愛してしまえばいいよ




『お前、嫌いアル。』

降り続く雨を眺めながら自分でも恥ずかしくなるくらいの愚考を延々と続けていた。静かに降る雨の『しとしと』の音も俺の湿り気に堪えきれず思わず『じとじと』に音を変えてしまうくらいの、情けない憂鬱な思考だった。
嫌いだのうざいだのそれより上位の消えろ、最上位の死ねまで軽々しく言葉を吐いてきた俺だからこそこのような思考を抱くこと自体奇妙というより気分的には気持ち悪いに近い。

誤解を避ける為の辯明として、俺は人並みに人の心というものをもっている。勿論人間だからな。ショックだって受けるし悲しみもする。それができない時点でそいつは人間じゃない間違いない…かは別として俺にはそのような基本的な感情は当然の如く備わっているのだ。
ただ特筆することがあるとすれば、それら諸感情の発現率が著しく常人よりも低いということだろうか。というよりそれら諸感情が露わになって情けない呈になることが嫌いなのだ。理由?他人に弱さをさらけ出しその結果他人にペースを乱されるのが嫌いだからだ。つまりそういった感情を意識的にあまり抱かないようにしてる訳だ。
ならば何故そんな俺がしみったれた思考を続けているかというと俺が常々意識的に抑制しているショックメーターの針をあいつがいとも簡単に振り切りやがったからだ。


『お前から血の匂いがするネ。昨日討ち入りでもあったアルカ?』

公園で口喧嘩が取っ組み合いの喧嘩に発展することは珍しくない。昨日のそれもいつもとは変わらないものだったが一通り終わった後で言われた言葉。
しっかり落としたのにそれでも残る微かな血の匂いに気づく当たり流石に嗅覚がいい。確か傭兵部族の夜兎だとか花見の時に聞いたが間違いではないらしい。

『攘夷党のアジト一個潰したんでィ。そりゃ臭いも残ってるかもねえなァ』

『まぁ何人死のうが知らんこっちゃねェよ。俺はただ、斬るだけだからな』

皮肉っぽく言ってやった。お前も当然知ってるだろ?、この感触を。戦闘種族の癖して掴み合いの喧嘩はする癖に血を流す闘いと言ったものに敏感なコイツに常々疑問を抱いていたから少なからず挑発的な好奇心があったのだ。お前もそうだろ?、と。

『お前、もう何人殺しても何も感じないのカ?』

『気にしてちゃやってらんねェ。こっちがやられちまうだけでさァ。……まあ、こんなご時世にまだ攘夷だなんて夢みてる野郎のことなんざすぐ忘れらァ』

『過去の英雄も今じゃテロリスト。連中は過去の遺物以外の何者でもねェだろ』

こんな時世だ。もうこの国は天人に食いものにされて侍の国などと呼ばれて久しく、侍を名乗れば廃刀令で風あたりは厳しい。俺にも侍として信念があるからまげられねえもんが攘夷にもあるのはわかる。だがそんなものはもう通用しない。連中は分かったほうがいい。連中がいる限り俺は俺の責務に従って斬るだけだ。感情もなく、ただ相手を肉塊にすることを考えて。


『気に入らないネお前』

『は?』

チャイナ娘は俺をキッと睨んだ。それは喧嘩中にも見たことのない表情で、冗談ではなく真剣だった。

『お前、嫌いアル』

番傘の下から軽蔑にも似た顔で俺を一瞥するとチャイナはそのままいなくなった。
俺はといえばその場で柄にもなく呆けていた。お前嫌いアル、お前嫌いアル、お前嫌いアル。チャイナの言葉が残響のように残った。

『……なんでィ、あのクソガキ。急に神妙になったかと思えば勝手なことばっか言いやがって。気に入らねえガキでさァ…』


愚痴をそれとなく並べてみたものの俺の中で「お前嫌いアル」は相当の破壊力を持っていたらしい。それからどうにもあのガキのセリフが頭から離れないない。頭の中で繰り返されるたびにノックアウトされたような不思議な感覚に襲われる。こんな感情は初めてだった。でも俺はこの感情が何であるかがわからない程に鈍感でも阿呆でもない。姉上の、そういった感情が大嫌いな上司に向けられていたことを目の当たりにしたこともある。

大体なんであんなバカチャイナに心かき乱されなきゃならねえんだ。姉弟揃って異性のタイプには癖があるらしい。有り得ないと一蹴しても現実はそれを跳ね返す。
この不調を治すには要するにこの気持ちを認めればいい訳だ。

「気にいらねえ…」

雨に向かって呟いた。この呟きがアイツにも聞こえてればいいのに。聞こえていれば顔を膨らませて怒るだろうか、それともこの前のような侮蔑の表情を向けるだろうか。後者は勘弁してもらいたいかもしれない。




悔しいがどうやら俺はアイツが好きらしい。それもひとりの女として。




雨音が急に耳障りでなくなったのは心に余裕が出た証だろうか。これを認めるのにいくらか時間を要したが認めればこんなに楽だったのか。

愚考を終えて思う。
あいつになら多少狂わされるのも悪くないかもしれない。ただやられっぱなしも性に合わない。上司を弄ぶ以外にできた新たな‘楽しみ’についにやりとしてしまう俺はやっぱりあの小生意気な少女が好きらしい。



あとがきっていうかただの妄想語り