薄氷の目はびっくりしたようだったけど、すぐに勢いよくそらされた。私はトオイくんの手を見つめていたような気がする。あんまりしっかり覚えていないのは、あれが一瞬だったからなのか、それとも…。 「ちょーっとお兄ちゃん!どさくさにまぎれて何してんのよ!」 べりっとひきはがすようにひっぱられて、ようやく我に返った。というよりも、なんだか音もなにもない水底の世界からオードリーちゃんにひっぱりだされたみたい。 本当におぼれかけたのかもしれない。急に苦しくなって、あわてて息を吸う私の耳には、オードリーちゃんに詰めよられてあわてたように言い返すリュウさんの声がきこえる。 「そういうことを言うな、誤解だと言っているだろう!」 「誤解!?何が誤解なのよ、言ってみなさいよ!」 「おまえ、兄に向かってその口の聞きようはなんだ!」 「お兄ちゃんだろうとなんだろうと、私は言いたいことを遠慮したりはしないから!」 オードリーちゃんのそのことばは、なんだかやけにはっきりと私の鼓膜をゆらして前頭葉にひびいた。 顔をおおってうずくまっていたら、そっと肩をさすってくれるちいさなぬくもりを感じた。傍らからきこえる声に顔を上げたら、キャサリンちゃんが心配そうにのぞきこんでいる。 「…大丈夫?」 「あ…うん」 「ひどい顔色だよ。とにかく座ろう?」 うながされるままに立ちあがったとたん、ぐにゃりと視界がゆがむ。落ちる、と目をつぶったら、想像よりもやわらかな何かにぶつかって、がっしりと支えられた。 きもちわるいくらいぐらぐらとゆれる感覚に吐き気を覚えながらも、うっすらとまぶたを持ちあげて、何が起きているのかをようやく理解した。思考回路がよわくなっているみたいで、あたまが上手くまわらない。 「トオイくん…ごめ…」 「しゃべらない方がいいよ」 肩を貸す、というよりもなかば担ぎあげるように、トオイくんはベンチに連れていってくれた。あまりにも不安定にゆれる世界に耐えられなくて目をつぶりなおしたけれど、ふれている場所から伝わるぬくもりだけはたしかなものに感じた……いくら、返ってきたことばがつめたくても。 かたい木の感触とかたちを感じたとたんにぬくもりは離れていって、代わりに反対側からべつのぬくもりがふれてきた。そっと、気づかうように背中をさすってくれるそれがだれのものなのか、そんなことを考える余裕はもうなかった。 ひたすら、吐き気を押さえつけることにだけ集中する。ちょっと離れたところから、トオイくんのきいたこともないくらいつよい声が聞こえた。 「リュウさん、何があったんですか?」 「何もないさ。プラスルたちのいたずらにひっかかってしまっただけだ」 「…いたずら?」 「ぷーらー」 「まーい…」 怒ったようなトオイくんの声に応えたプラスルとマイナンはきっと、耳をしょんぼりさせてうなだれているんだろうな。2匹はべつにわるいことをしたわけじゃないから怒らないでほしいのに、口をひらくどころか、顔をあげることもできない。 背中をやさしく上下するそれはたしかに温かいし、きもちわるさは遠ざかっていくのに、泣きたいような悲惨なきもちだった。 110611
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