花冠




春を迎えた江戸の街。さわさわと心地よい風が桜を、花々を揺らしている。公園にさしかかりあちこちに咲いた花を見て神楽はずっと昔のことを思い出していた。

一年中じめじめとした貧しい土地にはわずかな乾期にならないと花は咲かない。そうして咲いた花も僅かで貧しかった。
故郷に咲く花のように弱々しい病身の母はその日珍しく父親との思い出を話してくれた。

『私がまだあの人と付き合ってたときはデートでよく花畑に行ったのよ。貧しい土地が多かったから珍しかったのね。綺麗な花をあつめて花冠を作ったりして……あの人もまだ髪があったから髪に花を散りばめたりしてからかったして…』

いつもは父親とどうでもいいことで喧嘩したり『倦怠期なのヨ』と言っていた父との思い出を子供のように話す母が印象的だった。

『神威がお腹にいるってわかったあとにね、結婚することになったけど…そのすぐ後に些細なことで喧嘩しちゃって、あの人はああいう性格だから絶対に謝らないでしょ。私だって絶対謝りたくないから喧嘩状態がしばらく続いてね』

『気を紛らわせようと思って仕事したけどお腹の子供のことを考えると不安でしょうがなかった。そしたらね、あの人急に花畑に来いっていうのよ。何を今更、と思って行ったら何も言わずに花冠を渡してきたの。…花冠と言えないくらいぐちゃぐちゃで不器用なもので…だけど嬉しかった…その時「悪かった。お前もガキも絶対幸せにする。だから結婚してくれ」って。あの時はこれ以上はないってくらいに幸せだったわ』

『だからネ、私にとって花冠は特別なの』

子供心に母親にとっての特別が自分にとっても特別になった気がした。おんぶして貰いながら花冠が欲しいと一度兄に言ったら「今の時期はちょっと無理だね」兄は小さくごめんヨと呟いた。雨がじとじと降り続く中で私は精一杯ごねていた。

その兄がある日綺麗な花冠を一つくれた。
『父さんの仕事についていった先に花畑があってサ。父さんに作り方教えてもらって作ったんだ。でも父さんよりは上手いと思うよ』

優しく笑う兄と綺麗な花冠。おひめさまってどういうのかわからないけどおひめさまみたいって母は言ってくれた――



「っていう泣ける話があってだナ…」

「なんでィ。俺に作れってか。感動の押し売りなんて御免でさァ」

「べ別に違うアル。ただ花見たら思い出したのヨ。あのバカ兄貴もそんな時代があったなって。それにかわいい彼女の過去話ヨ、興味あるダロ?」

「別に。俺は俺の目の前にいる今のお前にしか興味ねえからな」

なかなかの胸きゅんワードを言われたと思うのに素直に喜べないのは大切な「花冠」の記憶に対する秤の相手を間違えただけだ。それだけあの記憶は神楽にとって特別なものだったのだ。

「気に入らねえなァ。そんなに兄貴との思い出が大事ってか」

沈黙した神楽を見て目の前の男が静かに言った。いつもは無表情なくせにこいつは案外大切なものに対しては感情をむきだしにする奴だと思う。自惚れてるわけではないが数少ないその中のひとつに自分も入っているということは嬉しいことだ。

「今はあんなでも昔はいい奴だったアル。いまさら戻ってくれなんてダサいこと思わないけど、これだけは大切にしたいのヨ、たとえ相手がお前でもナ」

「・・・あァそーかい。彼氏の面目なんてありゃしねえな。俺ァ巡回が残ってるから帰らァ」

手をひらひらさせながら足早に去っていく沖田を見つめながらなんだかさびしくなった。いつもは巡回なんてろくにやってない癖に。壊れた兄の記憶にしがみつく女に呆れただろうか。喧嘩して怒らせることはしょっちゅうだけれど沖田がこんなふうに怒るのを見たのは初めてだった。でもこればかりは譲るつもりはない。ないのだ。ほら、初恋の相手は兄だとかいうではないか。自分がそうだったというわけではないが、人一倍嫉妬深い沖田の前で兄の記憶に固執する姿勢を見せることに対する言い訳を探した。だけれど、今私の中で一番大切なのは悔しいけどアイツで。そいつが半ば呆れたように去っていった後の漠然とした寂しさに私は動けずにいた。

「チャイナァ!!!!」

突如発せられた怒号のような大声にしばらくうずくまっていた神楽はびくりとした。声の主はずかずかと神楽に向かって歩をすすめる。

「……ほらよ」

ぶっきらぼうに差し出されたのはそれは見事な花冠だった。たんぽぽの黄色、シロツメグサの白、オオイヌノフグリの紫、ホトケノグサのピンク、そしてクローバーの緑。束ねられたそれらは見事に一つの輪になっている。

「どうしたアルか、コレ…」

「…作った」
「完成度高すぎアル。こんな短時間でお前なんかに作れるハズないだロ」

「俺ァ器用なんでィ、これくらい作るのは造作もねェよ。姉上が昔作ってるの見て作り方は知ってたからな」

そういって沖田は少し得意げな顔をする。子どもばかりが集まる公園でいそいそと花冠を作る沖田を想像するとなんだか笑えてきた。それと同時に無性に愛おしい。沖田の手の痕跡を辿るように手の中の花冠を優しく撫ぜた。

『ちょっと目を瞑っててネ、』
「ほら、ちょっとかしてみろ、」

ぶっきらぼうで、でも柔らかな手付きで花冠を取ると頭にふわりと載せてくれた。

『お姫さまみたいだよ、神楽。』
「馬子にも衣装ってか?」

悪戯っぽく笑うその顔が、かつての兄のそれと重なった。

「…一言余計ネ。嬉しくない訳ないダローガ」

「素直に喜べねーのか。でもまあ、お前のヤサシカッタ兄貴と並ぼうなんざ思ってねえけど、」
「これも、お前の中の特別にしてくれりゃ俺はそれでいい。」

あの幼い頃の歓びがよみがえった。私の中で大切な"花冠" がまた新しく作られる。優しかった兄の面影を追って幼い頃のやさしい記憶に余計に固執していたかもしれない。

「ありがと、そうご」

思い出が現実に為ってまた大切な思い出になる。

「どーいたしまして。…まあなんだ、馬子にも衣装なんつったが可愛いぜ」
「神楽さま、お手をどうぞ」

普段はすかしている癖にこいつは時にすごいことをする。考えつかなかった、出来もしないようなことをやってのけてしまう。とっておきの思い出もその不器用なやさしさで上書きしてしまう。私の、今、目の前にいるのはこの男なのだ。私はこれからはこいつとの思い出をもっと大切にしようと思う。ふわり、花冠が風に揺れた。