突っ伏していた前の席のふわふわ頭がとつぜん起き上がったことに、ちょっとだけびっくりした。 司馬は、そのまま椅子をうしろに傾けて大きくのびをする。寝たあとのそれにすっかり慣れてしまった私は、目の前ににょっきりのびてきた細っこい手を軽く、ぱしんとはたいた。 向こうも予想はついていたらしく、がたんと椅子を四つんばいに戻すとふり返る。 にかっとしたいつもの明るい笑顔に、くやしいけど心臓がはねた。 「おはよ」 「今は6時間目だよ」 「オレはいま起きたからいいんだって」 せっかく起きたくせに、今度は授業そっちのけで私を見る司馬は、そんじょそこらの女の子よりきれいな、それなのにどこかしっかり男の子の顔で、またへらりと笑った。 どきどきと鳴るこころに気づかれないように視線をずらし、私は深緑にきざまれる文字を追いかける。司馬はあいかわらず、私の方を向いたままだった。 席替えしてから知ったことだけど、司馬は授業を聞かない。 授業中は寝ているか、こっちを…つまり、うしろを向いてるかのどっちかで、先生もあきらめている。それが司馬のくせなのかもしれない。何しろ老若男女問わずモテる、人望があるひとだから。 先生そっちのけでくわっと、猫みたいにおおきなあくびをする司馬に、私は思わずシャーペンをとめて笑った。 「ふあ、よく寝た……なに笑ってんの?」 「だって司馬、猫みたいだから」 「猫?」 ちょっと不服そうにリピートして、司馬はちっちゃい子みたいにくちびるをとがらせる。 あれ、なにか失礼なこと言ったかな…?ちょっと焦って、私は首をかしげた。 「もしかして、猫きらいだった?」 「いや、べつに…」 いつもにこにこしてる顔しか知らなかったから、すねた子どものような司馬になんて言えばいいのかわからない。 猫がきらいじゃないなら、なんで… 戸惑っていたら、ちらりと視線をよこした司馬が、ささやくようにつぶやいた。 「…その顔」 「えっ?」 「だから。その顔ってさ、わかってないって顔だよね」 「わかってない…?」 そりゃそうだよ、実際わかってないもん。なんて、こんなに大あばれする脈拍をかかえて言えるはずもなく、こんどは私がくり返す。 ふくめた意味に気づいてか、あるいは気づいてないのかもしれない。私のくり返しを受けて、司馬はやけにちからづよくうなずいた。 「そうだよ。ぜんぜん、わかってない」 「って、言われても…」 「オレはね、猫なんてかわいいもんじゃないよ」 ことばはやけにつよく紡がれ、私の鼓膜をゆらして脳までとどいた。それなのに、司馬が何を言いたいのか、いまひとつわからない。 横を向いたままの司馬の目は怖いくらい真剣な、初めて見るひとみをしていて、それに気づいたとたんに心臓がとまりそうになった。 司馬の向こうでチョークがきざみだす、独特のリズムが私たちのあいだをただよった。間がもたなくて、だけど何を言えばいいのかもわからない。 勝手にふるえる手をうごかそうとしたら、さえぎるように司馬がくちをひらいた。 「オレはサッカーで生きていきたいからさ、勉強は大してやるつもりないんだよ」 「…うん」 「だから、授業中は最大限、すきなことしてたいんだ」 それと司馬が猫じゃないってことと、どうつながるのかはわからなかったけど、すきなこと、というのはいまこのことなのかなと思ったら、左胸の奥があまずっぱくなった。 期待なんか、したくないのに… うなずくしかできない私を、ようやく司馬は両目で見た。そうしてしずかに息をとめた私に、いつもとおなじ笑顔でにかっと笑う。司馬はきっと、どうせ、私がどれほど司馬の一言ひとことにゆさぶられているか知らない。 やわらかそうな髪にはかすかに寝癖がついていて、白いアルファベットは着々と量をふやしている。 「オレが猫なら、なまえちゃんは金魚だよね。顔まっかだし」 それなら猫もわるくないかな、とのんびりつけ足した司馬の頭のなかって、私にはわからない。ただあわてて手をあてた頬は、燃えているみたいに熱かった。 110604
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