とても無自覚



――暑い、と、不意に声が聞こえた。
よく分からない単語が並べられている頁から視線を逸らし、俺は、その声がした方へと顔を向ける。
そいつは部屋の中心辺りに置かれたソファーの上に座っていた。
気だるそうに背凭れに寄りかかり、片手でちまちまと水を飲んでいる。
何処かぼんやりとしているように見える目は、俺の方ではなく、何にもない壁をじっと見詰めているようだった。
手にしているコップを口元へと運び、ちまりちまりと水と飲み込んで、暫く無言になってから、…もう一度。
――暑い。と。
不機嫌そうな、けれども何処か弱々しい響きで、そいつはそう呟いた。

クラトスは、どうやら暑いのが苦手であるらしい。
さっきからずっとあんな感じだ。
話しかけてもなんだか上の空で、珍しく本を読んだりもしていない。
ただただぼうっとソファーの上に座っている。
まあ、今日は確かに暑い。ここ最近で一番の暑さだろう。
だから、理解はできる。
暑くて仕方がないって気持ちは分かるんだけど。
「なんて格好してんだよ…クラトス」
分かるんだけど…その。
いくら暑いからとは言え、その格好はできれば止めてほしい。
浴衣というらしいそれを身に纏っているそいつは、暑いせいなのか、その胸元を大きく広げていて。
見ないようにと意識していても、どうしても、布の向こう側の白くて綺麗な肌に目が行ってしまう。
だから、正直、目のやり場に困るのだ。
あんまり見ていると、こう…むらむらと、して。落ち着けなくなるから。
「……暑い…」
それなのにクラトスは、俺のそんな切実な思いにも気付かずに。
何回目かも分からない言葉をぽつりと零す。
これは多分、俺に言っているわけじゃないんだろう。
ひとり言というか、思わず口にしているだけというか。恐らく、自分自身そう言ってることに気付いていないんだ。
「なあ、クラトス」
少し大きめな声色で呼びかけ、立ち上がる。
それには流石に気付いてくれたらしいクラトスが、緩慢な動きでこっちに顔を向けた。
ひどくだるそうなその表情に思わず眉を寄せてしまいながら、そいつが座っているソファーへと近づく。
そうして俺は、クラトスの隣にぼふっと腰を下ろすと、その衝動で微かにバランスを崩したクラトスを抱き締めた。
「ッ…!?」
クラトスが息を呑む。
突然のことに驚いてしまったようだ。
咄嗟的に身体を遠ざけようとするそいつを、強く抱き締めることで引き止めて。
鳶色の髪に隠されたその耳に口を寄せ、そこで低く囁きかける。
「暑いのは分かるけどさ、あんまりこういう服の着方しないほうがいいぜ?」
ヘンな所で鈍いクラトスにも理解し易いようにと、自分なりにそれとなく雰囲気を出して言ってみたのに。
当の本人はといえば、こてん、と。
意味なんて全く分かってなさそうな顔で首を傾げている。
そんなそいつの様子に思わずふっと苦笑いを零した。
鈍い。鈍すぎる気がする。
いつもはこんなんじゃないのに、どうしてこういう時に限ってこうなんだろう。
気付いて欲しいからこうしてみたはずなのに、…うん。全く効果はなかったみたいだ。
「んんっと…だからさ。その格好見てるとさ…こう…」
どうしようかと考えあぐねながら、俺は、とりあえずとクラトスの身体にまわしていた腕を外した。
そうして、やっぱりよく分かっていなさそうな顔をしているそいつの、両方の肩にぽんっと手を置く。
「……? ロイド?」
首を傾げたままのクラトスが、訝しげに俺を呼ぶ。
それにそっと笑いかけることだけで応じ、そうして、俺は。
そっと掴んだそいつの肩を、なにも言わずに強く押した。
「な…ッ!?」
狼狽するクラトスの様子を、再三の苦笑いを浮かべて見下ろす。
漸くこいつにも、俺が言っていたことの意味が分かってきたようだ。
その余りのうろたえっぷりが可愛らしく、思わず笑い声を上げてしまうと
馬鹿にされたとでも勘違いしてしまったのだろうか、クラトスがひどく鋭い目つきで俺を睨み上げてきた。
「そんなに怖い顔するなって。第一、クラトスが悪いんだぜ?」
「…私は何もしていない」
不満そうな返答に笑って首を振る。
そして俺は、大きく開いた胸元にするりと片手を入り込ませた。
びくりと大袈裟なぐらいに反応するそいつを見下ろし、ここ、と小さく話しかける。
「暑いのは分かるけどさ、ここはこうしない方がいいと思うぜ?」
触り心地の良い肌をするすると撫でながら、少しばかり口調を強めにして言う。
まるで子供に言い聞かせる親のようだとちょっと思ってしまったけれど、まあ、それもいいかなとすぐに思い直した。
暑いのは暑いでいい。でも、できれば、服だけはちゃんとしていて欲しいのが本音だ。
見っとも無い、とか、そんな確りとした理由ではないけれど。
でも、あんまりこういう姿を見せられると、…うん。その…、俺だって男だし。
抑えが効かなくなって無理やり…なんていう最悪な結果になりかねないかもしれないんだし。
もちろん俺は俺で気をつけてるけど、クラトスはクラトスでもう少し気をつけていて欲しい。
「いいか? クラトス。あんたはそんなつもりじゃなくてもさ、こういう…胸元が見えたりする格好って、見てる側にとっては結構きついんだぜ?」
分かりやすいように、分かりやすいように。
一つ一つ言葉を選びながら、慎重に続けてゆく。
俺が一生懸命説明しているその下で、クラトスは何だか複雑そうな顔をしていた。
嘘を言ってるつもりはこれっぽっちもないけれど、言われている方としては微妙な話なのかもしれない。
私は男なのだが、とか、そんなつまらないことを考えていそうだ。
「俺の前ならまあ…まだいいけどさ。人の前とか…特にゼロスの前でとか、止めろよ?」
クラトスは気付いていないようだけど、あいつは何気に危ないからなあ。
それこそ抑えきれなくなって衝動的に…なんて事態もありえてしまうかもしれない。
俺だってたまにそんな時があるんだ。仕方が無いといえば仕方がないんだけど。
「分かったか? クラトス。あんまりこーゆー格好しちゃダメだからな?」
色っぽいその身体をじっと見下ろし、強い口調のままで繰り返す。
さっきからずっと無言のままのクラトスが、微かに小首を傾げるような仕草をした。
ああ…心配だ。これだけ言ってもあんまり伝わっていない。
しつこく言い過ぎてもどうかとは思うけれど、出来ることならもう数十回ぐらい繰り返して聞かせたいぐらいだ。
「……分からないんならもっと分かり易いやり方で教えてやるけど?」
言いながら、衣服の中に潜り込ませた手をそろそろと動かす。
そのまま指の先を色づいた突起へと近づけると、何をされるか悟ったのか、ぼうっとしていたクラトスがこくこくと頷きだした。
…うん。残念じゃない、と言うと、嘘にはなるけれども。
「よしよし。約束だぜ」
白い肌を弄っていた手を遠ざけ、それをそいつの頭へと移動させる。
びくっと身体を震わせたそいつに笑みを向けながら、そのままその手で鳶色の髪をわしゃわしゃと撫でてやってみた。
未だに何だか複雑そうな顔をしているそいつは、不満ですと言わんばかりの視線を俺に送ってきているけれど。
「やっぱり可愛いな、あんた」
くすくすと思わず笑い声を零してしまいながら、思ったことを素直に口にする。
何を馬鹿なことを、なんてつれない返答だけが戻ってきたから、そんな所も可愛いと少しからかってやった。


