おめでとうの気持ち




その日、午後。

屋敷で一息ついていたシャルティエの携帯電話に、突如、彼の主から着信があった。


本来なら昼休み後の授業がある時間帯だ。

ひょっとして、何かあったのだろうか。

緊急事態を想定して、シャルティエは素早く携帯を耳に押し当て、通話ボタンを押した。




『シャル、どうすればいい……?』




もしもしと言う前に、切羽詰った主の声が耳に届く。

らしくもなく弱った声に目を丸くして、「坊ちゃん…?」と零してしまったものの

シャルティエはすぐに表情を引き締めた。これはやはり、只事ではないらしい。




「何かあったんですか? 今、学校ですよね?」

『学校だ。ついさっき、昼休みに初めて聞いて、今からじゃどうすればいいか、分からなくて』

「落ち着いてください。誰から、何を聞いたんですか?」

『……クラトス、から…』




クラトス。

聞き覚えのある名に、鳶色頭の、綺麗な青年が頭に浮かぶ。

最近、坊ちゃんの口からよく名を聞く人だ。

学校の先輩にあたる人で、あの坊ちゃんがとても懐いているものだから、印象に残っている。

何度か言葉を交わしたこともあるが、誠実そうで落ち着いた物腰の人だった。


まさかと思う。

彼が、坊ちゃんを追い詰めるようなことを言うなんて――――




『今日が、誕生日だ、って』




――――…うん?




「誕生日……ですか?」

『ああ』

「……誰の?」

『クラトスのに決まっているだろう!』




反応の鈍い僕に、坊ちゃんが苛立ったような声を上げる。

理不尽にも思えるその対応も、いい加減慣れたもので

同様に、なんか、坊ちゃんが言わんとしていることも分かってしまった。


つまり、だ。


日頃、他人の誕生日など一切興味を示さない坊ちゃんだけど、クラトスは特別で

嬉しいことに"祝ってやりたい"と思ったらしい。多分、初めて。

が、当日、いきなり今日だと知って、当然何の準備も出来ていなくて

半日過ぎた今からでも、と思うものの、準備する時間も少ないし、何をどうしていいやら。

焦って、心底困って、わざわざ僕に相談してきたというのだから、相当だ。




「……坊ちゃん。ちなみに、授業は」

『こんな時に呑気に授業など受けられるか!』




つまり、現在進行形でサボってるんですね。

声には出さず、相変わらず大胆なことをする主にこっそり嘆息する。


これで成績は優秀だから、主が苦手なお父上から、今の所さしたるお咎めはないけれど

こういうアレな行動を黙っておいてやる自分の功労も、なかなか大きいのではないかと思うのだ。













    おめでとうの気持ち













「……足りた、か?」

「十二分に。食事もケーキも、とても美味しかった」




あの後、結局、思わず頼ってしまったシャルの

『じゃあ、今晩はうちで御馳走したらどうですか?』という案に乗ることにした。

『一人暮らしなら、食事の手間が省けるだけでも喜ばれると思いますよ』と言うのはよく分からなかったが

実際、クラトスは「一人暮らしだから」とケーキも買わないつもりだったようだし

料理も特別豪勢にするつもりは無かったようだから、あながち間違いでも無かったのだろう。


で、夕食に誘うついでに、泊まっていけと言い出したのは僕だ。

残り少ないこの日を、一分一秒でも長く共に過ごしたいし、都合よく明日は休みだし。

最初、クラトスは物凄く恐縮していたが、今回は僕の粘り勝ち。

手を握り、「どうしても、駄目か?」なんてしおらしくするとクラトスは弱いらしい。(最近知ったことだ)


そう言えば、クラトスの方から泊まりに来るのは初めてかもしれない。

僕が上がり込むのが常で、あの整理整頓が行き届いた部屋も好きだけど

今回はクラトスを祝うことこそが目的なのだ。押し掛けてしまっては意味が無い。


普段世話になっている分、精一杯もてなそう。

そんな、柄にも無いことを思ってみたりして。




「―――…リオンみたいだ」

「ん?」




ぽつりと聞こえた独り言に、思わず聞き返す。

一度、用意させた客室に案内した後、まだ眠るには早いからと理由を付けて、2人で僕の部屋に来ていた。

遠慮がちに寝台の端へ腰を下ろしたクラトスが、部屋の家具をぼんやり眺めながら

「派手ではなく、どれも落ち着いた品があるから、尚更質の高さが分かる」と言う。

……?

つまり、何が言いたいんだ。 ……よく、分からないな。




「有難う」

「……え?」

「誕生日祝いの礼を、まだ言っていなかった」




思い出したように不意に僕を見て、柔らかく微笑むクラトスに面食らった。

礼なんて要らないのに。相変わらず、律儀な奴だ。

あんなもの急ごしらえだし、食事くらいいつでも誘うし、それに、だって。




「……僕は何もしていない」

「? 食事を振舞ってくれたではないか」

「僕が作ったんじゃない。礼ならシェフに言え」

「それも勿論だが……食事も、部屋も、そもそもはリオンのお陰だろう?」

「確かに命じたのは僕だが、どれも僕の力じゃない。

 本当は、僕がちゃんと祝ってやりたかったのに……クラトスが前もって言わない所為で……!」




ふつふつと、焦れったい不服を抱えたままでいたら

結局、昼休みに散々ぶつけた文句に、また舞い戻ってしまった。

慌てて口を噤む。

きょとんと首を傾げるクラトスに、改めて文句を言ってやりたくなったけれど、……我慢だ。


せっかくの誕生日。

祝ってやりたい気持ちに偽りは無いのに、怒っているばかりではどうしようもない。




「……欲しいものを言え」

「え?」

「僕からも祝ってやる。物でも、して欲しいことでも、何でもいい。言え」

「い、いや、もう既に、食事も御馳走になっているし」

「一つじゃなくていい。今日、クラトスが望むものは、僕が全て叶えてやることにした」

「は……? 何を、言って」

「そのくらいさせろ! でないと、僕の気が済まない」




いつの間にか、目的がすり替わっている気がしないでもないが、この際どうでもいい。

綿密に計画できなかった分、質は落ちてしまうというなら、数で補ってやる。だから。

今日の残り僅かな時間。全部、クラトスの言う事を聞く。全部、クラトスにあげる。

真顔でそう言い切れば、クラトスは唖然と僕を見た。


「クラトス」。

せがむように呼べば、少し困った顔で口を開く。




「また、凄いことを言い出して……後悔しても知らぬぞ」

「相手がクラトスだから言うんだ」

「ッ…だ、だから、そういうことを……」

「何でも言ってくれ、クラトス」




身を乗り出して、答えを待つ。

本当に、どんな答えだって叶えてやるんだと意気込んでいた。

服、家具、食べ物、住居。ペット、……は、構って貰えなくなりそうで嫌だけど。

色んなものを頭に描きながら、じっとクラトスを見つめていれば

困り顔だったクラトスはやがて、ふと、何か思い付いたように口を開いた。




「では……リオンが使っている、シャープペンシルが欲しい」




…………シャープ、ペンシル?


思いがけない答えにぽかんとしていると、「今、あるか?」と尋ねられた。

戸惑いながらも、取り合えず、通学鞄の中から取り出した筆箱ごと、手渡す。

最低限のものくらいしか入れていないそれを探り、クラトスは「ああ、これだ」と一本取り出した。

その手には、最近よく使う、特注でも何でもない、市販のシャープペンシル。


思わず「……そんなものが、いいのか?」と問えば、クラトスは

「以前、一緒に勉強をした時に見て、好きなデザインだと思っていたのだ」と頷いた。

そう、なのか。だったら、その時に言ってくれれば良かったのに。

どうも肩透かしを喰らったような気分で、こう、思い描いていた満足感は感じられないままだ。


だが、ともかく。

クラトスが、それを欲しいと言うなら。




「じゃあ、すぐに同じものを準備」

「いや、これでいい」




言い掛けた台詞は、またも思いがけない言葉に遮られる。

目を丸くして見れば、クラトスは

白く、綺麗な手で、そのシャープペンシルを握りながら、「これがいい」と繰り返した。


ドキリ。

何故か、鼓動が跳ねる。




「……駄目か?」

「あ、いや、クラトスがそれでいいなら、幾らでもやるけど」




僕も、クラトスの「駄目か?」に弱いらしい。

本当に、新品でもないシャープペンシルなんかでいいのか。

口にしかけた確認も、「有難う」なんて、嬉しそうな微笑に阻まれてしまった。

いつまで経っても、僕はこの笑顔に弱くて

照れ臭そうに頬を染めていたり、大事そうに僕のペン(もうクラトスの、か)を握っていたり

そういう姿を見るだけでも、何も言えなくなってしまう。


……何だか、狡い。

僕の弱点の方がずっと多いし。僕が思っていた展開とも、全然違う。




「………クラトス」




悔しさとか、照れ臭さとか、込み上げるような嬉しさとか、愛しさとか。

僕を掻き乱す全てを誤魔化すように俯いて、ぽすりとクラトスの肩に頭を預ける。

「ん?」と応じてくれる声が、わざとじゃないかと疑うくらい優しいものだったから(僕はこれにも弱い)

ついでに、ぎゅう、と抱き締めてやった。




「今晩、客室で休みたいか?」

「え?」

「別に、無理に客室を使わなくてもいいんだぞ」

「……リオン?」

「寝台は一つしかないが……クラトスが言うなら、僕の部屋で、一緒に眠ってやっても構わない」

「………」

「クラトスが言うなら、だけど」




今日、クラトスの言うことは叶えてやる。そう言い出したのは僕だから。

あくまで選択肢の一つとして言うだけで、最終決定はクラトスがすることになる。

なんて説明しながら、抱き締める腕の力は益々強くなっているのは、僕の意志とは関係無いこととして。


「どうする?」と問いかける。

フ、と耳元を擽った吐息は、僕の本音などお見通しみたいだった。




「お前が構わないなら……この部屋で、共に休ませてもらいたい」




「この屋敷は何処も緊張するが、リオンが居てくれれば安心できる」と言うのは、本音か冗談か。

僕を気遣ってくれた建前かもしれない。冷静に、そう線を引く一方で、単純に舞い上がる心が煩わしかった。

ああもう。やはり、狡い。

わざと、苦しいくらいに抱き締めて、八つ当たりをする。




「……キスしろと言え」

「……は?」

「いいから言え」




キスしたいのは僕の方。

でも、繰り返すが、今の時間、最終決定はクラトスがすることになるから、だから。

最早これは僕が命令していることになるのかもしれないとは考えず、あくまでその形に拘ってせがむ。

と。




「命じなければ……して、くれないのか……?」




………駄目だ。

今日は、格好付けようとすればするほど、何処までも空回る。

そして、寧ろクラトスに掻き回されて、結局。






「――――…おめでとう」






我慢出来ずに口付けるのも、気の利いた言い回しも出来ずに伝えるのも、普段通りの僕だ。

それは少しも特別なんかじゃなくて、僕が思い描いていた祝い方でもなくて

なのに、クラトスは、嬉しそうに笑いかけてくれるから。


それ以上、気取ることも出来なくなってしまって、ただ「大好きだ」と囁き、もう一度唇を重ねた。



………………………………
「半熟ヒロイズム」を運営されております総夜さまが、当方の誕生日を素敵なリオクラでお祝いしてくださいました…!
シャルティエの助言のグッジョブ! っぷりと、坊ちゃんとクラトスの双方の愛情にニヤニヤが止まりません。
坊ちゃんの使用していたシャーペンを欲しがるクラトスさんが可愛らしすぎます…!

今年の誕生日は、とても沢山の幸せを頂きました! 本当に有難うございます!






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -