもの」のつづき的なもの シルバーくんはなにを考えているのか、何がしたいのか、私にはさっぱり分からなかった。唐突に現れてはバトルを挑んできて、打ち負かせばくやしそうに去っていく。世界一つよくなるだとか、使えるポケモンとか……シルバーくんが叩きつけるかのように投げかけてくるそれらのことばが、私には微塵も理解できなかった。 どうして私に宣言するのか、なぜバトルを挑んでくるのか。どうして旅をしているのか、なぜ私を敵視してくるのか。 わからないことだらけのなかでもひとつだけ、つよくなりたい気持ちだけは同じだった。だからふと、知りたくなったんだと思う。 コガネシティのポケモンセンターは、大都会なだけにさすがに広く大きくて、驚いたことにポケモンの救命施設と宿泊施設が別々の建物として存在していた。いつもの赤い屋根ではなく、モダンな高層ビルから見おろすコガネシティは、ワカバタウン出身の私からすればなかなかにごちゃごちゃ入り組んでいてくらくらしてしまうほど。初日からデパートではしゃぎすぎてしまったから、時計の針はいつも寝ている時間よりはやくをしめしているのにすでに眠たい。どうしても電気を点ける気がしなくて、窓のむこうでちかちかと光る、赤やら黄色やらのひかりをぼんやりながめながら、洗ったばかりの髪を乾かしていた。 ベッドに腰かけた私の足もとに、甘えるようにすりよってきたパートナーがくうんと鳴いて私を見上げる。手をとめて、どうしたのと頭をなでてあげればしあわせそうにひとみを閉じた。 どれくらいの間、そうして過ごしていたのか。またいつの間にか物思いにふけってしまったみたいで、はっと気づいたときには髪の毛はすっかり乾いており、マグマラシはベッドによじのぼってすうすうと寝息をたてていた。 いま、何時なんだろう。ぐるりと室内をみまわして時計をさがす、静寂が破られたのはそのときだった。 「……なまえ、まだ起きてるか?」 こんこん、と控えめなノックの音とともに、押し殺した、信じられないひとの声。それは平穏に凪いでいた私の心臓を跳びあがらせ、波を起こすのにじゅうぶんすぎた。はっと息をのんだ音が聞こえていないことを祈りながら、パートナーを起こさないように私はドアにしのびよった。 まさか、……でも。ついさっきまで、ううん、ヒワダタウンでバトルをしてから会えない間ずっと思い描いていたひとが、こんな時間に私の部屋に来るなんてこと、あるはずない。 第一、シルバーくんは私の部屋なんてしらないはずだ。 「……だれ?」 「……。わかるだろ、声で」 「ほんとに、シルバーくん…?」 「丁度いい。起きてるんなら開けろよ。はやく、こっちは急いでるんだ」 硬くてつめたいとびら越しに聞こえる声は、私が名前を呼んだとたんすこしだけ和らいだのだけれど、すぐに硬質なものへと戻ってしまう。急かされてあわてたせいで指がうまく動かない。もつれる指先で鍵をあけ、チェーンをはずして扉を押してからあたまの片隅で後悔した。……ああ、私、寝るときのラフな格好のままだ。 はたして、シルバーくんはいつもよりラフな格好をして、いらいらの凝縮されたしわを眉間によせて、ひとけのないうす暗い廊下に立っていた。コガネのポケモンセンター宿泊館は完全消灯が日付を超えるよりも前のことだから、ホテルのように立派な廊下はやけに静かだ。 おそい、と不機嫌を隠そうともせずつぶやいたシルバーくんの声は、暗やみにとけて響かないまでもしっかり鼓膜をふるわせるに十分だった。 「急いでるって……なに、どういうこと? しかもどうしてシルバーくん私の部屋しってるの」 「しっ、声がでかい。あののほほんとしたむかつくやつに聞いたんだよ。どうもこうもない、おまえ、本当にロケット団を倒したらしいな」 「のほほんとした……って、ヒビキのこと?」 「ふん、いちいち名前なんか覚えてられるか。のんびりの平和虫がうつるのはごめんだ。……っち、あいつはどうでもいいんだよ、オレはおまえに聞いてるんだ」 「うん、倒したよ。何度もそう言ってるはずだけど」 信じていないのはシルバーくんの方でしょう? 夜中にやってくるわりに、わざわざこんなところにまで来るような話じゃないことがすこしだけ癇に障るのはどうしてなのかなんて、今は考えたくなかった。 現実はなにも変わらない。シルバーくんが私の言うことを信じようと信じまいと、私がヒワダタウンの井戸にいたヤドンたちを救いだしたのはれっきとした事実だから。ヒビキくんの名前をだしたのはシルバーくんの方なのに、なにかを想起してなのか、機嫌をなお急降下させたシルバーくんはそれでも疑わしげに私を見る。 にらみつけるような視線が苦しくて、さっきのノックではずんだ心がうそみたいにしぼんでいくのが手に取るようにわかった。ねえ、そんなことのためにわざわざ、ヒビキくんに私の居場所をきいてまでやってきたの? しかもこんな夜中に。聞いてみたくて、だけどことばの裏側が透けてみえるから恥ずかしくて、結局私はいつものように言いたいことばを喉にとかす。そのうち炎症を起こして腫れてしまいそうだ。 なぜ、そんなにロケット団に固執するの。知りたいと思えば思うほど、わからないことが増えてしまうのはどうしてなんだろう。 背後でベッドのうえ、マグマラシがごろんと寝返りをうつ音が予想外にここまできこえた。 「いまの……中、だれかいるのかよ」 「え? うん」 とつぜん、何に反応されたのかわからなくて私は目をみひらいてしまった。ノックで飛んでいったはずの眠気がゆらゆらと思考を侵しはじめるのを再びさますのにはじゅうぶんで、とっさにうなずいた私の相づちに、こんどはシルバーくんが目をみひらいてくる。 切れ長のするどい、凍ったようなひとみが純粋なおどろきで満たされたその瞬間、戻りかけていた鼓動も呼び覚まされる。 そうだ、シルバーくんは同い年だったんだ。ひどく大人に近い表情ばかり見せられるから、たまにわからなくなってしまう。シルバーくんにおさない衝撃を与えたものが何だったのかわからないけれど、私の心は現金にもまたはずむのだった。シルバーくんに、ふいと目をそらされるまでは。 「……ふん、結構なご身分だな」 「ご身分?」 「はっ、これくらいの意味もしらないのかよ。これだから平和なまりはいやなんだ」 平和、なまり……。吐かれたことばは尻すぼみに廊下に落ちてつぶれてしまった。シルバーくんの横顔をみていれば、意味はしらなくても罵声を浴びせられたことくらい、私にだってわかる。そして、それを受け流すことができるほど私がおとなじゃないことも。 私の部屋にポケモンがいたらどうしていけないの? さよならの挨拶も、ましてやシルバーくんの真意なんてこれっぽっちも見せてくれないままきびすを返そうとする赤いラインの入った袖を、私はとっさにつかんでいた。 「言い逃げなんて、卑怯だよ」 「卑怯?」 「だってそうでしょ。起こされた私には、どうしてシルバーくんが私を起こしたのか知る権利があるよ」 正論をならべれば、挑発すれば、かならずシルバーくんがのってきてくれるとわかってた。案の定、ぎゅっと眉をよせたシルバーくんは私に向きなおった。はじめて会ったとき、乱暴な物言いに言われっぱなしだった私だけどもう、そうはいかない。 いまはパートナーこそ部屋の奥で寝っこけているけれど、気持ちとしてはバトルをするときみたいに身構える。ポケモンをつかわない、正真正銘のことばのバトルのようなものをはじめるつもりで。私の手を振りはらったシルバーくんがお得意のにらみつけるで応戦してきたことに確信をつよめただけだったから、まさか、 「勘違いするなよ。オレは忠告をしに来たんだ。でももう必要ない。おまえはせいぜい、なかにいるやつに守ってもらえばいいさ」 「……え?」 「とにかく、ロケット団に一度勝ったくらいで調子にのるな。今後二度とあいつらに構うな」 あいつらはオレの相手だ。 相変わらず水を打ったようにしずかな廊下なのに、ぎらりとするどく光ってみえた赤いひとみはすぐに逸らされ、今度こそ私に背を向ける。 振り返りもせずにまた言い逃げされたことも、放たれたことばの意味あいをさがすので精いっぱいだった私には取るに足らないことでしかなかった。言われなくても私はマグマラシを信じているし、マグマラシはきっと私を助けてくれるだろう。 それなのに、どうしてこんなに不安になるんだろう。心中に湧いた靄のような薄黒いものを取り去りたくて、Tシャツの心臓のあたりをつかんだ。さっきまでとは別の痛みをともなって軋む鼓動の奥で、シルバーくんが痛めつけた傷がじくじくと存在を主張している。 勘違い、していたのかな。夜中に部屋に来てくれるなんて、それもヒビキくんに尋ねてまで来てくれるなんて、夢にも思わなかったから。次また会えるのかさえ定かじゃないひとだけど、……すきだから、どんなに悪態をつかれたって笑ってまたねを告げることができたのに。 街角にて/120527
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