novel | ナノ

B9さんのサイト「moana」さんのユウキ短編、「空色ソーダ」続編に当たる作品ですので、そちらを先に読まれることをおすすめいたします。



カイナの海は揺れる水面を宝石のようにキラキラと輝かせ、その海原を見下ろす空を見上げれば何匹ものキャモメが機嫌の良さそうな鳴き声をあげてくるくると広い水色の中を舞っていた。ご機嫌麗しい太陽の下でオレはなまえがキナギタウンからやってくるのを待っていた。彼女がキナギタウンを出たのは数ヶ月ぶりどころか数年ぶりの単位だと言う。自分で近辺の海原を放浪したことはあるとしても何年もそれを続けていれば飽きてしまうのも仕方が無い。かと言って一人で大海原を渡って遠くに出かけようと言う気にもならなかったみたいだ。なんてったって、なまえは自分のポケモンを持っていないのだから。今回自分の住む町とは違う場所でオレに会いたいと言い出したのもそんな彼女だった。いつもと違った約束に少しの戸惑いを覚えたものの、貴重とも考えられるこの機会にオレの心は朝から浮きだっている。パートナーのヌマクローにも半日は相手をしてやれないとしっかり断りをいれて置いた。
町の東側の堤防に腰をかけ、足をぶらぶらとゆらす。真下を覗き込むと、ちらちらとメノクラゲやドククラゲのルビー色が水中で淡く輝いた。海面を観察することに飽きてきた頃、顔をあげ、水平線の向こうを見ると、ちょうどこちらに近づいてくる影がポツリと浮かんでいた。すぐにそれがなまえだとわかったのはその影がひらひらとオレに手を振ってくるのが見えたからだ。彼女の存在を認識してから心臓はドキドキと無駄な動きを繰り返し、気持ちは高揚していく。それなのにその影が鮮明になるとともに、逆に、オレの高まった気持ちは急降下。なんでかって、ホエルコに跨りぶんぶんと手を振るなまえの前に見たこともない男が同じ一匹のホエルコに跨っているのをしっかりとこの目とオレの脳みそが認識したから。

「お待たせ、ユウキ!結構待たせちゃった?」
「そんなことないよ。怪我とかない?」
「大丈夫!ありがとう」
「キミがユウキ君か。なまえから聞く通りカッコいいな」

にかっと白い歯を露わにして微笑んだ彼は、きっと彼女をここまで送るよう頼まれた幼馴染のお兄さんとかお隣さんとかそこらへんの立ち場の人だろう。こんがりと健康的に日焼けした肌、表情はいかにも人の良さそうな感じ。なまえはこの人の腰に腕を回し背中にピッタリくっついてキナギからここまでの長い距離を渡って来たんだろうな。たしかに一人であの海流に乗ってここまで来るのは危険だと、誰かに付き添ってもらうように言ったのはオレだけど、正直付き添いに期待していたのはなまえの親御さんだったし、そもそも始めはオレがなまえをキナギまで迎えに行く気でいたんだ。
「なまえ、帰りはどうするんだ?」
「あ、えと…ユウキがキナギまで送ってくれるって」
「そうか。頼んでも大丈夫か、ユウキ君?」
「あ、大丈夫です。人ふたり乗せて行けるぐらいのポケモンはいるんでオレが送って行きます」

相手に見せた自分の態度があまりにも強気すぎたかと、言ったそばから不安にもなったけれど、オレの言葉を真っ正面から受けた本人は満面の笑顔で承諾をしたものだから、その余裕をこちらがまたもや恨めしく思うハメに…。見知らぬ男はまたなとなまえに笑顔を向けてから、同じ笑顔でオレに「なまえを今日一日よろしく」と言って水平線の向こうへと消えていった。
もやもやとする何かをその男はオレの心臓あたりに残していったが、まあ、いいか、と心の中で、その男が去って行ったことに妥協して、オレたちは街の方に歩いた。
カイナの市場や博物館を見て回る間、なまえは笑顔を絶やさなかった。それにその笑顔も作り笑いのようにはとうてい思えないもので、心から楽しそうにしている彼女を傍らに気分がの損なわれたままでいるはずがなかった。
しかし、今日はその笑顔に胸がいっぱいになってしまうようないつもの自分とちがった。あの見知らぬ男の存在に触発されてか、心から楽しそうな笑顔を振りまく彼女を見ているからか、なまえに触れたいという気持ちが以前より強く主張してきたことにオレはひどく戸惑っていた。横に二人並んで歩いて行くのももどかしいし、手を繋ごうという程度の提案することにストッパーを自らかけている自分ももどかしい。しかし自分の臆病さにも呆れたというかお手上げというか…。一休みしようかと海の家に向かう間、ふたりでただ横に並んで歩いて、他愛のない話をするだけで、いつものオレたちと全く変わりはない。結局海の家の中は満席で、俺たちは遊泳許可区域の隅の方に日よけのパラソルを立て、そこに落ち着いた。隣に座ったなまえをしばらく横目で見ていたけれど、アクティブな彼女にしては波打ち際に駆けつけてはしゃぎ出すということはせずに、靴を脱いで裸足になるだけで、じっと揺れる海を見つめているだけだ。

「なまえ、水着とか持ってこなかったの?」
「え?…ってユウキ、私の水着姿みたいの?もーっ」
「ち、ちがっ!…海ずっとみてるから泳ぎたいのかなって、思っただけ…」
「へへ、冗談。海では好きなだけ泳げるから大丈夫だよ。ただ海の景色が随分違うなあって思って」

少し遠く潮の香りの向こうからは小さな子供達がキャーキャーと騒ぐのが聞こえてくる。しかし不思議なことに、磯の香りを纏って潮風に吹かれて髪の毛をゆらし、海を見つめるなまえの醸し出す妙な大人っぽい雰囲気のおかげで、向こうの子供の騒ぎだとか、ビーチバレーをする一行の歓声だとかは別世界のもののように思えた。

「ねえねえ、今度さ」

それでもなまえがオレに声をかけるとさっきまであった妙な雰囲気は消え去っていった。大人びたなまえの横顔。あれは一体なんだったのだろうと思ってしまうくらいに、オレに声をかけてきたなまえは無邪気で可愛かった。

「なに?」
「こんどはこっちで釣りしようよ」
「え?」

どんな言葉をかけてくれるのだろうと心を浮かせていたのに、「釣り」と言う単語にオレはなんとも間抜けな一声を発してしまった。何でかって、オレたちは釣りが下手なことでハルカにもバカにされたことのあるカップルというか…二人組というか、いや、カップルで…。

「なんで釣り?釣りしたいの?」
「うん!せっかく釣竿にぎったんだし本格的にやってみればって言われて、いろいろ教えてもらって」
「へー、誰に?」

誰に釣りを教わったかなんていうのは無意識に問いかけたことだった。別になまえがオレ以外の男から釣りを教わっていたからってそれに関してなんやかんや文句をつけるつもりなんてなかったし、そんなことをしたい気持ちに自分がなるだろうなんて考えていもしなかった。つまりオレはなまえから帰ってくる答えに対して無防備に何の心得もなく耳を傾けていたものだから、

「さっき送ってきてくれた人わかるよね?あの人に教えてもらってるんだ、コツっていうか醍醐味がわかるとやっぱり楽しいよ」

まただ。さっきなまえを送ってきてくれたあの男。自分の中でふつふつと湧いている嫉妬心に気分が悪くなりそうだった。しかも何でなまえは何の躊躇もなく他の男と一緒にいるっていうことをオレに話すことができるんだろう。へー、ふーんと自分の胸の内をあからさまに表すような相槌を打ってもあまり効果はなかった。

「ユウキ、やっぱりあんまり釣り興味ない?」
「そんなことないよ。まあ上手くはないけど。ただ、そういう問題じゃなくてさ…」
「え…?」
「その釣りを教えてくれた人っていうのは男の人だよな?」

少し自分で思い切ったことを言ったつもりでいた。さすがに今の発言で少し鈍感ななまえでもオレの気持ちを理解してくれると。しかしそれでもまだ足りなかったなんて、信じたくない。でもなまえは目の前でくすくすと笑い始めたんだ。

「あの人女の子に見えた?」

なんだかもう、遠回しな言い方は通用しないとオレの方が折れるべきなんだろうか。自分では心臓をバクバク鳴らしながら精一杯伝えているつもりでも、相手はまずもってオレが今朝、待ち合わせた昼間、嫉妬でモヤモヤしていたという背景事情を知らないのだから、それを考慮しなければならないのかもしれない。そう脳内で考えを無理やりまとめ、オレは口火を切った。

「だから、そういうことじゃなくてさ、あっちは男でなまえは女の子だろ?ってオレは言ってるの」
「あ……」
「それに、なまえってオレの…かの、じょ…だろ?」

最後の下りが片言になってしまったことはみっともないことだけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。なまえは始めにしまったという表情を見せてから、恥ずかしそうにオレの問いかけに「うん」と頷いて見せた。

「オレのワガママかもしれないけど…もうちょっとそうだってこと自覚…してほしいなって…」

ワガママなんかじゃないよ、と小さく途切れ途切れになまえがつぶやいたあと、オレたちの間に、しばしの沈黙が流れた。波がザアザアと打ち寄せる音やキャモメが空で鳴く声がオレに何かを催促しているような錯角に陥った。少しずつ青とオレンジ色のグラデーションに染まってゆく空も何かをオレに求めているような…。まず、「自覚」ってなんだ、とか、自分の発した言葉を振り返ってみた。相手の受け取り方にもよるかもしれないけれど、かなり重たい言葉だったかもしれない。それでも、今までオレが恋人同士らしきことをしてこなかったのにも責任はあるのかもしれない。こういうのって普通、男から行くもんだよな…?

「なまえ」
「なに?」
「…なんでもない」
「そう…」
「………」
「………」
「なまえ、やっぱり…っ」

どれだけ自分が緊張してるかなんて、全身の体温が尋常じゃないほど熱いこととか、うまく喉を通ってくれない自分の声とかからも分かる。こんなになまえの隣にいて落ち着かないことなんてなかった。でも、これを乗り越えて一歩進むことができればもっと、いい方向に持って行くことができるかも、なんて根拠のない自信も腹の底から湧いていた。

「していい?」
「な、何を?」
「き…す…」
「………」

喉はカラカラで極度の緊張のおかげで息苦しささえ感じているような気になった。なまえの方までこれでもかというくらい緊張しているのも、彼女の表情とか顔色とかから察することもできたけれど、それをフォローできるほどの余裕なんて初心者のオレは持ち合わせていない。じっと彼女が頷くまでうつむき加減の横顔を見つめていた。彼女の顎が引かれるのをとらえた瞬間、言いようのないうれしさの一方に更なる緊張感が走った。

「じゃあ、こっち」
「あの…ユウキ、私下手だからっ!」
「まさか、「下手」って…誰かとしたこと…」
「そうじゃなくてっ!初めてだからってことなんだけど…」

もう何がなんだか分からなかった。感情の起伏が激しいんだか、緊張の中で似たような感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い鬩ぎ合っているんだかよくわからない。ただ、今からするのがなまえにとって初めてだということにこの上ない安心感と幸福感を覚えたのは確かだった。

「なんだ、そんなこと?」
「そんなことって、ひどくない?」
「大丈夫。オレだって初めてだし、バカみたいに緊張してるから」
「そ、なんだ」
「…とりあえず目…つむってよ」

オレの指示通りになまえは目を閉じた。必死な様子が伝わってくるくらいにぎゅっと閉じられたまぶたのうえに、ひとまず自分の唇を恐る恐る乗せてみた。不自然じゃないかな、なんて心配をしている間に、至近距離で再び開けられてしまった瞳に狼狽えた。

「っ…まだ開けるな!」
「は、はい!」

再び閉じられたまぶたの下でふるふると長いまつげは揺れていた。どれだけ緊張しているんだ、と目の前の彼女を見て心の中でつぶやいてみると、なんだか心が軽くなったみたいだ。今度こそ、と自分に言い聞かせゆっくりと顔を近づけた。キスなんて言えるのかってくらいにただ相手の唇に押し付けるだけのキス。少し物足りない気がしてもう一度くちびるを押し付けるとなまえの身体が反応したのが唇から直接振動となって伝わってきた。ゆっくりと顔を、そして少し彼女の方に乗り出していた体を引くとようやくなまえはかたく閉じていた目を開け、そわそわした様子でオレを見上げた。

「ははっ」
「な、なんで笑うのよ…」
「うれしいなと思って」

素直に思ったことを口にすると、なまえも強張っていた表情を解いて笑顔を浮かべ、さらには「私も」とオレのことばを繰り返した。笑い合っている間、そしてまた他愛ない会話をし始めてから、いつまで経っても触れ合った部分にくすぐったいような感覚が残っていた。いつの間にか出来上がっていたオレたちの空間に入ってくるのは心地よい潮風だけで、同じ海岸にいる人の声は単なるBGMにしか聞こえない。夕方の冷えた風に火照った身体を当てながら太陽が水平線に溶けて行く様子を見守った。



聖ちゃんへささげます。

20110906


*****
B9さんにいただきました!
ひょんなきっかけからいただいたすてきなアイディアで、勝手に書かせていただいたトオイくんを勝手ながら押しつけてしまったら、お返しにとこんなにすてきなユウキくんいただいてしまって…つ、つり合わないどうしよう…!
お互いのきもち確かめ合った後もじれったいふたりが初々しくて、精一杯なかんじが伝わってきて口がゆるみっぱなしです*待ちぼうけするユウキくんやら、嫉妬するユウキくんやらももちろん格好いいんですが、前半ちらりと出てきたお兄さんも格好よくてびっくりしちゃいました(笑)オリキャラも格好いいびーちゃんマジックですね…(*^^*)
すてきなおはなしをありがとうございました(^^!
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