novel | ナノ

※微HGSSその後、捏造



「……なんだかこうしてるのってなつかしいね」
「そうだな」


となりで確かに返ってくることばに、私は口許がゆるむのを抑えられなかった。さらさらと穏やかな海風が草むらをゆらし、私とヒビキの髪は同時になびく。ちいさかった水色の耳は今では長くなり、私の後ろにつづくちいさかった影も、今では私よりずっとおおきい。

マリルリとバクフーンが近くの草むらでじゃれあうのを眺めながら、育て屋の柵に腰かけたヒビキはくすっと笑った。


「あのときはまさか、こんな未来がくるなんて夢にも思ってなかったけど」


私は内心ででしょうね、と返した。あのころはヒビキ、ぜんっぜんそんなこと考えてなかったみたいだし。

私たちのトレードマークだった帽子はいま、育て屋のカウンターでならんで居眠りをしている。塗りなおした真っ白な柵でかこまれた青い庭にあそぶちいさなポケモンたちを見ていると、なんだか飛び越えたはずの十数年がどこかへ行ってしまったみたい。

そういう私も、まさかふたりでこうしておそろいの黒いエプロンをつけて、育て屋のあとを継ぐことになるなんて思ってもみなかったのはたしかなんだけれど…。


「…どうかしたか?」
「べっつにー」
「なんだよ。怒ってるだろ」
「怒ってない」
「どこがだよ」


怒ってるじゃん、と食い下がるヒビキのひとみには私だけが映っている。これだけで安心してしまう私はどうにも、都合のいい女の子だったのかもしれない。物心ついたときからとなりにいたから、旅をするまではヒビキに会わない日を経験したことがなくて、何も知らなかった。

世界は広いんだってこと。いろんなひとがいて、いろんな暮らしがあるんだってこと。ふつうは、ヒビキがいないのが当たり前なんだってことも。

なまえ!って名前を呼ばれるのがどれだけうれしかったか、ヒビキはきっとしらなかったんだろうし、私が不機嫌になっているのをこんなに早く気がついてくれるひとがヒビキだけだっていうのもきっと、私しか知らないんだろうな。


「怒ってないよ。ただ、前にどこかのだれかさんに、『ガールフレンドなんかじゃない』とか『ご近所さん』とかはっきり言われちゃったの思いだしてただけ。ここだったなーって」


だからせめて、私がちょっと意地悪を言うのくらいゆるしてほしい。今、ヒビキが私を大事にしてくれているのも、くれたことばもすべて信じているからゆるされるくらいの、ちいさな意地悪でしょう?

ゆるゆると太陽は傾いていくけれど、まだまだ来客はないみたい。だれもいない通りで、すこし困ったように眉根をよせたヒビキは何を思ったか柵によりかかるのをやめ、柵に座ったままの私をまっすぐに見た。


「あれは、…ほら。そういう時期だったっていうか」
「うん、わかってるよ。あの時はたしかにただの幼なじみだったし…急にガールフレンドって言われても、私も困ってただろうから」


じっと私の目を見る割に言いにくそうなヒビキに、笑って助け船をだしたつもりだった。当時すこし心臓がずきんとしたのはたしかだったけど、でもそんなに大したことじゃない。冗談だよって笑ったつもりだったし、ヒビキも苦笑いしながら大体はなしが古いよ、とか、そんなふうに言ってくれるものだと思った。

なのに、私のことばを聞いたヒビキはあれだけ絡まっていた視線を唐突にそらしてしまった。


「……ほらね。そうだろうと思ったんだ」
「…え?」
「きみが困るだろうなって。ぼくは別に、よかったんだ」


ヒビキは庭の奥にやっていた視線をまた私にもどしてきて、そのまま身体を寄せてくる。正面に立っていた身体がこちらに倒れかかるように迫ってきて、柵の上でのけぞりそうになった私の身体をとどめるように、ヒビキの手が私の手に触れた。

柵に突いていた私の手を、上からヒビキが縫い止めるようにして包みこむ。すこし下にあるヒビキの黒いひとみが真っ黒な前髪の奥から私を射ぬき、弧をえがいた口もとは子どもの頃には知らなかったヒビキの一面を思い起こさせる。


「あのときのことばはね、子どもだったぼくの照れ隠しだったんだよ。そのままにうけとめてしまったなまえも、まだまだちいさかったんだろうけどね」


だけどきみを困らせてしまったんなら、あのときに言わなかったぼくは勝者だったってことだね。

身体を元にもどしたヒビキは私の右手を解放し、ひだり手をとって掲げる。まだ鋭利なかがやきを残す薬指のプラチナをするりと指先でなぞられて、私はおもわず身震いした。それを知ってか知らずか、ヒビキはその手を握りなおすと軽く引っぱって、私に柵を降りるよううながしてくる。


「休憩終わり。あと6時間、がんばろうな」
「あ…うん。そうだね」
「すきだよ。あの頃もこれからも」


あわてて地面に降りた私の両手をヒビキがつかむまで、数秒もなかった。いつのまにか両手をとられていた私の額にちゅっと可愛らしくちいさな音をたてて落とされたくちびるはやわらかく笑んでいるのに、向けられるひとみは一瞬だけ、けれど怖いほど真剣だった。


「ヒビキ…っ!」
「だいじょうぶ、だれもいないから」


にこにこと邪気のない笑顔を向けられてなにも言えなくなってしまった私にもう一度だけ微笑んで、ヒビキはバクフーンとマリルリを呼びにいってしまう。広い歩幅をきざむその背を見送りながら、私はもう何度目か、いつからなのかすらわからない甘酸っぱさを噛みしめることしかできないままなのに。
青/120108
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