novel | ナノ

会場はもうずいぶん人が減ってきていて、トオイくんはしばらく、何も言わずに私の手を引いてくれていた。

また早くなった動悸がつながれた手から伝わるんじゃないかと気が気じゃなくて、だけど離してほしいわけじゃないからじっとうつむいて、ただ手を引かれるままに歩く。

さっきまであんなに嫌だったのに、人波はもう、怖くも何ともなかった。


「なまえ、歩ける?」
「うん…トオイくん、」


人垣が切れる一瞬に、私の呼びかけも手のぬくもりが離れていく感覚も、トオイくんがふり返るのもすべて、同時に起こっていた。

それなのにそのどれもが終わるより早く、こちらに届いたのは別の声だった。


「トオイ!こっちだ、こっち!」
「あっ、ショウタさん」


本当にわずかな差だったけれど、すこし離れたところで手を振るひとに、トオイくんははじかれたようにふり向いた。離れたぬくもりも、合う寸前でそらされた目も、言いかけたことばさえぱちんとはじけるように消えた。

そのひとに手をふり返したトオイくんは、今まででいちばんうれしそうな顔で私をふり返る。


「行こう。ずっと会わせたかったんだ」
「ずっと…って」
「大丈夫、行けばわかるよ。プラスル、マイナン、行こう」
「ぷらっ!」
「ま〜いま〜いっ!」


きちんとついてきていた赤と青の影がぴょんっととび跳ねて、トオイくんの後を追って駆けていく。

追いそこねて離れたぬくもりに、急に不安になった。


「…かげ?」
「…っ、ヒトカゲ?」


すこし呆然とした矢先、とつぜん裾をひっぱられてびっくりしながら視線を落としたら、逆にびっくりしたらしいヒトカゲと目が合った。

目を見開いた姿がかわいくて、思わずほおがゆるむ。


「か〜げ…」
「ん、どうしたの?」
「……」


目線を合わせるべくしゃがんだら、ヒトカゲは裾をつかんだままこてん、とちいさく首をかしげた。それからちいさな手が伸びてきて、


「え?…わ!ヒトカゲ…?」
「かげか〜げ」


思わず身をひいた私の頭に追いついたオレンジが、さらさらと前髪をゆらす。目の前の手とおなじリズムで、炎がちらちらゆれているのも見て取れた。

まだカントーにいたころに、ヒトカゲが弱ったときにしてあげていたことだとふと気づいて、思わずぎゅっとその身体を抱きしめた。


「……ありがと」
「か〜げ!」
「あっ、こら!それ私の口真似でしょ」


楽しそうに笑うヒトカゲにつられて、私も笑ってしまう。ふわりと気持ちが楽になった。

110405
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