『この菌に感染すると…』

茹だるような暑い日、部屋にあるテレビでは国立東京微生物研究所から細菌が盗まれたという報道が絶えず流れていた。手に持つアイスを口に運んでボーッと眺める。

「失礼致します」

ドアがノックされて佐伯が入ってくる。ちらっとそちらを見てからまたテレビに視線を戻した。

『感染経路は主に飛沫感染で、特に小さいお子さんには感染しやすく、すぐに症状が出るのが特徴です』

“小さいお子さん”という言葉に真っ先に浮かんだのはコナン君だった。連絡してみようかと思ったけどやめる。そんなことして彼を怒らせるのは目に見えているからだ。

「お嬢様、明後日の準備は御済みですか?」

「あー…まぁ、ぼちぼち」

「お嬢様…」

はぁ、と深く息を吐き、呆れている彼に手を振った。

「大丈夫。まだ日にちはあるし」

「そう言って当日になっても知りませんよ」

「はーい」

「返事は短く」

「はいっ」

使用人兼、教育係の佐伯はこういうことに口煩い。まだ何か言いたげな佐伯を下がらせてテレビの音量を上げた。

それにしても、何で盗むのにわざわざ爆発なんてさせたのかしら。

細菌を盗むことだけが目的なら、爆発をすることによって燃やされてしまうリスクなんか背負いたくないはずなのに。

それに“赤いシャム猫”という組織。確か10数年前に財閥を標的にテロを繰り返していた。私が子供の頃の話だ。

「…やめやめ、それよりも準備しなくちゃ」

最後の一口を頬張ってバッグを引っ張り出す。中には昨日詰めた下着と着替えが入っていた。

「まさか鈴木次郎吉に挑戦されるなんてね」

ずっとキッドと私、ブラックを追っている彼からの挑戦状。飛行船にあるビッグジュエルを奪ってみせろというもの。生憎私はビッグジュエルには興味ない。だから今回は怪盗としては参加しない。

ビッグジュエルはキッドの獲物だから。

過去、怪盗キッドに何があったのか知らないし、詮索するつもりもない。私は彼から話してくれるのを待つだけだ。

「人には知られたくないことの1つや2つ、必ずあるんだから」

私だって例外ではない。佐伯にすら話していないこともたくさんある。だから私は待つだけ。

「あとはタオルに…」

傍らにおいてあるタオルを掴もうと手を伸ばすと、無造作に置かれた新聞に目が止まった。

キッドを誘き出すための飛行船。明後日私が乗るモノだ。

園子に『ぜひなまえも』と誘われ、断る理由が特になかったので2つ返事で了承した。

飛行船なんて久しぶりだなぁ。

幼稚園の頃、お父さんの仕事の用事でついていったきり。あれから10年は経つだろう。だから楽しみだというのもあるが、今回はキッド、快斗も一緒だから尚嬉しい。

どうせ誰かに変装して潜り込むだろうし。時間があればゆっくりしたいなぁ…って、何考えてるのよ!

赤くなる顔を抑えるためにエアコンの風量を強にして適当に荷物を詰めていると、傍に置いてあった携帯が鳴った。身体をビクリと震わせてそれを手に取ると、そこには“黒羽快斗”の文字が。

まさかこのタイミングで電話がかかってくるなんて…。

ピッと通話ボタンを押して耳に当てた。

「もしもし」

『あ、悪い。忙しかったか?』

「全然。テレビ観ながら用意してた」

テレビでは相変わらず専門家が盗まれた細菌について話していた。

「快斗こそ準備は終わった?」

『まぁな』

鈴木次郎吉の挑戦状に対して快斗が出したのは“大阪上空で頂きます”というもの。私たちの目的地も大阪だから観光でもしようかとの話になった。

『しっかし、さすがは大場財閥だよな。大阪にもホテルを持ってるなんてよ』

「経営者はおじいちゃんだから詳しくは知らないけどね」

『へぇ』

「とりあえず、またあとで連絡する」

『あ、なまえ』

切ろうとした私に届いた彼の声。再び携帯を耳に当てた。

「なに?」

『アイツも一緒…なんだよな』

アイツ、という言葉にすぐ新一くんが浮かんだ。

「まぁ、園子に誘われてるだろうし」

『ふーん…』

なんだか電話口の快斗は元気がない。一体どうしたのだろうか。

「快斗?」

『……気を付けろよ』

「なにが?」

『だから、…もういい』

彼の言いたいことがいまいち伝わらない。

『じゃあ、また』

「あ、うん」

別れの言葉もそこそこに電話を切った。

快斗…?

わだかまりを残したまま、時間だけが過ぎていった。



end










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