バクマン。 | ナノ


肯う/平吉

 吉田氏、限界です。休みを、休みをください。
 ガリガリとペンで紙を削りインクを流し込む。締め切りまではまだ時間に余裕のある木曜日、背後のソファーで優雅に珈琲を飲んでいる担当に息も絶え絶え訴える。
 しかし当の吉田氏は聞いているのかいないのか、うんともああともつかない返事を寄越す。いつも僕が休みのやの字でも口にしようものなら、ありとあらゆる手段を駆使して阻止しようとしてくる癖に、今日はそうではないらしい。ついに吉田氏も僕の休みを認める気になったのか、はたまた何か別の考えがあるのかは定かではないが、もう少し押せば不可能ではないような気がした。
「吉田氏、僕は思うのですが、ラッコ11号も既にそれなりの人気作。アニメ化だってしてますし、そろそろ一息入れてもバチは当たらないと思いますよ? だいたい、他の諸先生方だって時々休載しているじゃあありませんか。僕だって知ってるんですよ。目次の所に“作者都合のため休載”っていう字が載っているのを」
 云々。僕の口は今までのどんな時よりも滑らかに動いた。ただ気持ちが焦るあまり少々早口ではあったが。僕は息を整え続ける。
「それにほら、読者だって一週くらい休んだところで何も言いますまい。もしかしたら一週間が空いた分読者の期待も高まるのではないでしょうか」
 ねえ吉田氏?
 僕が喋っている間中、ずっと覇気のない返事をしていた担当を振り返る。これだけ一週くらい休載したって大丈夫説を唱えたのだから検討くらいはしてくれるだろう。
 そんな期待を込めてみた吉田氏は、腕を組みソファーの背にもたれるようにして座っていた。俯いているために髪の毛で隠れて表情が全く見えない上、こちらを見ようともしない。それどころか首は前後にぐらぐら揺れていてどうにも様子がおかしいのだ。
 僕は椅子から降りると体制を低くして這うように吉田氏の所へ行った。別に怖かったとかそう言うのではない。断じて。
 顔を覗き込めば、目は閉じていて――まあいつも開いているんだか閉じているんだかよくわからないけれど――普段眉間に寄っている皺がとれて幾分か幼く見える。呼吸もいつものそれとは違い、深く長い。
 つまり、寝ている。
「…………」
 僕は脱力した。でろんと床に這い蹲り、先ほどの僕の素晴らしい演説はなんだったのだろうかと項垂れる。恨めしく、吉田氏を見上げれば、実に幸せそうに眠っている。腹立たしいほどに、だ。
 僕は起き上がり、彼の足の間で正座をする。吉田氏、と声をかけてももう返事は返ってこず、ただ首がこっくりこっくりするだけ。何でアンタが寝ているんだよとか、眠いなら家に帰れば良かったじゃないかとか思いながらも彼を起こす気にはならず、僕は吉田氏を起こさないように小さな声で話しかける。
「ねえ吉田氏、聞いてましたか?」
 こくり。
「吉田氏、休載しても良いですよね?」
 こくり。
「吉田氏」
 こくり。
「…………」
 こくりこくりと、僕が言うこと全てに首肯する彼に違和感を覚えるよりも、それに対する喜びが勝る。いつもこれくらい素直ならば可愛げがあるのに、と彼と比べれば何十倍も素直で可愛げのある僕はさっきより少し顔を近づけまた彼に話しかける。今の吉田氏は僕の言うことなど全く聞いちゃいないのだ。
「吉田氏、好きです」
 こくり。
「吉田氏、キスしても良いですか?」
 僕は腰を浮かせ、首を伸ばす。唇の位置を確認してからそっと目を閉じた。一センチにも満たない距離を詰めるのに一秒もかからないはずなのに、何十分もかかっているような気がした。少しだけ、触れる。
 ――ごちん!
「……っ!?」「あ痛っ!?」
 目の中に星が散るほどの衝撃に、僕は額を押さえて絨毯の上を転がった。何が起こったのか全くわからない。ただひたすらに痛い。見ると吉田氏も両手で額を押さえていた。多分彼も何が起こったのかをわかっていない。いや、そうでなくては僕が困る。
 吉田氏は額に右手を当てながら、足下に転がる僕を見て言った。
「……俺、寝てた……?」
「……ええ、そりゃもうぐっすり」
 そう、と言って右目をこすり、一つ大きな欠伸をした。
 僕は痛む額をさすりながら立ち上がる。椅子に腰掛け作業机に向かい、頭を抱えて言う。
「吉田氏、ここは一度休載しましょう」
「だめ」
「でしょうね」
 もしかして打ち所が悪かったのではないかと心配する吉田氏を他所に、僕はまた紙を削り始めた。


prev / back / next

zatsu。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -