声に出して呼べないその名を、ただひたすら胸の内で、そっとずっと呼び続けている。


君の名前



一人窓際の席に腰掛け、どんよりと重い空を見上げる。今にも降りだしそうな、暗い空。今夜も雪が降るのだろうか。

見下ろした鈍色の景色の中に、よく映える銀灰を見つけた。降り積もる雪のように、ふわふわと靡く、銀灰。ああ、ああ。

「不知火、だ」

久しく口にした愛しいひとの名。目は、脳は、無意識のうちにその姿を捕らえる。薄く染まる頬、緩む口元、優しいひとみ。そのひとみが映すのは、我らのマドンナ。ああ、嗚呼。

息をとめた。鼓動がうるさくなって、腹の奥の奥を氷で貫かれたような不快感。遠くに見える彼が、更に遠く感じる。

いつからだろう、彼が当たり前にわたしの隣にいるようになったのは。いつからだろう、名前で呼び合うようになったのは。いつからだろう、彼を見ると胸が高鳴るようになったのは。いつからだろう、彼を想うようになったのは。いつからだろう、彼の隣を望むようになったのは。
いつからだろう、彼との距離が遠くなったのは。いつからだろう、彼を想うのが苦しくなったのは。いつからだろう、彼を名字で呼ぶようになったのは。いつからだろう、彼の隣にいるひとが、わたしではなくあの子になったのは。
いつからだろう。

特に理由らしい理由はなかったと思う。ただ、なんとなく。なんとなく心と身体がアンバランスに成長して、なんとなく男と女になって、なんとなく二人で過ごす時間が少なくなって、なんとなく話題が減って、なんとなく、一緒にいる理由がなくなって。
そう、なんとなく。なんて。ほんとは理由なんて分かりきっているのだけれど。
いつだっただろう、彼がわたしではないひとをそのひとみに映すようになったのは。いつか彼が話していた気がする。わたしは知らない、彼と彼女のきっかけ。

いつの間にか反芻思考。良くないことだと分かっていても止まらない。どうにもならない。ああ、くるしい。
口に出すのはきっと簡単。でも、どうやって彼の名を呼んでいたのか、もう思い出せない。

かずき。
かずき。
胸がいたい。
かずき。
もう一度呼ばせて。
かずき。
好き。
だいすき。
ねぇ、かずき。

「すき」

わたしからこぼれ落ちた二文字は、わたし以外の耳に入ることなく、溶けて消えた。

「和樹、すき」

ふと窓の外の彼が、わたしを見た気がした。だけどその優しいひとみに、わたしが映ることはもう一生ないのでしょう。
彼がわたしを呼ぶことは、きっともう、ないのでしょう。


声に出して呼べないその名を、ただひたすら胸の内で、そっとずっと呼び続けている。

ただ想うのは、こんなにも。
遠い遠い、たった一人のきみのこと。



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