かつんと何気なく蹴った石ころが思いのほか遠くに飛んで、かちかちと耳障りな音をたてながらアスファルトを跳ねていく。それを目で追うまま視線をあげてようやく、すこし前を歩く後ろ頭が見知ったものであることに気がついた。 海沿いの道は火を放ったようにめらめらとゆれる輪郭を燃やし、光に染まった白い柵の向こうでは海と太陽がまさにひとつになろうとしている。砂ぼこりにまみれて白っぽくなったローファーをひと蹴りして、私はまっすぐその背中を目指した。 「兵〜藤!」 「おー、おまえか。お疲れさん」 私よりはるかに広い、程よい筋肉のついた背中をぽんとたたいて笑ってみせれば、振り返った兵藤もいつものようににっと笑って答えてくれる。ぐんと夏色に焼けた笑顔がまぶしくて、目を細めるよりなかった。 学年がひとつ上がり、クラス替えをして早3ヶ月。最初にできたあたらしい友達は底抜けに明るくて面白くて、優しくて…そしてサッカー部のスタメンを張っているうえに格好よくもあった。そこまで揃ってしまえば友達が友達じゃなくなるのはもはや時間の問題だったのかもしれないけれど、要素なんか抜きにしたって彼はひとをひきつける何かを持っている。兵藤のまわりにはいつも温かみと笑顔とがあふれているんだ。 自然に並んで歩きはじめながら、ごく自然に歩調をあわせてくれていることに気づいたのはついこの間だったけれど、よっぽど言ってやりたくなったくらい。そういうところだよ、兵藤がズルいのは、って。 「ずいぶん日が長くなってきたな〜」 「うん。あっという間に夏になっちゃったりして」 「そうかもな、最近アラーキーのやつがアイスアイスうるさいのなんのって」 困ったもんだぜ、と肩を竦めるくせして、その表情は楽しげだった。荒木くんのことはよく知らないけれど仲の良さは知れていて、たとえばとても太りやすいん体質だとか、ナルシストだってことからピカイチらしいサッカーセンスのことまで、私は本人と知り合いでもないのに荒木くんのことは結構知っていると言える。それもぜんぶ、頼んでもいないのに兵藤が教えてくれるからなんだけれど。 荒木くんらしいねと笑っただけなのに、兵藤が珍しいものを見たかのようにまじまじと見つめ返してきたから心臓が不自然なほど跳ね上がってしまった。 「え、なに…」 「ん、いや。おまえって荒木のことくん付けで呼んでたっけ」 「あんまり面識ないし…。変?」 「別におかしくはないけど、なんか新鮮だなー。アラーキーのやつ、王様のくせに同級生からはちっともくん付けされたりするタイプじゃないんだぜ」 どうやら荒木くんに対しては、初対面から呼びすてだったりあだ名で呼んでくるひとも多いらしい。ふてくされた荒木くんのとなりでおかしそうにする兵藤が容易に想像できて、私はまた笑う。 ひかりの鱗粉を秘めた水面は色を失いつつも、追いついてきた闇のコントラストでひときわまぶしい。鮮やかな緑のシグナルがちかちかと光って注意をうながすのをふたりでながめているのは初めてではないのに、今日もまたわずかに変わってみえた。 「兵藤のことだって、最初はくん付けで呼んでたよ、私」 「そうだっけ?」 覚えてないなぁと頭をかきながら、歩みを止めたそのとなりに並ぶ。いつの間にか太陽は最後の一瞥を終えていて、薄暗くなった世界で赤い光だけが私たちを足留めした。 ぽつりと落ちた沈黙はまたたく間にひろがって場を満たし、決して多くはない車の往来をはさんで向こうとこちらではまるで別世界みたい。ヘッドライトに縁取られる兵藤の横顔はなぜだかとても真剣で、私は用意していたはずのことばを身体のどこかでなくしてしまった。 「……あのさ」 「な、なに?」 ぴりりとスパイスの聞いた空気にとまどいを隠せなくて、図らずももつれた舌をわざと奥歯で噛んだ。恥ずかしくて口を押さえれば、ようやくこちらを振り向いてくれた兵藤が何やってんだよと笑ってくれてほっとする。 びっくり、した。いつも笑ってばっかりだったから、あんな表情するなんて知らなかった。怯えきった心音はおさまりそうもないままの私にふと兵藤は言った。それこそ、なんてことないように装いながら。 「今度さ、SCと戦うんだ、オレら」 「それって……前に言ってた、大会の出場権を賭けるやつ?」 「それそれ」 「重要な試合じゃん。勝てそう?」 「おうよ!絶対勝つぜ!期待の一年も入ってんだ。まずはこの試合勝って、それから全国優勝して、目標は!」 「ワールドカップ、だっけ?」 「さっすが、よく覚えてんな」 タイミングよく兵藤にハモるようにくちびるに乗せた夢は、さっきとはまるで違う笑顔を兵藤から引きだして見せてくれるから私にとっても大切になった。サッカー部の情勢にくわしくない私が、そんな些細で大きな夢をよく覚えてる理由なんてひとつだけなのに、兵藤はきっと気づこうとすらしていないんだろう、けれど。 「そういうわけで、その第一歩が今週の土曜なんだけどさ」 「えっ!? 明日?」 「うん、暇だったら見に来いよ。うちのグラウンドで、9時キックオフだから」 どういう意味かなんて、推し量る時間も余力も、私には残っていなかった。まるではじめから何もかもわかっていたみたいにパッと信号が変わり、兵藤が何もなかったかのように歩き出す。動揺してるのは私だけで、つながったふたつの世界はもはや同じ空間でしかない。 兵藤は動けないでいる私をふり返って、少しだけ眉根をさげて笑った。 「なにやってんだよ。渡るだろ?」 手首に触れたぬくもりは信じられないほど温かくて、向こう岸に誘われるまま、私は静かに息をとめる。背後で海鳴りがきこえた。 120518
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