※些か注意



記憶をなぞって思い出してみる、彼が教えてくれたことをひとつずつ。目が合った時の鼓動の高鳴り。繋いだ手から伝わる体温。心地よい静寂。名前を呼ばれるしあわせ。胸が締め付けられた時のいたみ。いとしい寝顔。わたしだけの笑顔。別れた後の寂寞。会えない日の途方もない時間。涙が溢れるほどのさみしさも、よろこびも。
それでもあなたの、心は教えてくれないから。
わたしたちのはじまりはいつだったか。言葉を交わすことすらなかったのに、今は。この関係に疑問を抱いているのにおわりを望んでいないわたし。ただひとこと、聞いてしまえば答えは出るのに、それがこわくて。
既読のついたメッセージを眺めて、ちいさく息を吐く。だらだらと続く、たわいもないやり取り。今日もつかれたとか、おはようとかおやすみとか、とりとめのない話。仲の良い友人、その言葉で片付けられるならどれだけ良かっただろう。ベッドに寝転んで、また、ちいさく息を吐いた。夜に考えるのは良くない、今日は寝てしまおう。そんなとき、無言を貫いていたスマホがメッセージの受信を知らせる。確認して、飛び起きた。散らかった髪を整えながら、深く息を吸う。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開くと、今しがた思っていた彼が立っていて。

「…え、なに、轟くん」

「…おう」

暗い廊下に、細く明かりが落ちて、青と灰の目にわたしが映った。待ち望んでいたはずのそれに、僅かに強ばる身体。ちいさく短く言葉を交わし、招き入れる。鼻をくすぐる彼と、ほのかなシャンプーの香り。いつだったか、彼用に持ち込まれたクッションに腰を下ろした彼を横目に、静かに扉を閉めた。そして静かに、施錠も。ふたりだけの空間ができあがる。

「どうしたの、こんな時間に」

「ああ、昨日これ、忘れてったから」

彼のポケットから出てきた、まるまった充電器。そう言えば、忘れたような。お礼を言い受け取る。気付かなかった。教室で渡そうと思ってたんだけどな、と言う彼に、さすがにまずいでしょ、と失笑。彼の部屋にわたしの私物があったなんて、だれかに聞かれてしまったら勘違いしてしまうだろう。実際、そうなんだけれど。わたしたちの関係が、不明瞭なだけで。充電器をベッドに投げ、彼の横に腰を下ろす。

「言ってくれれば行ったのに」

「こんな時間に出歩かせられねえだろ」

「もう、なんでよ」

ここは寮で、同じ建物で生活しているのに。それがおかしくて、頬がゆるんだ。くすくすと笑って、横たわる。週半ば、時間も時間で、そろそろまぶたが重い。寝るとこだったか、という彼の問いに、まだ起きてるよ、と答えながらもまぶたを閉じる。ラグ越しのフローリングの硬さに、身体の節々が痛んだ。硬いフローリングに比べて、畳は良い。そのまま寝てしまえるし、い草の香りが心地よいから。度々足を運ぶ和室に思いを馳せていると、髪を撫でられた。ゆっくりと視線を上げる。透き通った青と灰と目が合って、沈黙。心臓が跳ねる。するりと、指が頬を撫でて。ああ。

「なまえ」

ああ、やっぱり。今日はそういう日。心はダメと叫びながら、それとは裏腹に身体は動く。いつもそう。わたしが彼の手を握ったら、それが合図。視線を絡めて、唇を合わせて、指を繋いで、肌を重ねて、呼吸を感じて、彼で満たされて。
この関係のはじまりはいつだったか。あの頃のわたしは何も知らなくて。熱をはらんだ瞳も、近くで感じる息遣いも、汗ばむ身体も、なにもかも。頭の片隅で考え込んでいると額に唇が落ちて、ちいさく音を立てて離れた。彼を見上げる。青と灰にはわたしだけが映っていて。いま、彼を独占しているという現状にこみ上げる、歓喜。彼の首に腕を回して、耳元に口を寄せる。

「しょうと」

「…ん」

「もっと、」

何も言わない彼を覗き込むと、見開かれたまるい目。やがてそれはゆるく細まる。まるで、いとおしむかのように。頬を撫でられ、囁くように呼ばれる名前に、満たされていく心。そのまま歓喜に酔いしれればよいものを、頭の片隅では虚しさを感じていて。満たされたはずの心に、また生まれる隙間。何度考えても、相変わらず彼の心は分からなくて。
今日みたいに肌を重ねるだけの関係なら、どれだけよかっただろう。いとおしげにわたしを映す瞳が、優しくわたしを呼ぶ声が、そっと抱き寄せる腕が、確かめるように重なる唇が、わたしをかき乱す。ふたりでゆるやかに過ごす時間も、たまに出かける休日も、通話中に眠ってしまう夜も、ふたりで目覚める朝も、まるで恋人かのような錯覚をさせるから。こうしてひとり考えて、胸が詰まる。この息のくるしさも、胸のくるしさも、あなたが教えてくれたもの。だけど、わたしが知りたいことはほかにあって。
朝、目が覚めたら、教えてほしい。わたしが望む答えではないかもしれないけど。変わらず何を思っているか分からない青と灰を見つめて、唇を強請った。



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