▼ 34 魔導師ハイン
一難去ってまた一難。置かれている状況はまさにそう見えるが、視点を変えてみればむしろ禍転じて福と為すになるのではないか。
なぜ自分達がここにいるのか、どうやって侵入したのか。うっすらと晴れてきた思考に理解が追い付いた時、事の顛末を思い出した。
ドワーフの住処を後にし、その足で真っ直ぐトックルの村へと足を踏み入れた五人は、突如現れたアーガス兵に抵抗する間もなく捕らわれてしまった。睡眠作用のある薬を嗅がされたか、それとも魔法を掛けられたのか。そのまま意識を手放してしまった所まで思い出せた。
気が付くとそこはハインの居城。長老の木をくり抜き作られた、ある意味自然の要塞。アーガス王や操られることのなかった兵士が収容されている、牢の中。
するべき事は決まっている。ハインを倒し、アーガスの皆を解放する。そして長老の木をあるべき所へ返す事だ。
遠目から見ていただけでは分からなかったが、内部は広く、所々で枝が絡み合い入り組んだ構造をしている。当然のように魔物も居着き襲いかかってくるが、これはハインが喚び起こしているのだろうか。長老の木そのものに元から住み着いていたとは考えにくい。
捕らわれているアーガス王は言っていた。ハインは元々アーガス王の側近。いつから心を闇に染めたのか、はたまた最初からアーガス城を乗っ取るつもりだったのか。
そこまでは分からなかったが、最奥で邪神官の姿を見た時、その風貌に目を疑った。それは既に人ではなく…いや、厳密に言えば人、或いはそれに近い姿だったのだろう。
「素晴らしい…この暗黒の生み出す力は美しい…」
空洞の眼に剥き出しの骸。覆う皮膚は無いが笑っているように見える口元。いつか本で見た、人体の骨格標本が彷彿とされるその姿は正に、骸骨そのもの。
闇へと身を堕とし、自らも魔物となる道を選んだアーガスの神官。欲に眩んだ者は力を求めるあまり、全てを我が物にしようとする。
身に余る力を手に入れた者。使い方を一歩でも間違えれば、その末路には決まって、滅びが待っているというのに。
私利私欲の為だけに多くの犠牲が払われた事が、許せない。命を落とした者だっている。人も、自然も、誰かが勝手に奪って良いものではない。
「闇の力は人間だったあなたが使いこなせる程、単純なものじゃない。そんな姿になってまで、なぜ力を求めるんですか?」
瞳に静かな怒りを宿したアルクゥが、真っ直ぐに視線を向け問うた。それを聞いたハインは深く暗い眼孔をこちらに向け、愚問だと言うように苛立ちを口調に含ませる。
「分からぬのか?この力の素晴らしさが!わしはこの力を使い、生きている木を動かし兵士を操り、そしてこの世界の支配者となるのだ!!邪魔はさせん、死ねい!!」
やはり、言葉での解決など出来るわけがなかった。まだ人間としての良心がほんの僅かでも残っているのなら、可能性があったかもしれないと思ったのだが。
否。闇堕ちするような者に、そんな期待は持つべきではないか。ならばその強欲な魂に、光の審判を下そう。
「倒されるべきなのはあなただ。アーガスとトックルの皆を…この偉大なる大樹を返してもらいます!」
「ふん、戯言を…」
武器を向けたのと、同時。纏っているマントを腕で払い、にたりと笑みを浮かべた───ように見受けられる、と表現した方が正しいか───邪神官ハインの身体が淡い光に包まれた。
バリアチェンジだ。自らの属性を変える事により弱点となる属性を悟らせない術。これを即座に見破れるのは火のクリスタルから受け取った学者の心のみだと言われている。
しかし今、五人の中でその心に就いている者はいない。
「わしの弱点を見破る事は不可能であろう。むざむざ命を捨てに来るとは実に滑稽!じっくり痛めつけた後、我が手駒にしてくれるわ!」
「そうやって余裕でいられるのは今の内だけだ」
「なにぃ?」
だが、それがどうしたと言うのか。確かに弱点が分からなければ的確な判断を下せず、場合によっては長期戦になるのを覚悟するしかないだろう。
しかしそれは見破る方法が一切無い場合だけ。学者の力を使わずとも、イングズが習得している魔法のひとつに、それと同等の効果を持つものがある。
相手の体力や弱点など、あらゆる情報を瞬時に把握する、ライブラの魔法。
「…成る程な。ユウリはボムのかけらを。あれには強力な力が込められている。直撃すれば即座に発動するはずだ」
「分かった!」
「ルーネスとレフィアは属性の持たない武器で攻撃してくれ。どうやら魔法と物理では持っている耐性が違うようだ」
「了解、こっちで注意引き付けておくからその間に頼んだぞ!」
「ああ。アルクゥ、同時に放つぞ」
「はい。いつでも準備出来ています」
ボムのかけら、その単語が出た時点で皆がハインの弱点を理解した。余裕の笑みを浮かべているその姿目掛けてまず攻撃を仕掛けたのは前衛職の二人。
当然ながら相手の意識はそちらへ向く。狙い通りだ。ユウリはその間にボムのかけらを投げつけ命中させると、瞬時に爆炎が上がりハインを包み込んだ。
「ぐっ、ぬぅ…!?」
苦しげに歪められた表情を見、今の攻撃は相当に効いていると確信する。見破られぬ絶対的な自信があったのだろう、崩れた余裕が露呈していた。
