彼女が同じ空間にいると思うだけで心臓が早くなる。
けれどそれがとても嬉しくて、近くにいてくれるだけでいい。そう思っていたのに。
恋心はどんどん欲張りになっていくのだと知った。
君に触れたい。
そんな事出来やしないのに。
「おや?」
喚ばれて人間界に行くと、そこにはいつもいるはずの人の姿が見えない。
「なまえさんは?」
きょろきょろと辺りを見渡すが、彼女がいる気配が感じられなかった。
「なまえちゃん、熱を出して寝ているんですよ」
「熱!!?」
「はい。だからお見舞いに行こうと思って喚びました」
「なまえちゃんは誰かさんと違ーて頭いいからなぁ」
「それはあたしの事ですか?」
「誰もさくやなんて言うてへんやろ?あ、そう思うって事は自分でも思ってんねやろ。バカだから風邪引かないって」
「バカって言う方がバカなんですよ!!!」
何やらぎゃーぎゃー騒いでいるアホ2人は放っておいて、僕は室内をうろうろする。
彼女は一人暮らしだから寂しい思いをしてるに違いない。それに熱でうなされていてはろくに食事もとれないだろう。
「いたたた!すまん!すまんさく!謝るから許してーな!!!」
「許しません!」
「ぎゃぁぁあああ」
「あなた達うるさいですよ!!!」
ピギーと威嚇して黙らせる。
「そんな事してないで早くなまえさんの所に行きますよ!準備しなさい!」
「「はーい」」
口を尖らせる彼らの背中を押して、僕らは事務所を出た。彼女が一人暮らししているマンションはここから割りと近い。途中スーパーに寄って食材を買い、彼女のマンションにやってきた。
ピンポーンとインターホンを鳴らす。しばらくして『はい…』とかすれた声が聞こえた。
「なまえちゃん、さくまです」
『え?さくちゃん?』
「アザゼルくんもおるよ!」
「ベルゼブブもおります」
『え?みんな来てくれたの?』
ちょっと待って、と言われ待っているとがチャリとドアが開かれた。
姿を現した彼女の額には熱冷ましシートが貼られている。
「具合はどう?」
「うん、まだちょっと熱が下がらないかな」
あははと笑った彼女はいつもと違って弱々しい。僕らは顔を見合わせて『お邪魔します』と中に入った。
初めて入る彼女の部屋はキレイに整頓されている。緊張してしまうのをぐっと堪えて床に座った。
「風邪移っちゃうから来なくて良かったのに」
「大丈夫や。さくはバカやから風邪なんて引かんし」
「また言って!」
「僕達の心配よりもなまえさんは横になってください」
「あ、ありがとう」
座っているのも辛そうな彼女を寝かせ、布団をかぶせる。
「ご飯は食べましたか?」
「いえ、あの…食欲がなくて…」
「ご飯を食べないと薬は飲めないんですよ?買い物してきたので今からお粥を作りますから食べてください」
「でも…」
「でもじゃありません」
何か言いたげな彼女にピシャリと言い放ち、僕とさくまさんは台所に消えた。アザゼルくんを残しておくのは心配だったが、いくらなんでも病人には手を出さないだろう。もし手を出したら始末するだけだ。
「氷枕も交換した方がえぇな」
ぬるくなった氷枕を持ってきたアザゼルくん。彼は水を捨てて氷と水を入れた。
「ほら、べーやん。ワシと交換や」
「アザゼルくん?」
差し出された氷枕と彼を交互に見る。
「心配やろ?行ってやり」
「……ありがとうございます」
彼から氷枕を受け取り、熱冷ましシートも持って彼女がいる部屋に戻った。
「なまえさん、氷枕をお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
少しだけ浮かせた頭の下に氷枕を置く。彼女は気持ち良さそうに目を細めた。
「熱冷ましシートも交換しましょうか」
「すみません、お願いします」
オデコのシートを取って新しいシートを貼る。
「冷たくて気持ちいいです」
「それは良かった」
ふっと笑う僕につられてなまえさんも笑う。すると彼女は『ふわぁ』とアクビをした。
「お粥が出来るまで眠っていいですよ」
「ありがとうございます。…あの、ベルゼブブさん」
「はい?」
彼女はおずおずと布団から手を伸ばした。
「手、握っててください」
「え…?」
「熱がある時って、怖い夢を見ちゃうんです」
「……………はい」
そっと自分の手を重ねる。いつもより温かい体温に、僕は目を細めた。
たったひとつの触れる方法
(自分から触れない臆病者)