休みの日



※主人公視点。

 こう言ってしまうとまた、この船内のしっかりとした性格の者たちに叱られてしまいそうではあるが、まるで生まれたばかりであるかのように物事の多くを知らぬ彼女にとって、依頼を請け負うということは遊びの一環であるように思えた。
 勿論そうでないことは理解しているつもりであるし、そうとは到底言えないような哀しい依頼もある。ただ、例えば、何らかを採取してきてほしい、或いは何々を何匹討伐してきてほしい、など―――そういった内容のものは、彼女にとって半ば遊びの延長線であることが多かった。疲労や苦痛を感じることは少ない。何処へ行き、何をしても、彼女にとってはその全てが目新しく、きらびやかだった。
 それだからだろうか。彼女はあまり休日をとりたがらない。放っておけばいつまでも依頼を請け負い続ける。神聖そうな外見とは裏腹のアンジェですら、働きづめ、というか自ら望んで働きづめになっている彼女の体調を気にし始めた頃。
 見かねたリフィルとアニーが半ば強制的に、彼女に五日ほどの休日を取らせたのだ。
 今日はその三日目である。

 どうにも慣れれそうにもない"暇な時間"を、船内をぶらぶらと歩き回ることでつぶす。満腹な昼過ぎは、じっとしていればうっかりそのまま寝入ってしまいそうなほどに穏やかで、けれども流石に何もしないままそれはどうなのかと、彼女の脳裏は不慣れな現状にぐるぐると回り続けている。常日頃から家事などで忙しそうな人たち(と一匹)に手伝うと申し出てみても、裏で色々と先手が打たれでもしているのか、ことごとく却下された。
 仕方がないのだから大人しく自分の部屋に戻ろうと思うのだが、それすら気乗りしない、というか落ち着かないで、結局のところ意味もなく船内を彷徨い続けていた。
「なあ、クラトス! 一緒に稽古しないか?」
 そんな彼女の耳に、ふいに明るい声が飛び込んでくる。それがどうやら目前の、廊下の角を曲がった先から聞こえてくるものらしいことに気付き、彼女はその角から顔だけをひょっこりと出し、声の出所を覗き見た。
 其処にはロイドと、クラトスがいる。彼女が請け負った依頼に同行することの多い(実際は彼女が半ば強引に連れまわしているのである)彼らも、今日は休みを取っているようだ。
 にこにこと笑うロイドの両手には二本の木刀。クラトスの表情は彼の長い前髪に隠されて見えないが、何らかをロイドに言っているようだ。低い声質だというのも関係するのか、何を言っているかまでは聞き取れない。
「よし! じゃー、準備してから甲板な!」
 聞き取れはしなかったが、どうやらクラトスはロイドの誘いに応じたようだ。ロイドは嬉しそうな様子をちっとも隠そうとしないで、傍から見れば完全に不審者と化している彼女にもよく聞こえる声で言葉を紡ぎ、そうと思いきやあっという間に向こう側へと駆けて行ってしまう。
 ………ロイドが走っていった先が真逆側で良かったな、でなけりゃ見つかってた。ぼんやりそう考えながら彼女は、消えていくロイドの後ろ姿を静かに見ていたクラトスを眺める。はあ、と、彼が静かにため息をついた。

 やがてクラトスもまた、ロイドが去っていった方向へと歩み出す。それをじっと見届けた彼女は、敢えて彼らを追おうとはせずに、自分が来た道を戻ろうと、身体をくるりと翻した。
 やることがない何もないと無意味な暇つぶしをし続けること三日目、感激してしまうような収穫があったことに胸は高鳴る。そうかそうか、やることが何もないわけではないのだ、それに気付けた。機嫌を良くした彼女は道具屋へと向かう。船内備え付けの其処には武器でも防具でも何でも揃っている。ロイドを真似してみようと、そう考えていた。
「…あ。おーい、リオ……」
 目的の場から出てくる人影。それが誰かをすぐさまに理解した彼女が、彼を呼ぶ。けれども発した声は中途半端に途切れ、近寄ろうとした足も、振ろうとした片腕も、何もかもが石のようにかちりと固まった。
 彼―――リオンはどうやら彼女に気がついていないらしい。というより、眼中に無いというべきか。顔は俯き気味で、表情も見えない。リオンは一度も彼女を見ないまま、硬直した彼女の横を通り過ぎていく。
 静まり返った空間に、カツンカツンと靴音だけが鳴っている。それは大して長いものではなかったのかもしれないが、彼女にとっては永遠のようだった。
 リオンの気配が完全に消え失せてしまってから、彼女は漸く石化から解放される。
 全身の力がガクリと抜け落ちるのを感じつつ深呼吸を繰り返した。
「………殺されるかと…」
 完全なる独り言と共にため息が零れ落ちる。休日の、しかも船内で、こんな恐怖に見舞われるとは思ってもみなかった。思えばあまり機嫌が良いと言える瞬間に出くわしたことはないものの、リオンがあそこまで不機嫌だというのもとても珍しい。一体何があったというのか、問えるものならば問うてみたい。そうは思っても、実行するほどの勇気はもてなかった。下手をすれば後二日の休日が、七日ほど延びてしまうかもしれない。
 ――まあ、気難しい子だから。本人が聞けばまた怒りを買いそうな台詞を胸の内で呟きつつ、よく分かりもしないまま適当な理由をつけて自己解決をした。

 木刀を片手に握りしめた彼女は、甲板へと向かって再び歩み出した。稽古をするという二人に加わらせてもらおうという考えだ。断られたときの想定はしていない。あの二人ならば断られることもないだろうし、仮にそうなったとしてもその時に考えればいい。彼女は常にそうした思考回路の元で行動している。
 階段を上り、甲板に出た。視界一面に青が広がる。遠い空からの日差しの眩しさに目を細めながら、見覚えのある人影を見つけて近寄る。
 ―――そして彼女は、またぴたりと足を止めた。
「ふん、もういいだろう。次は僕の番だ」
「そんなの誰が決めたんだよ! もっかい俺がやる!」
「今のお前がどれだけ挑もうとそいつには勝てないだろう。黙ってそこで見学でもしていろ」
 ロイドとリオンが口論を続ける傍らで、クラトスが何とも微妙な顔をして立ち竦んでいる。困惑した、それでいて色々と言いたいことがあるかのように感じられる表情。クラトスはその整った顔立ちが勿体無いほど無愛想で、殆どの場合、無表情でいる。何事にも動じぬ冷静さも相俟って、ひどく冷徹な人間だと思われがちのようだが、実のところ彼は心やさしく、遠慮深いところがある。激しさを増す一方の二人を上手く止められないでいるにも、そんな性格が徒となっているのだろう。ただ単の喧嘩ならば問答無用で黙らせられるだろうが、そうでないとするならば、ある意味仕方がないのかもしれない。
「ッ……二人とも、もう止せ。そこまで稽古に力をいれたいのならば、二人で、」
 "断る" "お断りだぜ!"と、すかさず二人の声が上がった。互いに、クラトスとでなければ意味がないのだと言い、やっとのことで口にした言葉すらも容易に遮られてしまったクラトスは最早、呆れ返って声も出ない様子だ。
 こうして居合わせたのだし、何か出来るわけではないけれど、助けようとはするべきだろうか。ぼんやりとそう考えつつも彼女は、自分でもきっと止められないだろうと思い直した。
 それに、二人の気持ちだって、わからなくはない。
 この時間帯に船にいるということは三人とも休日なのだろうし、恐らくその休日を、自分の気に入った人と過ごしていたいのだろう。彼女とてそうした発想はある。今の今まで、暇だ暇だと言いつつもそれを実行しようとしていなかったのが不思議なほどだった。
(クラトスは鈍感だなあ)
 二人が何故、口論してまでクラトスと共に稽古をしたいと言うのか、その理由を彼は全く理解していないのだろう。はたしてそれに気付くのは何時になることやら。
 階段を下りて船内へと戻った彼女は、歩みながら片手に握る木刀を軽く振るう。彼女にとって休日とは、何もやることのない暇な時間だった。けれどもその価値観は移ろいつつある。
 休日でしか見れない一面、光景を、この目ではっきりと見た。そんな気がした。なるほど、休日も案外悪くはないかもしれない。そう思えた彼女は、とてもご機嫌だ。



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