君を待つ暮夜についての話



メッセージアプリを起動して、一番上のトークを長押しする。ポップアップで表示されたトーク画面は私が送信したメッセージで終わっていて。送信時刻は約一時間前。約束の時刻は約二時間前。カフェで待つという私のメッセージに、既読はまだついていない。既に冷めきったカフェラテを流し込んで、ガラスの向こうを行き交う人たちを眺める。帰宅ラッシュは過ぎたのだろう、人の往来はそこそこ少ない。焦凍が私の職場の近くで仕事だから、久しぶりに外で待ち合わせて、夜ご飯を食べに行く約束をしていた。きっと今日は無理だろう。カフェラテの飲み口にはリップがべっとりついていて、せっかく塗り直したのにな、と気分が沈む。珍しく、仕事終わりにメイクを直したのだ。可愛いって思ってもらいたくて。それはもう飽きるほどに家ではすっぴんを見せているが、たまにはおしゃれして可愛い私を見せたかった。お気に入りのリップは本来の役目を果たせず、カップを赤く染めるだけで終わってしまったけれど。
今日はパトロールでもなく、事務所待機でもなく、企業との案件だから早く帰れると言っていたが、おおよそ緊急要請でも入ったのだろう。検索エンジンとSNSの投稿を調べてみたが、どこかでヒーローが怪我という文字はない。まあ、怪我してないならいいか、という気持ちになる。そろそろお腹が限界だ。先に帰って、ご飯を作って、焦凍の帰宅を待とう。今日は家で食べよう、とメッセージを送信してスマホをバッグにしまった。冷蔵庫になにがあったっけ、なんて考えながら席を立つ。ちょっと前に食べた、駅地下の惣菜屋のサラダ美味しかったな。あれだけ買って帰ろう。
足早に目当てのものだけ購入して、惣菜屋の小さい袋をぶら下げて車両に乗り込んだ。外の景色を眺めながら、人も疎らなそれに揺られる。帰ったら冷凍してあるはずの魚を解凍して、お米を炊いて、味噌汁を作って、なんて考えていると、バッグのなかでスマホが震えた。この振動は着信だろう。いま車内だしな、と考えていたら振動が止まる。切れてしまった。一瞬の隙を挟んでまた振動が始まる。緊急性の高い連絡なのかもしれない。そこそこ慌てて画面を確認すると、表示されているのは焦凍の名前。きっと今終わったんだろう。何かあったら連絡は来ないはず。戸籍上は家族でもなんでもない私に、わざわざ連絡はないのだ。
いま車内だから、とメッセージを入れようと拒否ボタンをタップする。アプリを起動しようとすると再度着信。リダイヤル、早すぎでは。きっとタイミングが悪くて転送されたと思ったのだろう、再度拒否。再度爆速リダイヤル。あまりにもしつこい着信に、もしかしたら何かあったのでは、と血の気が引いた。最悪を想像して心臓がばくばくと主張する。閉まりかけのドアから転がる様に下車し、応答ボタンを押した。

「も、しもし」

耳に当てたスピーカーからなまえ?と、小さく聞こえた、焦凍のこえ。電車が走り去る音で掻き消されそうなそれに、一先ず安堵する。強ばっていた身体から力が抜けるのがわかった。良かった。無事ではあるらしい。お疲れ様、声に出す前に、焦凍が言葉を続ける。

『いま、どこだ』

「最寄り駅の何個か手前、電車乗ってたよ」

メッセージ見てない?と問うと、まだ見てないと返ってきた。きっと、終わってすぐに通知も確認しないで電話をかけたのだろう。焦凍らしい。

『今日の約束、すまねえ』

「うんうん、大丈夫だよ」

『怒ってるか』

心配そうにこちらを伺う焦凍に、ええ、怒ってないよと返すと、そうか、と短く返ってきた。近くにあったベンチに腰掛け、電光掲示板を見上げる。次の電車もすぐ来るらしい。焦凍の用事が終わったのなら、早く帰らなければ。

『電話』

「うん、出れなくてごめんね」

『...出ないから、怒ったのかと』

言葉尻が萎んで、それから小さな溜め息が聞こえた。焦凍の背後が騒がしい。きっとこうだ。今日の予定が終わったところで緊急要請か何かで呼び出しがあったのだろう。少し前に片付いたから、ひと息つく間も惜しんで、届いているであろう通知を見ることも無く、長らく待たされている私に電話をかけた。出ないからかけ直したら切断される。怒っていると勘違いしたんだろうな。電話口の向こうでしゅんとしている焦凍を想像して、頬が緩む。
このくらいで怒ってたらトップヒーローの彼女なんてやってられない。現に、待ちぼうけだってこれが初めてではないし、数えたらキリがないから、気にしないのが懸命。焦凍はヒーローで、私だけを優先する訳にはいかない。そういう職業なのだ。寂しくないと言えば嘘になるし、我慢してないわけでもない。でもこういうときの焦凍は必ず申し訳なさそうに謝ってくれるし、ご機嫌取りのお土産も買ってきてくれる。そして、ちゃんと埋め合わせの約束もしてくれるのだ。もっとも、その約束が予定通りにいくとは限らないが。

「大丈夫だよ、怒ってないよ」

『なまえごめん、ほんとに』

「いいから、早く帰っておいで」

夜ご飯は鮭と鯖、どっちがいい?と聞くと、小さな声で蕎麦と言われた。それは、選択肢に入れてないな。
急いで帰って、ご飯を作ろう。それからお風呂も入れなきゃ。そのうちに疲れきったヒーローが帰ってくるだろうから、めいっぱい甘やかしてあげるか、はたまた意地悪してみるか。




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