▼ 39 遥かなる大海原
カナーンにてエンタープライズを空海両用に改造してもらった後、シドは言った。これでお前さん達は元の世界へ帰れる、と。
元の世界。それは即ちこの浮遊大陸の事ではなく、雲海の向こうに広がる世界の事を指す。どういう意味なのか説明を仰ぐと、続けて彼はこう言った。
10年以上も前の話だ。ある時、大勢の客を乗せて飛空艇を飛ばしていた。しかし世界は突然闇に包まれ、舵の一切が不能となってしまった。大きく揺れる機体。響き渡る叫喚。遠のく意識。
どの位時間が経ったのだろうか。辺り一面を包む火の海の中、意識を取り戻した彼が次に目にしたのは、見るも無残な姿に形を変えた、飛空艇の残骸だった。
絶望だった。あんなにも聞こえていた叫喚は苦しげなうめき声と嗚咽に塗れ、そこらに転がる物体の中にはよく知った顔もあった。この世の終わりだ。この一瞬で、愛艇も友人も、大切なものを何もかも失ってしまったのだろうか。
だが、まだ諦めるには早い。助かる命がきっとあるはずだ。そうして懸命に捜索した後、かろうじて確認できた生存者の中に含まれていたのが、五人だった。
各々、自分が孤児だというのは知っていた。しかしそれに至る経緯までは聞いていなかった五人は、皆一様にひどく驚愕した表情を見せ、同時にシドが命の恩人である事を知り、深く感謝の意を述べた。しかしシドは、こちらの方こそ感謝していると言う。絶望の中に見付けた光。それは心を救ってくれたのだ、と。以前に言っていた「二度も助けられた」内のひとつは、この時の事を指していたのだろうか。大岩に飛空艇で体当りした時に感じた既視感も、この時のものだと辻褄が合った。
まだ赤子だった光の戦士達。成長した彼等が闇を振り払う運命を担うなど、誰が予想出来ただろうか。そのひとすじの希望が、願わくば世界を照らし出す光で有らんことを。
世界をその目で確かめて来るのだと送り出され乗り込んだ、変形型飛空艇エンタープライズ。ひどく渦巻く乱気流の中、力が吸い取られていくような、禍々しい魔力のようにも思える雲を抜けた先。
そこにあったのは、緑豊かな大地などではなく───気が遠くなる程に広がる、無限の海だった。
「なんて広い…まるで別世界だ」
激しい衝撃に耐え、世界を目にしたルーネスが零した言葉に、皆が共感した。こんなに広い海は見た事がない。見渡す限りの水平線。波の音と、エンタープライズのエンジン音だけが響く世界。
浮遊大陸にあるもののように澄んだ蒼ではなく、荒れる波、淀みのある深く暗い海。どこまでも落ちて行ってしまいそうな恐怖を感じ、ユウリは隣にいるルーネスの手を握った。
「恐いのか?」
「うん…落ちたら助からないよね…」
「その時は全力で引っ張り上げるから安心しろって」
努めて明るく話す彼に、ユウリも安堵の表情を浮かべた。もう一度海面へと視線を戻し、海竜ネプトが言っていた事を思い出す。
水は光を失ってしまった。それは浮遊大陸の事を指していたのか、それともこの世界の事を指していたのか。予想でしかないが、おそらく後者なのではないだろうか。眼下に広がる果てのない海を見て、思う。
舵を取るイングズが皆を集め、これからどこへ向かえば良いのか話し合う事になったが、辺り一面海という予想外の事態に誰からも意見が出ない。
浮遊大陸とは比べ物にならない程に大きな、下の世界。少しでも何か、例えば上陸できそうな大地だったり、そういったものがあればそこを目指すのだが。
土地勘が全く無いこの世界で、何をすべきなのかが分からず途方に暮れた。せめて地図のひとつでもあれば、この状況を打破出来るかもしれないのに。
勿論、そんなものは誰も持っていない。浮遊大陸にも売っていないだろう。武具やアイテムの他に持ち合わせているのは日用品や、飲食料。
使えるものは無いかとアルクゥが荷物を覗き、何かを見付けたのかあっと声を上げた。
「これ、使えるかもしれません」
取り出したのは一つのパン。古代人の村でチョコボに乗って浮遊大陸を一周した時の景品で貰ったそれは、保存食にもなると教えられたので食料袋に入れておいたものだ。
けれどそれが何に役立つのか理解出来ないユウリは、首を傾げ問い掛けた。
「アルクゥ、お腹空いたの?」
「ふふ、違うよ。古代人の村で別行動していた時、僕は魔法屋に行ったでしょ?その時に聞いたんだ。このパンには魔法が込められているって」
「魔法…ボムのかけらみたいな感じ?」
「そう。サイトロという白魔法で、食べると頭の中に地図が浮かび上がるんだって」
そう言うとアルクゥは景品のパン───品名はこびとのパンと呼ぶらしい───を一口分にちぎると、口に含んだ。
「…!う、わ…すごい…」
「何か見えたの?」
「…ここからずっと東、少し北に行った所に…何か…神殿かな、大きな建物が見える。それと…そこから北、少し西に行った所に、これは…船…?」
どのようなビジョンで見えているのかは分からないが、どうやら紙の地図とは違い建造物や今現在そこにあるものまで認識出来るようだ。
「船があるの?」
「うん…」
アルクゥは眉間に皺を寄せると、何やら考えるように閉口した。意識を集中して様子を伺おうとしているのだろうか。
船があるという事は、自分達以外にも誰かが…いや、人ではないかもしれないが、何かが存在するという事になる。それが生存しているのであれば、だが。
それでも何も手掛かりがない今、その船や北東に見えた神殿へ向かうのも一手なのではないだろうか。
「何かありそう?」
「…外観だけではちょっと分からないかな。ただ、帆や甲板が結構ボロボロになってるから…」
「無人の可能性もあるだろうな。だがもしかしたら人が残っているかもしれない」
行ってみよう、とイングズが舵に手を伸ばすと、アルクゥに方角の指示を仰いだ。速度を上げて一直線に向かう間も、景色は変わらず全てが海。
元の世界は一体どうなってしまっているのだろうか。シドが言っていた、飛空艇を襲った闇に包まれて崩壊してしまったのだろうか。いや、崩壊というよりもこれは、封印か。
どちらにせよ、原因さえ分かれば復活させる事が出来るかもしれない。注意深く水平線に目を凝らしていると、ぼんやりと見えてきたあれは陸地だろうか。
小さな孤島。あるのは小高い丘に少しの木々、そして。
「船…本当に見えていた通りだ…」
「難破船、だろうか?漂流してきたとしても、一体どこから…」
「随分壊れちゃってるね…」
「行ってみましょうよ。誰か居るのかもしれないわ」
「そうだな、折角掴んだ手掛かりだ。イングズ、着けられるか?」
「ああ、少し揺れるぞ」
エンタープライズが降りられるのは、元々の形状や用途からも分かる通り、水上のみである。難破船のすぐ横に着け、甲板に降りてみても見える範囲には人の気配が全くしない。
難破船の船内へと続く階段を降りながら、幽霊が出たらどうしようと小さく零したアルクゥを安心させようとそちらを振り返ったユウリだったが、口を開くよりも先に聞こえてきたのはレフィアの勇ましい声だった。
「その時はわたしが守ってあげるわよ」
「うん…ありがとうレフィア。でも普通は逆だよね、女の子に幽霊から守られるなんて僕は情けない…」
「そんなこと気にしないの。誰にだって怖いものの一つや二つ、あるんだから」
「はぁ…僕も勇気が欲しいよ…」
そういえば、いつからアルクゥはレフィアに敬語を使わなくなったのだろうか。旅をしている皆はそれぞれ仲が良いが、それでも彼は敬語を使い続けていた。事実、イングズには今でもそうだ。
それどころかユウリやルーネスにしているように、レフィアにもとても自然体で接している。それは良い事なのだが、二人の間に何かあったのではないかと気になってしまう。
何にせよこれからも、おそらくまだまだ長い期間一緒に旅を続けるのだ。打ち解けてくれるのは良い事だと、ユウリは口元を緩ませながら前を向いた。
少しずつ空気の流れが変わってきた。灯された光が人意的なものだと分かり、この先に誰かがいると期待を込め歩く速度を早める。最深部、そこで確認できたのは一人の翁と、簡易的なベッドに横たわる美しく、けれどどこか儚い影を落とす女性の姿だった。
「おお、おお…こんな日が来るだなんて、誰が想像出来たであろうか…」
五人が声を掛けるよりも先に、こちらに気付いた老人が声を上げた。
「お若いの、こんな所に人が居てさぞ驚かれた事じゃろう。しかし…一体、どうやってここに辿り着けたのであろうか…?」
「僕達は浮遊大陸という、この世界とは切り離された大地からやって来ました」
「なんと…!ああ、エリア様…神は我々を見捨ててなどいなかった…希望はまだひとすじの光を残しておったのじゃ…!」
「おじいさん、この世界で起こった事を教えていただけませんか?」
「うむ…世界が闇に覆われ、全てのものを…時間を止めてしまったのじゃ」
「時間を…止める?」
「エリア様はそれを防ごうと…」
エリア。それがこの女性の名なのだろうか。随分と衰弱しているように見える。しかし傷を負っているようには見受けられず、となると毒のようなものが身体に回ってしまっているのか。体内に直接癒しを作用させるものなら効果があるかもしれない。
「彼女は、たった一人で…その、闇に立ち向かっていたのですか?」
「いいや…何人か巫女はおったのじゃ…しかし他の者は皆………」
毒消しと薬草を煎じている間、ユウリと老人が話している内容から、助かったのはエリアだけだったのだと推測できる。
なんと、残酷な事なのだろうか。年齢はユウリと同じくらいだろう、まだ少女と呼んでもおかしくはない彼女に課せられた運命。仲間が次々と倒れていくのを感じ、それでも最後まで抗い続ける事は、相当な苦痛を伴ったに違いない。
闇に立ち向かう、光。それは光の戦士として、五人も同じだ。もっと早くこちらにやって来ていれば彼女の手助けが出来たかもしれないのに。
いや、世界が闇に覆われたから、危惧したクリスタルは立ち向かう戦士を選んだのだろう。それもまた運命であり、課せられた使命。
調合した毒消しを水に溶かし、エリアの口元へ運ぶ。こくんと嚥下されたのを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。
「うっ…ごほっ、ごほっ…」
「エリア様!?気付かれましたか!?」
「…ここは…、?あなた方は…?」
まだ苦しいのだろうか、表情を歪めながらもゆっくりと意識を取り戻したエリアは、視界に捉えた五人を順に見回した。
流れるような金糸の髪に、陶器のように滑らかで白い肌。澄んだ水のように蒼く大きな瞳が零れんばかりに開かれ、エリアから驚愕の声が漏れる。
「え…?あなた達の心の中にあるその光…!」
その言葉に、今度はこちらが驚愕した。まだ一言も交えていないのに、なぜ分かったのだろう。闇を打ち払う巫女として、五人の心に宿るクリスタルの光に呼応したのだろうか。
「良かった…クリスタルは戦士を選んでくれたのね…」
ふわり、浮かべられた微笑みはひどく美しく。同性でも思わず見惚れてしまう程だ。おそらく彼女は光の戦士が現れるのを待っていたのだろう。この暗く冷たい海に浮かぶ、寂しい孤島で。
皆が軽く自己紹介を終え世界の現状を伝えると、エリアは自分の使命を全うすべく、水の神殿───アルクゥに見えていたものと同じだろう───に連れて行って欲しいと願い出た。
止められた時を再び動かすため、水のクリスタルの欠片を封印されたクリスタルに捧げれば、或いは。
「でも…エリアさん、まだ回復したばかりで辛くないですか?」
「ユウリさん、でしたね。ご心配をお掛けして申し訳ありません。私なら大丈夫ですよ」
「エリアさんがそう言うのなら…でも無理はしないで下さいね?」
「はい、ありがとうございます。それと…私の事は、エリアと呼んで頂いて構いませんよ」
「ふふ、分かりました。それなら私の事も、ユウリと呼んで下さい」
「ええ、ありがとうございます、ユウリ」
微笑ましく交わされる二人のやり取りに、他の面々も自然と口角が緩んだ。重大な使命を背負った者同士、気を抜いてはいられないのだけれど、やはり出会いは大切にしたいと思うのだ。
そうと決まれば一刻も早く、と立ち上がり身支度を整える水の巫女の表情は、不安と絶望から安堵と希望へと色を変えていた。
目指すはクリスタルを奉る、水の神殿。正確にはクリスタルの欠片なのだが、それを手に入れてしまえば安心だ。アルクゥに方角の支持を仰ぎ舵を取るイングズは、甲板でお喋りをしている女子三人の楽しそうな声を聞きながら、人知れず故郷の姫君の事を思い出していた。
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