与え欲する
我ながら意地が悪い。その自覚はあった。
いっそかわいそうなほどに赤面し、固まってしまっている愛しい人をにやにやと眺めている。
ユーリは決して、からかってやろうとしたわけではないのだ。最初のうちは、ただただ、感情を素直に表に出してみただけだった。……そう、最初のうちは。
――ふと気付いたのだ。クラトスは愛情表現というものをなかなかしてくれない。ユーリにとって彼は結構な努力をした末にようやく手に入れられた恋人で、だからこそ其れがなんだか寂しいというか、納得いかないというか、そんな気分になることがある。
ユーリはどちらかといえばスキンシップや言葉、その他諸々、何かしらの形で"あいじょう"を表すタイプだ。ユーリ自身も、時にからまわりしていると反省するが、精一杯に伝わるよう努力しているつもりでいる。
しかしそれは、ユーリが"真っ直ぐに自分を貫こうとする"性格だからこそ行えるものでもあった。誰もがそうというわけではない。誰もが器用にそれを伝えられるわけではない。
現に、ユーリから見たクラトスとは、随分と暗く、後ろ向き思考で、やけに自分を押し殺そうとする、そんな人間だった。
それだから。否、だからこそと言うべきか。
ユーリはクラトスからの愛情表現を欲し、休日が重なる今日を狙っていた。この日、二人は朝からずっと共に居る。皆が出払い、暫く戻って来ないことが確定しているユーリが使用する部屋の中、ほとんど誰とも会わずに。
何だかんだでクラトスの淡白さに慣れてしまっている自分が、突然に、普段より無いものを求めている。子どものようだなという思いが何処かにあって、それが若干の後ろめたさを引き連れていた。せめて求める前にその分だけ与えるべきだろうと、今日のユーリは何時も以上にクラトスに触れる。
随分と機嫌が良いな、とは言ったものの、ユーリのそれにクラトスもまんざらではない様子を見せていた。
そして、やがて。
「なあクラトス。少し、頼みがあんだけど」
窓際に置いた椅子に腰かけ、本のページを捲っていたその人にそう声をかける。
よほど読書に熱中していたのだろうか、暫く間を空けた、明らかにズレたタイミングで顔を上げ、なんだ? とユーリを見たクラトスにこっそり苦笑いをした。
ああそれは、あんまり面白くないかもしれない。
ユーリはクラトスに、愛情を表現することを求めた。
あんたはちゃんと俺を好きでいてくれている。それは解る。でも、ただ、それの形が欲しいだけなんだ。他に理由はないし、それ以上もそれ以下もありはしねェ。出来れば、今すぐがいい。どんな形でもいい。
困惑した瞳をした彼へ向けた言葉は、そのどれもがユーリ自身の素直な感情だった。
唐突に言い出したものだから、というのもあるのかもしれないが、普段の冷静さからはかけ離れた様子のクラトスはあまりにも愛しく可愛らしく、その想いを抱いたままユーリは座していた寝台から立ち上がり彼へと近寄って、長い前髪を掻き分けながら額に口付けを落とす。
分かっちゃいると思うが、俺がこうするのはあんたが好きだからだよ。―――そんなことを恥ずかしげもなく口にして、ユーリは笑った。
一言も発しないクラトスは今、とても動揺しているのだろう。
こうなることも考えていたが、きっと埒が明かない。
「じゃあさ、」
ほんの少しだけでいい。これはさっきも言ったが、本当にどんな形でもいい。ただ一つ、何かしてくれればそれでいい。
それだけでも十分なのだと、そう言った。
――そして話は冒頭に戻る。
ユーリにとっては、素直に感情をぶつけただけであっても、クラトスからしてみればあまりにも唐突過ぎる話だ。
その上、彼は元々、決して器用だと言えるような性格ではない。自分の感情を言葉や態度で示すということは、クラトスにとってとても難しい行為なのだ。
どうするべきか。ぐるぐると思考を廻らせて、悩む。額に押し付けられた唇のぬくもりを忘れることすら出来ないまま。
ぴしりと石のように固まってしまったクラトスが、動揺し、赤面している。それが自分の事だと思ってみると、随分と楽しい気分になった。それは当初の真っ直ぐな想いから少々外れた、好きな子ほどいじめたい的思考の、どちらかといえば黒い方向性に入るであろうもの。
ユーリはそれを胸の内に抑え留めながら、こっそりと笑った。
我ながら、随分と意地が悪い。自覚はあるつもりだ。
「…………」
無言の空間。それに居心地の悪さを感じたのだろうか、やがてクラトスが動き始めた。読みかけの本を左手持って立ち上がり、そうっとユーリへと寄る。視線を合わせることもなく、ただ黙っているだけの彼が、空いている腕をユーリへと伸ばした。
それが音もないままに自らの右手を持ち上げるのを、ユーリは薄らぼんやりとして眺める。ぐいと引っ張られるがままに大人しくしていれば、手の甲はクラトスの口元へと運ばれて。
見るからにやわらかそうな唇が、ゆっくりと下ろされていく。それが何処に落とされるのかを、察した―――。
「ッ…ちょい待ったッ!」
ユーリの、右手の薬指。それに唇が触れかけた瞬間、ユーリは声を上げた。
それに驚いたらしいクラトスが、わずかに前かがみにさせていた姿勢を元に戻しながらユーリを見る。彼がそうやって呆然としている隙に、自分の右手を優しく掴んでいる色白な手をやんわりと払いのけてしまったユーリが、自由になったその右手でクラトスの左手首をぐいと掴んだ。
掴んだそれをがさつに引き寄せ、ばさりと音をたてて落ちる本には見向きもしない。
目を白黒とさせているクラトスを真っ直ぐ見つめた。
「…それは俺がやる。"婚約"じゃなくて"結婚"のほうで」
「な、…」
文句でも言いたげに開かれた唇をすかさず塞いで。
ユーリはやがて、自分の手の平に置いたクラトスの手の甲、その端―― 左側の薬指へ、口付けた。
「………どんな形でも良いからと、そう言ったのは誰だ」
「あーハイハイ、そりゃ俺です。…悪かったって」
窓際に置かれた椅子に座し、本を片手にぽつりぽつりと呟くクラトスへ、ユーリはひたすらに謝り続ける。確かに、この不器用な人が必死に考えてようやく見つけ出した表現の仕方を潰してしまったのは悪かった。心からそう思ってはいる。
「なあ、クラトス」
「……なんだ」
「…あんがとな」
けれども、嬉しかった。ユーリにとってクラトスのあの行動は、予想をはるかに上回る、確かな"愛情"だった。そう、確かに感じられた。
さて、とユーリは笑い、椅子に座ったままのクラトスを抱きしめる。
この胸が満たされる想いを、何と伝えようか。
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