「っていうかさあ。そんなに暑いなら、これ縛ってみたらいいんじゃないか?」
乱れていた着物をしっかりと正したクラトスは、そのまま再びソファーの背凭れにだるそうに身を預けている。
ちゃんとした格好をしろと言ったのは俺だけれど、…やっぱり、ぐたっとしているそいつはひどく辛そうで、見ているこっちまでもがつらい。
だから俺は、そう声をかけながら、すぐ隣に居るクラトスにそっと手を伸ばした。
おもむろにその赤くてきれいな髪を取り、それをそのまま上に持ち上げてやる。
「こうした方が、下ろしているより涼しそうだけど」
どうだ? と、髪を上げる手はそのままで問いかけてみる。
返答は特になかったけれども、クラトスはそれの代わりだと言うようにこくりと頷いてくれた。
これは、…肯定ということでいいんだろうか。
気難しいなあとこっそり苦笑いを零しながら、同時にそれを愛しく思う。
本人は認めたくなんてないみたいだけど、このひとは、やっぱり。
「うん。髪上げてる姿もいいな。すげえ似合ってる」
やっぱり、可愛い。
何気なく言った本心からの言葉に、クラトスはさっと顔を赤くする。
その姿はもう何回目なのか分からないけど兎に角可愛らしくて、そして、――何処か色っぽかった。
……これからも服装には気をつけてもらおう。暑くても。本当に心配だから。
「もう少し自覚してくれねえかなあ…」
「………?」
思わず呟いてしまったそれは、かなり切実なものだったんだけど。
当の本人のクラトスはやっぱり、よく分からない、といった表情で首を傾げるだけだった。




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