アルクゥとイングズの放った巨大な火球が直撃し、焦りを見せたハインが再度バリアチェンジを構えると、イングズもすかさずライブラの詠唱体勢に入る。弱点属性以外での攻撃はあまり効果がなく、加えて物理攻撃にもなかなかの耐性を持っている。切り裂ける肉も無ければ空洞の身体からは血液が流れ出る事も無い。物理への耐性は当然といえば当然なのかもしれないが、もしも見破る術を持ち合わせていなかったら長期戦は免れなかっただろう。
それどころか相手の技に翻弄されて不利な立場になっていたかもしれない。各クリスタルから受け取った力はやはり、闇を打ち払う者にとって絶大な力となってくれているのだ。
ハインは次々と弱点属性を変えていくが、それは即ち後手に回っているという事。攻撃を仕掛けてくる時もあるが、弱点を撃ち込まれれば咄嗟に身を守る隙が生まれるため、こちら側が有利な事に違いはない。
膨大な魔導の力を持つ神官として、参謀として。アーガス城のブレインとして、いくつもの成果を上げていたのかもしれない。緻密な計画を実行に移し一国を乗っ取る寸前まで追い詰めた彼の頭は相当に切れるのだろう。
だがそれは、使える駒がある場合の話だ。自身に生半可な攻撃は効かないだろうという絶対的な自信。その驕りが打ち砕かれた時、自分一人では次に打つ手も限られてくる。
「ハイン!いくらバリアチェンジをしても無駄だ!お前の弱点は全て把握している!」
現時点の弱点は氷。鋭い氷刃が暗黒魔導師の身体を突き刺し、切り刻む。情けは無用、同じく一国に仕えていたイングズは、やり方の非道さを許す事は出来ない。
「おのれ…!おのれえぇぇ!!」
「さあ降伏を。今のあなたでは僕達に勝てない。分かっているはずです!」
「小癪な!私はこの力で!この国を!!世界を乗っ取り全てを支配するのだ!!こんな所で朽ちてたまるものか!!」
「お前そんな事ばっかり言ってるけど、本当に世界を支配出来るとでも思ってるのか?だとしたらオレ達くらい簡単に追い払えなきゃおかしいだろ」
「本当、口だけね。すごい魔力を持っているみたいだけど、使う暇も持てないなんて宝の持ち腐れじゃない」
「黙れ小童共!ならば見せてやる、私に秘められた魔力を!!」
普段であれば余裕で躱すのであろう。しかし今は冷静を欠き挑発に乗ってしまっている。魔法を詠唱している時は、ほんの僅かな間であろうと、必ず隙が生まれるもの。
それも己の持てる魔力を集中させ、解き放とうとしているのだ。普段よりも生じる隙が大きくなるのは目に見えている、そしてそれを見逃す程、皆の戦闘技術は甘くない。
「奪ったものを返してもらおう!」
イングズの凛とした声が通ったと同時、ハインの身体を鋭い氷槍が貫いた。最後まで紡がれる事のない詠唱では当然魔法は発動せず、開かれた口から声ともつかぬ唸りが洩れている。
手応えは、あった。ふと力の抜けたハインの腕が、がらりと音を立て崩れ落ちる。骸の頭部が項垂れる刹那、見えた両の眼孔からは光が失せていた。
戦意を喪失させる事が出来たのだろうか。しかし状況がはっきりしない以上、迂闊に近付いては危険だ。
けれどその疑念は杞憂に終わる。対峙する者から感じていた、溢れ出る邪悪な思念が一切感じられないのだ。今までであればすぐさま身を翻(ひるがえ)し防御態勢に入る、または魔力を高め反撃に出るか、若しくは物理攻撃を仕掛けてくるか。そのどれかだった。
息絶えているというわけではないらしい。苦しげに、だが確かに上下する胸が、辛うじて命を繋いでいるのだろうか。
この場で絶ち切るのは簡単だ。どうする。相手は非道の邪神官。情けは無用か。武器を握る手を、魔力を集中させる意識を、構え直す。
「─── わ……し、は………」
ひゅう、と喉が鳴る音と共に聞こえてくる、しゃがれた声。
「ちから、を………」
「この期に及んで、未だ力を欲する気か?」
「…い、や………」
イングズの問い掛けにハインは、ひどくゆったりとした動作でひとつ、首を横に振る。からりと骨が砕け落ちるのを視界に捉えた。ああ、これが彼の、最期なのだ。
「───…すま、な、かった…」
「…何に対しての謝罪だ」
「全て、に……───わ、しは…権力、に…目が、眩み…闇の…力を、得た……だが、それは……多く、の…者を…犠牲にした………己の…肉体、魂も……家族で、さえも………」
元々は、アーガスに仕えていた、一人の人間。神官だった彼が闇に堕ちたのは自身の意思だったとしても。
「だが、それは…間違い、であった………光の…戦士達よ…行いを、心、から、詫びよう………頼む、我が魂を…解き放ってくれ………」
最後に、人としての心を取り戻せたのならば。とどめを刺す事が、少なからず戸惑われた。しかし悪行の数々を無かった事には出来ない。罪の無い村人を殺め略奪の限りを尽くした罰は、当然償わなければならないだろう。
何よりこのまま放っておいたところで、どのみち長くは持たない。
「…せめてあの世では、闇に染まってくれるな」
すらりと抜かれた赤魔道師にしか扱えぬ刀身が、鈍く光る。浄化の力を宿す聖剣が突き立てられたのちに残ったのは、 巨大樹に掛かっていた呪いが解けた光。
そして崩れゆく神官の瞳から零れ落ちた、後悔の念。ひとしずくの水滴。それは乾いた地面に吸い込まれ、余韻も残さずに儚くも消えていった。
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