黒に咲く



黒い空に光が咲く。
それは、ひどく小さなものだけれど、それでも目映いくらいに綺麗で。
夢を――見ている、と。
ふいにそんなことを思った。
確証なんて何処にもないんだけど、…でも、きっとそうなんだ。
だからこんなに綺麗に見えているのかもしれない。
『――――、』
何かが、唐突に耳の奥を掠めていった。
そんな気がして、俺はふっと振り返る。
振り返ったその先で目にしたのは、妙なくらいに黒い二つの人影。
影が濃すぎてよく見えないけど、どうやらそれは、片方は大人のもので、もう片方は子供のもののようだ。
二つの人影は互いに顔を見合わせ、そうしてから終わりなく続く星空を見上げ始める。
『おとうさん――』
小さな影が、そっと空を指差した。
父と呼ばれた影がそれに首を傾げて応じる。
子は、父に何か語りかけているようだ。
何も聞こえてこないけれど、二人の口元が動いていることだけは分かる。
『―――だからね、ぼくは――』
それは、現実味の無い
それでいてひどく懐かしく感じる、光景。
思わず飛び付いてしまいたくなるような、大きくて広い背中。
あれを俺は―――知っている。
「………」
呼びかけてみようかと、それに手を伸ばした所で。
不意になんて言おうとしたのかを忘れてしまい、ぴたりと身体の動きが止まる。
知っている、はず、で。
でも、やっぱり知らなかったような気もしてきた。
だってこれは夢の中の筈だから、何があってもきっとおかしくないんだ。
どんなことがあっても、夢の中の筈だから。
『おかあさんもね、たぶんね―――』
視界が、ぐらりと気持ち悪く歪む。
突然のそれに耐える暇もなく、俺は、自分の身体を冷たい地面の上に座らせた。
ぼんやりと、全てが霧のような靄に包まれていって。
そうしてゆっくりと、消えてゆく。


