walhalla/桐生院ヴァン


自分が寝息を立てているのに気が付いた。
ぼんやりと瞼を開くと、なんだか人の顔にも見えそうな不明瞭なシルエットが見えた。
「なんや起きてもうたん?」
抑揚の付いた言葉が、真上から落ちてくる。
「もうちょっと寝ててもええで?」
優しい声だと、ぼうっとした頭で思った。
大きな手が、ゆっくり頭に触れる。髪を梳かすように指を立てて撫でる、微かな無骨さが随分心地よいのだと思った。
再び重さを増した瞼に、抗うのをやめかけたとき、また声が落ちてくる。
「せやけどもうこんな時間や。さすがに起きへんと、夜寝られへんかもしれへんな」
重力に抗い瞼をもたげる。
ぼやけた視界に、強いオレンジ色の光が映った。
「…………」
は、と私が覚醒したのは、沈黙を数十秒耳にした後で、バッと起き上がった時に危うく頭をぶつけそうになった。
「うわっ、急やな! びっくりしたわー」
ソファで上半身を起こした姿勢で、私は目の前の窓を見た。
窓の外は夕焼け。部屋の中には西日が強く差し込み、家具の色を変え、濃い影も与えている。
「いっ……今何時ですか!?」
叫びながら振り向けば、可笑しそうに笑ったヴァンさんの顔があった。
「今もう5時過ぎやな。ニックネーム、3時間くらい寝とったで」
「ですよね、お昼ご飯食べた後……って3時間……?」
私はハッと動きを止める。
目の前のヴァンさんはソファに座っている。私は今起き上がった。起き上がる前にはヴァンさんの顔が頭上にあって。
「まさか3時間私……ヴァンさんの膝で寝てたんですか!?」
「そうそう、もうめっちゃ痛いわー痺れて動かへん」
「うそ、すみません!!」
勢いよく謝れば、ヴァンさんは声を上げて笑った。
「ははは! 冗談やって、全然何ともあらへん」
「そんなわけっ……3時間ですよ!?」
「ワイの体なめてもらったら困るわー! ニックネームを2、3時間膝枕するくらいの丈夫さはあるで! アンタのために鍛えとるようなもんやしな」
末尾の台詞には、微かにニュアンスが加わった気がした。
私は返事に詰まり、できたその隙をヴァンさんは見逃さない。
「せやから!」
腕を掴まれたと思うや否や、グイッとそのまま引っぱられた。
「もうちょいこのままおったらええやんか!」
「うわっ」
背中にも手を添えられ、抱かれるように私は再び横たわった。
視界は天井を映す。頭には少し硬いが、体温のある感触。
「…………」
「ははっ、たまにはこういう日もありや」
大きな手が、私の頭に触れる。眉や耳ごと大雑把に撫でられる。
ヴァンさんの膝の上に、自分の髪が広がっているのが見える。
不意に、はらりと一束頬を滑り、視界の端を遮った。
自分が手を伸ばすより早く、頬に太い指先が触れた。
思わず首を回して、そちらを見る。
「……ん? どないしたん?」
優しく見下ろす顔が見えた。指はゆっくりと私の髪を輪郭まで引いていく。
耳に掛ける時、耳輪をなぞるように指が触れていった。
「…………これ、」
私は体温が急上昇するのを自覚する。
「恥ずかしいです」
耐えられず顔を両手で覆ったので、言葉はくぐもった。
笑い声が聞こえる。
「恥ずかしいて! 3時間この格好で寝とったやんか!」
「寝てればいいですけど……! ダメですこれ!」
居ても立っても居られずに、上体を起こす。
「あかんあかん、逃がさへんで」
グッと後ろから片腕で抱えられる。
「うわっ、ちょっとっ」
そのまま後ろに倒され、私はまたヴァンさんを下から見上げる形になった。
「もうダメです、本当に恥ずかしいんですこれ」
「手退けてや、その顔恋人に見せへんかったら誰に見せるん?」
「もうやめてください、ヴァンさんも寝てみたらわかります! 交代してください!」
わーわー言えども結局手首は両方掴まれて、私は顔を背けるがそれにも限界がある。
「はははっ、耳まで真っ赤や。ニックネームの膝枕に誤魔化されたってもええけど、この顔見逃すんは惜しいわ」
頭上から降る声を、顔を背けきつく目を閉じて聞いていた。すると、ふと手首の拘束が外れる。
「アンタが甘えるんに、ワイの器量じゃ足りへん言うんやったら」
私は目を開ける。
「アンタが安心して飛び込んでこれる器になるまで、ワイは鍛えるまでや」
頬を大きな片手が包み込む。
顔が近くにある。私の上を黒い影が覆い、目の前の顔は半分強い色彩の光に照らされている。
「……ヴァンさ……」
最後まで言い終える前に、唇が合わさった。
ゆっくりと、時間をかけて離れると、影の中でヴァンさんは少し目を細めた。
「この、まま」
思い切って声にすると、ヴァンさんは珍しく笑みを止め、窺うような表情で言葉の続きを待った。
二人、真横からの強い光すら差し込まない至近距離を保って見つめ合う。
「この……距離なら恥ずかしく、ないかもしれません、逆に…………可笑しな事言ってます?」
ヴァンさんの眉がピクリと動いたので、私は思わず震えたような声になった。
暫く沈黙が流れた。
「……別に、可笑しないで。えらい可愛いこと言うなあ思って噛み締めとっただけや」
近い距離は、囁くような音の振動を生み出した。
影の中で紡がれた言葉に、追って重ねるようにキスが降りる。
見上げる瞳はただ私の瞳を映している。
すぐそばで聞く笑い声は、優しい響きを持ってしてその振動を鼓動へ伝えた。

「膝枕はええけど、せっかくセットした髪がぐちゃぐちゃにならへん?」
「もう夕方ですからいいんじゃないですか?」
「それもそやけどな」とヴァンさんは呟きながら、目を閉じた。
自分の膝元にヴァンさんの頭があるのは、なんだか妙な感じだ。体温を持つ重さは、ただ物を乗せるよりも心地良さがある。
「めっちゃ変な感じや」
ヴァンさんが呟く。
「寝心地悪いですか?」
「ちゃうちゃう! 寝心地はええけど、下からニックネーム見上げるんも、上から見下ろされるんも慣れてへんから違和感があるんや」
「ああそれは私もです」
ヴァンさんの軽快な声が、下から聞こえてくると変な感じだ。
「ちゅうか、ニックネームそないなとこに黒子ほくろあるんやなあ」
「えっ!? どこに!?」
私は思わず首の辺りを手で隠す。
「はははっ」
「どこですか!?」
「ええやん、膝枕の特権や」
「ヴァンさん!」
ヴァンさんは楽しそうに笑うだけだ。
「……アンタがそんな顔するんも、ここから見る景色も、ワイだけが知っとる事なんやったら、こんな嬉しい事はないな」
言葉と共に、下から腕が伸びてくる。
私の二の腕を掴んで引っ張る。少し前屈みに姿勢を落とすと、反対の手が後頭部に回りさらに引き寄せられた。
また暗い影が落ちて、唇が重なった。
ソファの座面の片側が沈む。ヴァンさんが体を半分起こしたらしく、さらに深く唇が合わさるようになった。
「愛してる」
耳元でそんな声がした。
日が落ちきって、部屋はゆっくりと夜を迎え入れていく。

『walhalla』Fin
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