novel | ナノ

カキーーン……

良い音が聞こえて、私はつい、隣の網の向こうに目を移す。夕暮れのグラウンドはもう暗くなりかけていて、練習している野球部の白いユニフォームが、黒に近い色に囲まれた中でぼんやりと光って見えた。

白いといえばボールも白いけど、あまりに小さすぎて私には見えなくて、その小さな点を探していたはずの私の目はやっぱり彼に釘付けになってしまった。

遠めで見ても分かるのは私の目が良いせいではなくて、きっと彼がいつもまとっている空気のせいだ。そしてその、春の日差しのような暖かな彼の空気に敏感になってしまった私の心の目のせいだ。

山本武と私は、いわゆるライバルというやつだ。
私は陸上、彼は野球で舞台は違うけどいつも、試合をした数、そのうちどれだけ勝ったか負けたか、夢はオリンピックだのプロ野球選手だの、馬鹿みたいだけど大まじめな取り決めや夢を競い合っていた。

それが楽しくて、楽しくて、その気持ちが本当は、私が絶対にないと笑っていた例の感情の一歩手前だなんて、当時の私が気付くはずも、気付かないんだから対策を打てるわけもなかった。

2年生になって、クラスが分かれて話す機会がなくなった。そうして気付いたら、私は山本武ばかり目で追うようになっていた。一般的に言われる、いなくなって初めて気付く、というやつだ。私が一番嫌いな…恋、というやつに…。

「なまえ先輩、次の筋トレ何でしたっけ?」
「あ〜ごめん、部長に聞いて〜」
「そうそ、今なまえはお取り込み中なの!分からないかなぁ、このピンクのオーラ」
「ちょっと何言ってんの」

ところが、去年の時点で私の気持ちはバレバレだったと、去年クラスを共にした友達からさんざんに言われた。どうやら自分の気持ちに一番疎かったのは、私自身だったらしい。
山本は私よりさらに鈍いし、きっと私のことは女だとしてさえ見ていないだろう。それが分かっているから尚更つらかった。

からかってくる友人と、きょとんとしている後輩を残して、練習後の筋トレを真っ先に終えた私はさっさとダウンをはじめた。顔に血が上っていたので、軽く走り出すと頬を撫でる風が心地よかった。
いつもダウンに使うロード、すなわち、我が高校の誇る広い校庭、その金網外周りをぐるりと囲む道、それを半周ほどしたときだった。

カキーーン……

本日2回目、金属バットの爽快な音が響き渡った。走りながらふとまたそちらを見る、

「なまえ、なまえ!!危ない、避けろ、避けてくれ……!!!」

懐かしいような声、ばかでかい声が響いた。…空を振り仰いだ。

ガッッ!!

小さな鈍い音がしたのは一瞬後。私の背後の茂みに何か突っ込んだような音で、私はびっくりして立ち止まっていた。何が飛び込んできたのだろうと茂みを見れば、コロコロとタイミング良く転がり出てきたのは小さな白い野球ボール。

「なまえっ!」

がしゃん、と今度はでかい音がして、私は今度は道の逆側を振り替える。いつも遠くから見つめてたはずなのに、ひどく懐かしい泥だらけの姿が視界いっぱいに飛び込んできた。

「おいなまえ、ケガねえか」
「う、うん。大丈夫、当たってないよ」
「……よかった…」

1年生の頃に増して泥だらけの山本は、ざっと私を上から下まで見つめて、それからはぁぁぁ、と長い安堵の息を吐いた。こんな山本は初めて見た気がして、私は久しぶりに話したというのに、つい笑ってしまった。

「何で笑うんだよ?」
「何でかな…私にも分かんない」
「なんだよ、なまえは相変わらず面白いやつな」
「あんたに言われたくない」
「ははっ」

1年越しでも金網越しでも、山本は変わらなくて、その時私はそれがうれしくて笑ってしまったのかもしれないと思った。

「あ、わりいそのボールさ、この網越えるくらいまで投げ返してくんね?」
「はぁ!?何言ってんの」
「ほら陸上砲丸投げ自慢の肩でさ」
「私は砲丸の選手じゃな…」
「大丈夫だって。オレはちゃんと受け止めるぜ。……お前からの…」
「おーい武!!何やってんだよ、さっさとボール取って戻ってこい!!」
「…え、何?」

山本がふと声を落とした瞬間に、グラウンドのホームから監督らしき人のばかでかい声が響いて、山本の声は見事に監督さんにかき消されてしまった。
尋ね返すと、ちょっとむっとしたように後ろを振り返っていた山本は、半ば焦ったようにぶんぶんと首を振った。

「何でもねーよ、それよりなまえ、頼むぜ」
「……」

私がものすごく気に入らないって顔をしたら、山本は急に、1年の頃よく見た、ちょっとはにかむような笑顔を浮かべた。

「じゃあさ、この金網を越えられたら、お前の願いが一つかなう、ってのは?」
「はい!?何、それ」
「その方が燃えるだろ?」

私は金網を見上げた。かなり高い。確かに、腕の力のない私が投げて、これを越えられるということは、何か願いがかなうっていう奇跡、それに近いかもしれない。
もう一度、目の前の山本を見た。…かけてみる気分になった。本当は私、こういうの嫌いじゃない。

「…ほんとに願い、かなうかな?」
「かなうって」

山本は自信満々のいつかと同じ笑みを返してきた。眩しいと思った。
私は振りかぶった。右手に握ったボールに強く、強く「想い」を込めて。
コントロールもない私の想いのこもったボールをもし山本が受け止めてくれたら、そのときは……


ありったけの力で


「??何やってるんでしょうかなまえ先輩は…」
「しっ、静かに、おチビちゃん。彼女は今青春真っ盛り、周りが見えないお年頃なの。分かる?」「はい…?」


Thanks;rim
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