只今、人生最大のピンチ到来中……!! 「なまえさん?」 「……」 きれいな顔が覗き込むように近づいてきた。私は壁ぎわに追い詰められているのにも関わらず距離を取ろうとして、後頭部に当たる壁に沿って顔を反らす。するとすぐに、私を閉じ込めるように壁につかれた目の前の彼の腕に行き着いて、私の頭はそれに阻まれてしまった。 暗くなり始めた体育館裏はひとけもなく、不気味にざわざわと鳴る木の葉とぼんやりした蛍光灯が申し訳程度に光っている他には、私と目の前の彼だけしかいない。 そして彼は私をざらざらした吹きさらしのコンクリートの壁ぎわと自らの身体で閉じ込め、詰問しているのである。 これを人生最大のピンチと言わずに何というだろうか?しかも…彼は私が長年憧れつづけた人だし!! 「あの…風さん」 「ようやく口をききましたね、なまえ」 初めて会った日と変わらない優しい笑顔で小首をかしげる風さん。思わず見惚れそうになる自分を戒めて精一杯彼を睨むけど、か、……顔が近くて全然力が入らない。 「ふ、風さん、あの顔が、…」 「顔?」 「顔が近いです!ていうかそもそもなんでこんな体勢に!!?」 いやいや、元は私がいけないのだけれども…学校にとっては部外者な風さんを、非常識に学校に呼んでしまった私がいけないのだけれども!人目につきたくなくて(というか風さんをみんなに見られたら、たぶんそっくりさんだって大騒ぎになる…)、体育館裏に呼び出したのも私だけれども!! 「いやですか?」 「え!?」 ちょっと悲しそうにうなだれる風さん。しっかり体勢は保ったままのその動作に違和感を覚えるまもなく、あわてて否定する私は、急に復活した風さんに急に尋ねられてまばたいた。 「なまえさんは、どうして私をこんなところに呼び出したんです?」 「そ…れは、ただ、家に部活用具忘れちゃって、届けてもらおうと…」 「なぜ私に頼んだんですか?お母さんではなく。私はたしかにあなたの部屋に忍び込むのはわけないですが、ふつうは母親に頼むのが筋でしょう?ましてや私はただの"お隣"ですよ」 「風さん…怒ってます?使いっ走りにしてしまったから…」 「いいえ。私は嬉しかったですよ。あなたが、こんな些細なことでさえめ私を頼りにしてくださったことに。……ですが」 そこで風さんはたっぷりと間を取った。それからたっぷりのため息と共に、吐き出すように言った。 「あまりにも無自覚、無意識でいられると、私も少し…見返りを望みたくなってしまいます。こんなふうに」 こんなふう…?え?と思う間に、私の視界いっぱいにまで風さんの顔。ぎょっとする間どころか目を閉じる間さえなく、気付いたら唇にふにゃり、同質の何かが触れた。 永遠とも思える長い時間が経ったように感じたけれど、やがて風さんの唇は名残惜しそうに、最後に私の下唇を舐めてから離れていった。 私は最後まで、フリーズしていた。 「なまえ?」 凍結が溶けたのは名前を呼ばれてからで、見上げた風さんは困惑したような心配そうな顔をしていたけど、私はそれどころじゃなく風さんの唇ばかり気になってしまう。 「……ふ、」 「ふ?」 優しく問い返されたとき、視線の先の唇の端が、優しい弧を描いた。 …艶めかしすぎる…!!! 「服、取ってきてくれてありがとうございましたっ!」 真っ赤になった私は居ても立ってもいられなくなって、とりあえずお礼だけを叫んで脱兎のごとくその場から逃げ出したのだった。 残された風さんが、私を見送りながらにっこりと妖艶に笑ったのなんて、私が知るはずもなく。 カナリヤは逃げ出した 「綺麗な赤いカナリヤを手に入れるには、あともう一押し、ですね…」 Thanks;rim |