テストも終わり、ただいま古典の授業中。
呪文にも聞こえる声が俺の、いやクラス中の瞼を閉じさせる。
すでに半分が誘惑に負けてしまっていた。
ふわぁ、と先生にバレないようにあくびをしながらちらりと窓の外に目を向けた。
あー、マラソン大会の練習か。
この校舎から校庭は良く見える。田舎に比べて広さはないけど、だからと言って狭いわけでもない。
こんな暑い中走らされるなんて、俺だったら絶対サボるね。
汗をかくのは好きじゃない。
ベタベタするし、何より汗臭くなるのが我慢できない。
だけど…、
中学時代、なまえとマラソン大会の練習をしたことがある。
長距離走が何より苦手な彼女の為にと、家から公園まで、その少し先までと走った。
本番ではなかなか追い付いてこないなまえが心配になって途中で引き戻し、待っていたこともある。
俺の顔を見たなまえは、たぶん色んな想いが混ざり合っていたのだろう。
泣きそうだったのを覚えている。
『ごめん、ごめんね』と何度も謝る彼女に俺は笑って隣を走った。
走って走ってゴールして、お互いの額には汗が浮かんでいて。
いつもなら不快に思うそれだけど、不思議と嫌じゃなかった。
「あ…」
不意に漏れた言葉。
視線の先には彼女が、なまえがいた。
苦しそうに唇を噛み締めて懸命に走る。
もつれそうになる足を動かしている。
「……………っ」
それが、あの日と重なった。
泣きそうなのを我慢して俺にさよならを告げた君。
逃げるように走り去った足はもつれそうだった君。
泣いたなまえを慰めるのはいつも俺だった。
だから追いかけていつものように抱き締めて頭を撫でて、『大丈夫だよ』って言いたいのに。
原因は俺、だから。
その場から立ち上がることさえ出来なかった。
それからなまえは俺を避けるようになった。
当然と言えば当然だ。次の日から自分をフッた相手と今まで通りに過ごせるはずはない。
俺も正直助かった。
なまえに会って何て言えばいいのか分からないし、どんな顔をすればいいのか分からないし。
けど、いつも隣にいたなまえがいなくなると、何もかもがつまらなくなった。
友達がばか騒ぎしても、お笑い番組を観ても、ちっとも面白くなかった。
―――…幼なじみとしてじゃなくて、1人の女の子としてなまえちゃんを見てみなよ。
裕くんの言葉をずっと考えてた。
でも結局答えなんか出なくて、とりあえずテスト勉強をしようと家を出た。
そして思いがけなく出会った彼女と図書館に行って、窓側の席に向かい合うように座った。
暫くは手元の教科書に目を落としていたけど、その時不意に裕くんの言葉を思い出して、ちらりとなまえに視線を移した。
『………っ』
心臓を鷲掴みされたような、そんな気分に陥った。
透けるような白い肌。
長いまつげ。
形のいい唇。
風に揺れる髪。
それを耳にかける仕草。
その全てが、知ってるようで知らない女の子だった。
トクンと胸が暖かくなって、気恥ずかしくなって。
なまえに抱く、初めての感情だった。
「………っ、はぁ」
深く深く息を吐く。
前を見ると相変わらずゆったりとしたペースで授業をする先生がいた。
あー、眠い。
もう一度出そうになるアクビを我慢する。
そして無意識に窓に目をやった時だった。
「…………っ!!?」
大きく目が開く。
さっきまで懸命に走っていたなまえが倒れていた。
先生やクラスのみんなが集まってなまえを囲っていた。
そんな中、アイツが、野中がなまえを抱き上げた。
触るな、触るなよ。
なまえに触るな!
気づいたら俺は、
「安堂っ!!?」
教室を飛び出していた。
end