「っ……!」
息を呑み、慌てて目を開ける。
自分が一体どうしたのか、それすら分からないままで。
広がった視界の中に真っ先に入り込んできたものは、板を張り巡らせて作られた木製の天井だった。
それが、先ほどの景色が夢だったことをさり気無く示している。
「………」
俺は、片方の手を自分の額の上に置き、そうしてからふうっと溜息を吐く。
何だか、ヘンな夢を見ていたみたいだ。…それは分かるんだけど、それ以上のことが分からない。
思い出そうとすればするほどに分からなくなっていく。まるで底なしの沼のようだ、なんて、不意にどうでもいいことを考えた。
「……ロイド?」
ぽつりと控えめに俺の名前を呼ぶ声がして、それに思わず横になったままの状態で首を傾げる。
突然の呼びかけに頭が上手く付いていかない。
誰、だっただろう。この声は。
ジーニアスでもコレットでも先生のものでもない、それらよりもっともっと低い男の声。
まだ聞き慣れていないくて、でも、始めて聞いたわけではないと思える声。
「………」
必死に頭を捻らせ、少しずつ今の自分の現状を思い出していく。
寝ぼけていたせいで直ぐには思い出せなかったけれど―――俺、は……、…そうだ。
コレットの世界再生の旅に、結局ついてきたんだ。
昨日は…何だったっけ。三つ目の封印…を解放した、と思う。確か。
それでアスカードの宿まで戻ってきて、疲れたからって言って―――。
「クラトス?」
其処まで考えて、漸く思い出すことができた。
そうだ…この低い声は…クラトスの、ものだ。
何で聞いた時点で気付かなかったんだろう。間違えようもないのに。
自分のあまりの頭の悪さにがっくりと項垂れたい気分になる。少しだけだけど。
「…どうしたのだ? 魘されていたようだが」
ちょっとだるく感じる身体を、ぐぐっと起き上がらせて。
そうして俺は、ちょうど俺の真正面に立っているクラトスに視線を向ける。
俺の方に肩越しに振り返っているそいつは、そのままの形でこてんと小さく首を傾げた。
…心配、してくれているんだろうか。ちょっとヘンな夢見ただけなのに。
いや、違うのかもしれないけど。でも、…そう考えてみると、何だか妙に気恥ずかしいような不思議な気分になる。
それが何なのか俺には分からないけど。
「……うなされてた? 俺が?」
確かに、ヘンな夢を見たのは事実だけど。
うなされるような、そんな怖い感じの夢でもなかった。…と、思う。
でも、それはやっぱり曖昧なものでしかない。もしかしたら、覚えていないだけで怖い夢だったのかもしれない。
…うん。きっとそうだったんだな。っていうかまあ、怖い感じの夢じゃなくてもうなされることって案外あるのかもしれないし。
そうやって俺は自分を納得させて、再びクラトスを見詰めた。
「俺、うるさかったかな」
気にすることはないんだろうけれど、もしかしたら起こしてしまったのかもと思うと、何だか悪いことをしてしまったような気がして。
気付けば俺は、そんなことを無意識の内に尋ねていた。
その言葉に目を丸くさせたクラトスは、少しの無言の、その後に。…「いや」と、小さく首を振って答えた。
「そっか。ならいいけど」
内心で、ほっと溜息を吐く。
ホントに気にすることはないんだろうけど…でも、まあ…よかった。
俺のせいで目が覚めたって言われても、俺にはどうすることもできないし。
「………」
無音の時間が気まずく過ぎて行く。
途切れた会話はもうそれっきりで、もう一度復活するような感じはしなかった。
もう話すことはないと思ったのだろうか、俺の方に振り返っていたクラトスがふっと俺から視線を外す。
そうして俺に背を向けたクラトスは、不気味なぐらいに無言のまま、普通のものよりも大きめな窓の向こう側を眺め始めた。
「アンタ、寝ないのか?」
翳っている背中に向かって話しかける。
そういえば俺は、こいつが眠っている姿を見たことがない。
寝てないなんてことはないんだろうけど…こいつはいつも、俺が起きる前には既に目覚めているらしい。
今だってそうだ。こんなヘンな時間なのに、クラトスはさも当然のように起きていた。
「私のことは気にしなくていい。お前こそ早く眠らないと明日に響くぞ」
「真正面に人がいると思うと気になって寝れねえよ」
ちょっとだけムキになってそいつの言葉に噛み付いてみると、そいつはよく分からない、とでも言いたげなヘンな表情でまた振り返った。
そしてその表情は、俺を見るなりすぐに皮肉げな笑みに変わる。
フ、と鼻で笑われたことにムカっとして、思わず「何だよ!」と声を荒げると、
そいつはその皮肉ったらしい笑顔のままで、またふいっと窓の方へと顔を戻してしまった。
「真正面といってもそんなに近くにいるわけではないだろう。……それに、お前がそんなことを気にするようには見えないのだが?」
「う……」
すらりと確信を突かれて、言葉に詰まる。
自分でもその自覚はあった。……すごくあった。
でもそれをこのクラトスに言われると、ホントのことのはずなのにムッとくる。
だって…さあ。いや、理由は無い…というか見つからないんだけど…。
「もう暫く寝ているといい。夜明けにはまだ時間がある」
じっと窓の向こう側を見詰めたまま、クラトスは、淡々とした声色で俺にそう促す。
その声には先ほどのからかうような感じは既になかった。
だから俺は、ふうっと一回だけ溜息を吐き、そうしてから再びシーツに身を沈める。
ムカつくけど…クラトスの言ってることは正しいし、俺自身も、また少し眠くなってきたし。
一眠りなら簡単に出来るだろう。
…また寝過ごして先生に怒られるかもしれないけど。
「………」
身体を横向きにさせ、目を閉じる。
視界が真っ黒な闇に覆われて、それを何でか心地良く思った。
―――そういえば……思い出せたわけじゃ、ないけれど。
あの夢も、こんな感じの心地良い暗闇があった…ような気がする。
「………あ」
はっと目を開け、小さく声を上げる。
何か…重要なことを思い出したような、…そんな気がした。
身体は敢えて起き上がらせず、視線だけをクラトスが居るはずの方へと向ける。
クラトスはやっぱり、其処にいた。動くような気配もなかったし当然といえば当然なんだけど。
それは兎も角として――やっぱり、なんだか似ているような感じがした。
クラトスの、あの、大きくて広い背中。
あれと瓜二つのものを、夢で見たような気がする―――。
『―――だからね、ぼくは――』
思い出せそうで、上手く思い出せない。
一体、どんな夢だったのか。
でも――ほんの少し…少しだけ、憶えている。…気がする。
それは、クラトスの背中に良く似た大きな背中と――その隣に立つ、小さな子供のような影。
自分より一回りも二回りも違う大きな人影を見上げて、その小さな影は、何かを楽しそうに言っていた。
「………、」
再び目を閉じ、広がった闇の中でその光景を思い浮かべる。
懐かしいと――そう思ったような、そんな感じがした。
温かく、懐かしい夢。
あれは誰だったんだろう―――?
『おとうさん――』
眠気がどっと押し寄せてくる。吸い込まれるように、全部が闇の中に消えてく。
一番に不思議だと思ったのは、自分はその感覚に恐怖を抱いていない、ということだった。
それどころか妙なぐらいに心地良い。
「……、……さ…」
落ちてゆく意識のその中で、ふいに子供が父を呼ぶような声が聞こえた気がして。
何なのだろうと、内心だけで小首をかしげる。
けれど、それが何なのか、自分で理解するよりも早く―――
ぽんぽんと、まるで頭を撫でられているかのような、何処から来ているのかすら分からない心地良さに、すうっと意識が落ちていくのを感じた。




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