君と歩く夜更けについての話



時計の針はもうすぐ頂点で重なろうとしている。夕飯もシャワーも歯磨きも済ませて、あとは眠るだけ。なのに急に甘いものが食べたくなってしまって小一時間。結局、スマホと財布だけを掴んで立ち上がった。眠ればきっと解決する話だが、今日は妙な空腹感が邪魔をする。たまにはいいよね、と私を待つコンビニスイーツに思いを馳せた。玄関に向かう前に、ドライヤーの音が漏れる洗面所を覗く。焦凍に一言かけておこう。何も言わずに、ましてやこんな時間にいなくなったら、きっと大騒ぎになる。

「コンビニ行くけど、何かいるものある?」

「は?」

風に遊ばれる髪の隙間から見えた、きょとんとした表情。少し大きめの声で同様の言葉を伝えると、ドライヤーの音が止んだ。鏡越しにまん丸の目と、眉間に刻まれた皺が見える。こちらを向き直った彼に、なんでこんな時間に…と、理由を問われた。咎めるように聞こえるが、きっと気の所為。知らん顔して、甘いもの食べたくなっちゃった、と答えると、返ってきたのは小さなため息。

「俺も行く」

「ええ、寝てていいよ」

「遅いし、危ねえだろ」

少し待ってろ、と言うとまだ少し湿り気を帯びている髪を揺らしながらドライヤーを片付け、部屋に戻って行く。寝る前のゆるい格好の彼の背中を見送りながら、心の片隅で罪悪感が顔を出す。やっぱやめようかな、なんて考えているとリビングの明かりを消して、スマホと財布を片手に戻ってきた。髪、まだ少し濡れてるけどいいの、と聞くともう乾いたからいいと言って玄関に向かう。私を気遣っているのか、はたまた大雑把なのか。中断させた張本人である私が言えることではないのだが。

「焦凍待って、申し訳ない気持ちになってきた」

「どうした?」

「私の食欲に付き合わせてしまって、こう、罪悪感が」

そう言うと焦凍は気にすんな、と笑う。まあ、焦凍がいいならいいか。すぐに息を潜めた、心の隅の罪悪感。小走りで彼を追いかけ適当なサンダルを引っ掛ける。開いたドアから感じた、夜の空気。遠くにサイレンの音が聞こえる。昼間とは違う表情の街。明かりは少なく、車も人の往来もない。静かな道路に、二人分の地を蹴る音だけが微かに響く。道端に寝そべる無防備な猫は、人の気配を感じたのか足早にかけて行った。静かな風が髪を撫でる。深く息を吸って、夜の空気を肺に巡らせた。

「夜の空気、好きだなあ」

「昼とそんな違うか?」

「お昼とはまた違う気がする」

夜は気温が下がるから草木や土の匂いが、なんて根拠もない持論を語りながらゆるやかに足を進める。時間も時間だから、声は控えめに。そのうち二人の腕がぶつかり、そのままするりと手繰り寄せられた。繋がれる手と手。少し驚いて私の横を見上げると、街灯の白い光に照らされた綺麗な顔は何事も無いかのように前を向いている。

「…はずかしいよ」

「そうか」

繋がれていた手が離れ、また指を絡めて合わさる。ぎゅっと力を込める訳ではなく、そっと包み込むように。優しい感覚。いつも焦凍は強引で、それでも必ず私に決定権を与えるのだ。優しいような、ずるいような。焦凍は私が拒まないことを、よく理解している。薄く浮かべる笑みを見上げながら少しだけ、されるがままの指先に力を込めた。
こうして歩くなんて、いつぶりだろう。歳を重ねたのもあるが、焦凍はヒーローで、知名度だって低くはない。だから、いつからかだったか。どちらかが言い出した訳でもなく、手を繋いで歩く機会はなくなって。

「たまにはいいだろ」

「まあ、うん、でも…」

「なまえ」

何、と発する予定だった声は焦凍の口に飲み込まれて。思わず足が止まる。短い時間合わさったそれは音もなく離れて、ぶつかる視線。焦凍の瞳は僅かな明かりに照らされて、優しく光っていた。恥ずかしいような、嬉しいような。ごちゃごちゃと色々考えようとした思考を止める。たまにはいいかな、と小さく焦凍を呼んで、少しだけ背伸び。繋がれた手を握って目を閉じて、静かな二人だけの時間を享受する。




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